4.魚釣り
美砂子は、太平の後ろについて歩いて行った。そこは、今まで来たことのないところだった。美砂子は少し不安になったが、太平は男らしくて、頼りになるから大丈夫であった。
「ん〜、そうやのぉ〜」
ここは秘密基地からちょっと離れたところにある竹やぶであった。太平は、あちこちの竹を見回っていた。
「かぐや姫でも探してるの?」
美砂子は、真剣に尋ねた。
「バカやのぉ。そんなのおるわけねーじゃろが」
と言って太平は大きな声で笑った。美砂子はなぜ笑われたのかよくわからなかったが、なんだか悲しくなった。そして、泣きそうになっていた。「バカ」なんて生まれてから一度も言われたことがなかったからであった。家にいたらほとんど「いい子ね」である。
「すまん、すまん」
太平は、泣き出しそうな美砂子の様子を見てあわてて謝った。そのときに、頭にたけのこをのっけていたため、美砂子は思わず大笑いしてしまった。太平は狙い通りにことが運び有頂天になって、もう一つ頭にのっけて鬼のように振舞った。
「なにそれ〜」
美砂子は、笑いが多少収まってから頭の上を指差して言った。
「たけのこじゃ、たけのこ。これが大きくなるとこれになるんじゃ」
と、そばにあった竹を叩きながら言った。
この時期にたけのこがあるのは不自然である。たけのこは普通、春によく見かけるものである。おそらく、その辺に落ちていたたけのこの忘れ物を拾ったか、季節はずれのたけのこを取ってきたかのどちらかであろう。どちらにしろ、珍しかったから拾ってきたに違いなかった。なぜなら、太平は、美砂子がたけのこを知らないことに少し驚いたからである。
太平は、たけのこを知らない美砂子はひょっとしたらもっと知らないことがいっぱいあるのではないかと思い、さらに優越感に浸ることとなった。一方、美砂子は何でも知っている太平を頼りにしていたし、次は何を教えてくれるのだろうかと毎日わくわくしていた。このために、習い事のほとんどに身が入らなくなっていた。習い事の時間が終わると
「あきひで〜、あきひで〜」
と叫んで、明秀を呼び、すぐに外へと出かけるのであった。そのとき、明秀は美砂子の母親に対して大きな罪悪感を抱いていたが、美砂子に嫌われたくなかったし、また、大声で泣かれてはかなわないと思い、嫌々ながら許していた。美砂子は母親はもちろん、明秀にも太平のことを言わなかったし、もちろん、どんなことをしているかも言わなかった。ただ、美砂子は怪我はもちろん、服も汚すことなく帰ってきていたので、明秀はそろそろ安心してきていたし、母親にはちっともバレてはいなかった。怪我をしない、服を汚さないというのは美砂子が十二分に気をつけていることであった。
太平がよさそうな竹を秘密基地から持ってきていたのこぎりを使って切り始めた。よさそうな竹というのは、たけのこ以上大人の竹未満の釣竿に適した竹のことである。そんな竹を2本ほどこしらえて、満足げに竹やぶから少し離れているところで見ていた美砂子のもとに戻ってきた。
「竿できたぞ」
そのうちの1本を美砂子に押し付けながら自慢げに言った。
美砂子はキョトンとしていたから太平は少しがっかりした。もっと喜んでもらえるものと思っていたからだった。ただ、美砂子は、これでどうやって魚釣りをするのかよくわからなかった。
また、美砂子は、太平に連れられて歩いた。そして、秘密基地へと戻ってきてしまった。
「あれ?魚釣りって海でやるんでしょ?」
「ん?そうじゃけど、糸と針をつけんと」
そう言って、太平は慣れた手つきで自分の竿と、美砂子の竿に糸と針をつけた。
「うし、じゃ、エサ集めるぞ」
「エサ?」
「ミミズに決まっちょる」
美砂子はぞっとした。ピンクっぽい、細くて長いものがうねうねしていた。太平は小さくて赤く、少し錆びているスコップで土を掘り返して、そのうねうねしている生き物をたくさん集めて、プラスチックの透明の容器の中に入れていた。
「そんなの使うの?」
「おう、よー釣れるんじゃ」
美砂子は結局、太平がミミズを集め終わるまでじっと見ていた。じっと見ていたといっても、ミミズを直視したくなかったので、他のものに意識を集中していた。ところが、途中で、自分の立っている地面の下にもこのミミズがいるのかと思うと、とても嫌になった。
「こっちにやらないでよ」
美砂子は太平に向かって、ミミズが怖いことを伝えた。
「そうか、ミーコは怖いんじゃな、ミミズ」
美砂子はぎこちなく頷いた。
しかし、美砂子にとってのミミズの恐怖は地面を掘り返すときだけにとどまらなかった。
「これを針につけるんじゃ」
太平は、美砂子にプラスチックの透明の容器の中で、うねうねとうごめくミミズを指して、先生が生徒に数式を教えるかのようにきっぱり言った。
美砂子は、首を左右いっぱいに振った。
「しょーがないのぉ。わしが手本見せちゃる」
太平は、慣れた手つきで容器からミミズをひょいとつまんだ。ミミズは、容器の中よりも増してうねうねし始めた。美砂子はガクガク震えていた。そんな美砂子にかまわず太平は、ミミズを片手に、もう一方に針を持ち、ミミズを針につけた。それでもまだミミズはうねうねと動いている。美砂子は泣きそうだった。
「見ちょれよ」
太平は、そのミミズを、水面が周期的に上下している穏やかな海へと、桟橋の上から投入した。数十秒経って、太平はくいっと竿を上に振った。
「よし」
穏やかな水面に水飛沫が立ち、10センチほどの小さな魚が水面から空中へと移された。そして、太平の手の中に納まった。
「アジじゃな。秋によく釣れるんじゃ。ちっけーのがな。この時期に釣れるのはちょっと珍しいわい」
美砂子は、アジに興味を持った。さっきまでうねうねとうごめく得体の知れない生き物だったのが、ちょっと愛着のわきそうな魚に変わったのが面白かったからだった。海というのは不思議なものだとも思った。ミミズが魚に変わるのだから。いわゆるブラックボックスだ。ただ、魚に触ることは出来なかった。ぴちぴちと動いていたのが少し怖かったからだった。
「わしがミミズつけちゃるからミーコもやってみぃ」
美砂子は笑顔で首を縦に振った。