第一曲 木曜日の朝
僕がブリドリに入るか否かの結論を出す木曜日の朝。教室の入口に祥が待っていた。そして祥は僕を見つけるや否や、なんと……抱きついてきた。
「おはよう弟くん! 結論は出たかい?」
耳元で囁く祥。クラス中から悲鳴が響く。思わず僕は祥のことを突き放した。
「うわっ! ちょっ! 待って!」
「いいじゃないか弟くん。欧米じゃハグと言って当り前の風習だよ?」
「ここは日本だ! びっくりするから止めてくれ!」
「びっくりしなきゃいいのか。じゃあ今度は優しく抱きしめる様に気を付けるよ」
「そう言うことじゃなくてさ……」
彼には何を言っても無駄のようだ。1つ問題なのは、男、祥から抱きしめられたのに嫌悪感が無かったと言うことだ。初めての経験にドキドキしている自分がいる。
いや、僕はノーマルだ! そんな趣味は無い……はず。
明らかに狼狽している僕を見て祥は悪戯に微笑んだ。
「翔くんさ、これから俺は君の事、弟って呼ぶことにしたから!」
「弟……? 何でさ?」
「なんかさ、俺の名前は『祥』なのに、音を同じくして『翔くん』って呼ぶの紛らわしいし、他人行儀だし。うん。これから仲間として付き合っていくと言う意味を込めて『弟』。どうだい?」
「呼び方は何でもいいよ。でも、まだ仲間、バンドに入るとは言ってないよ」
「確かにね。でも今日結論くれるんだろ?仮に断られたとしても諦めないし疎遠になる気もないから良いんだよ」
祥は、真っすぐな目で僕を見つめた。その態度から、僕のこと真剣に考えてくれていることがわかる。言葉ではなく目で訴える。綺麗な目に思わず目を背けてしまった。
祥、不思議な男だ。そんな彼の気持ちに僕は応えられるのだろうか。
「うん。今日返事する。だけど今は言わないよ」
「弟く~ん。勿体ぶるね~。まあ、放課後まで我慢するよ。この前行ったファミレスの前で待ち合わせでいいかい?」
「うん。いいよ」
「じゃあ、楽しみにしてるよ」
祥は僕の頭をポンポンと叩くと自分の教室へ戻っていった。男から頭をポンポンされるとか初めてだ。姉さんからなら数えきれないくらいあるけど。相手によって印象が変わるもんだな。
「翔ちゃん風邪ひいたあ? 顔赤いよ~?」
教室にいた直美が心配そうに声をかけてきた。
「な、何でもないよ!!」
平常心を取り戻そうとすると余計に顔が赤くなってしまう。この胸の高鳴りはなんだ?しかも男に対してとか意味が分からない。
いや、僕はノーマルだ。心の中で何回も繰り返し呟きながら悶々《もんもん》と授業を受けた。
--そして、いよいよ運命の放課後がやってきた。
先生の話が長くて通常の時間より10分以上遅れて授業が終わった。急いでいるときに限って授業が長引くの本当にやめて欲しい。しかも今日は掃除当番じゃないか。教室の掃除って机下げたりして面倒なんだよな。
気づくと、もう玲子と直美は居なかった。あいつらは掃除当番じゃないから先に帰ったのかな。いつもなら僕に挨拶して帰るんだけど珍しいな。
やっと掃除が終わって待ち合わせのファミレスにダッシュで向かう。普段走ることないのに、僕もどうかしてるのかな。ファミレスに着くと、もうすっかり息も上がっていた。
「ハァ……ハァ……」
暑くもないのに汗だくだ。疲れ切って顔が上げられないほどだ。
「弟! こっちだ遅いぞ!」
奥の方から声がする。やっとのことで顔を上げると祥だった。半円で広いソファーテーブルに6人座っている。もう僕以外の全員が揃っている。
……え? 6人? ブリドリメンバーは3人組。
「チビトリオ! なんでお前たちまで来てるんだよ!」
「チビ言うな! 好きで背が小さいわけじゃないよ!」
玲子が怒って言い返す。いや、僕が言ってるのは、そこじゃないし。理津美が来るのは、祥を紹介してくれたからわかるが、何で玲子、直美まで来ているんだ?
ヤツらが僕に黙って学校から帰ったのは、このせいか。ホントやり辛いな。祥は、そんな僕たちの様子を見て腹を抱えて笑う。そして、祥は自分の左隣の椅子をトントンと指で叩いて座るように促した。
「仲が良いのはわかったから、早く座れよ」
「あ、ああ。サンキュ」
「おつかれさま! 弟くん!」
座るや否や、『えいや』っと祥がヘッドロックしてきた。
「痛い! 痛いよ!」
「おとうと~! 一週間長かったよ~。ほら、返事! 早く早く!」
「そんなに急かすなよ。ちょっと休ませてくれ」
ただでさえ話すのが苦手なのに学校から、ここまで走ってきて呼吸が乱れている。こんなんじゃ話せない。そんな祥と僕の様子を見てボーカルの拓人が冷やかす。
「弟く~ん♪ この1週間、祥は毎日『弟どうしてるかな~バンドやりたい~あいたい~』って、5000回くらい言ってたんだよ~♪」
拓人にまで、『弟』が定着しているようだ。好意で言ってくれているみたいだから良いけどね。そんな拓人に祥も言い返す。
「5000回も言ってない! せいぜい1000回ぐらいだ」
「1000回でも多すぎやん! まるで告った人の返事を待ってるみたいじゃないか~♪ ウヒャヒャ」
「俺はノーマルだ! ゲイじゃない! ……あ、でも弟とだったらいいかも」
祥は僕の肩を抱いて呟いた。心臓がドキドキする。祥って、いい匂いするんだな。……いやいや、僕は何を考えているんだ。
「ちょっと! 待って、待って! 冗談やめてよ!」
僕は慌てて祥の腕を振りほどいた。そんな様子を見てチビトリオと哲太はキョトンとしている。理津美は冷静に呆れたように言葉を切り出した。
「短時間でそれだけ仲良くなるのはいいけど、翔ちゃん? そろそろ呼吸が整ったんじゃない? 一週間検討した結論を皆に教えてくれる?」
理津美は事務的に淡々と僕の発言を促した。
「う、うん。わかったよ。じゃあ……言うね。僕の出した結論は……」
疲れているのとは違う意味で僕の心臓がドキドキしている。それに僕以外の6人も固唾を飲んで俺を見守っている。
緊張する……
ちゃんと、キチンと言わなきゃ。僕は一呼吸置いて、ゆっくりと言った。
『バンドのメンバーにはならない。』




