9.突然の別離
次の日、お屋敷の庭にあるヘリポートから1台のヘリコプターが飛び立とうとしていた。そのヘリコプターは、空の青に同化するような綺麗なスカイブルーの色をしていて、ローターがプルプルと美砂子の心の中とは180度違う心地よい音を奏でながらまわっている。ヘリコプターの運転席には、明秀が座って、計器の確認をしていた。これが明秀の最後の仕事となるのである。
また、ヘリコプターには、いろいろな私物が詰め込まれて行った。しかし、それは最低限度必要なものだけであって、残りのものは、高速船を使って運ばれる予定になっている。今日は天気がいいので、船が出られなくなることはないだろう。波も至って穏やかだ。ただ、午後からはくもりとなる予定らしいから、午前中にすべてのものの移動を済ませてしまうのがいいだろう。
美砂子は、冴えない表情で朝を迎えていた。せめて、太平に手紙だけでも残しておきたいと思っていた。しかし、その時間はなかったし、そんなものが母親に見つかろうものなら、もっとひどい仕打ちが待っているに違いなかった。仕方なく、また次の大型休暇になったら太平と会えるんだと自分に言い聞かせて、足を動かし、スカイブルーのヘリコプターへと向かっていった。そのスカイブルーは普段はさわやかな色として見えるのだが、なぜか今日は孤独な色に見えた。
ヘリコプターは、美砂子、母親、明秀を乗せて、本島への強烈な意味を持った旅を始めるために離陸した。辺りの草花が、離陸の際に生じる風圧によってゆらゆらと揺れている。ヘリコプターが奏でる音の間隔はだんだんと短くなり、さらに、高くなっていった。そして、ついに空と同化した。
本島に到着すると美砂子はさらに衝撃の事実を知ることとなった。
「もう、あの島には戻りませんからね」
母親はきっぱりと言った。
「お父様も船でこちらに来られます」
2つ目の情報は美砂子にとってどうでもよかった。あの島に戻らない、これが衝撃の事実である。
言うまでもなく、美砂子にはわかっていたが、太平から美砂子を遠ざけるために母親が、こうでもしないと美砂子が習い事に集中できないだろうと思ったのである。美砂子にとってはいい迷惑であったが、母親には昔から逆らえなかった。昔から、母親の言うことは絶対であり、決してそれを曲げることは出来なかった。散歩を許可するようになったことを除いては・・・。
美砂子は、夏休みの間、ほとんど家の中から出ることはなかった。家と言っても高層マンションの最上階にあるもので、そこから出て行くのには一苦労だ。そのマンションの中には食品売り場や、雑貨売り場などはもちろん、生活に必要な店などはほとんどそろっていた。ほとんど家から出ることがなかったと言ったが、これは、母親が見張っていたからであった。いくら本島に来たからといって急に外出をしたくなくなるというのも考えにくいと母親は考えていた。
執事の明秀に暇を与えたことにより、三井家の執事はいなくなっていた。それでもなんら不自由はなかった。少し母親の家事が増えるだけであった。
新学期が始まる頃には、妙な好奇心はほとんど薄れていた。そして、そのエネルギーはほとんどすべて知的好奇心へと変わっていたのであった。
美砂子は、それから、勉強に一生懸命になった。それは、勉強しかすることがなかったと言うのが一つの理由であるが、もう一つ、こうしていれば母親は何にも文句は言わないという理由もあった。良くも悪くも、美砂子は、学校でトップクラスの成績で、有名大学に進学。そして、有名企業の社長秘書となり、この上なく、<すばらしい>人生を歩み始めた。これは、母親のおかげであったし、自分のがんばりでもあった。母親はさぞかし満足であっただろう。もう今では26歳になっていた。