2.家庭
美砂子と太平はそもそも、2週間くらい前に出会った。美砂子は、この島一番の資産家の一人娘であり、普段は本島の私立学校に通っている。しかし、今は夏休みで、この島にあるとても大きな家(実家)に来ているのである。この家は、島の人々から<お屋敷>と呼ばれている。
ある日の昼、美砂子がこっそりと1人で散歩に出かけたとき、暖かい光が差し込んでいるが、少し薄暗くじめっとした林の中に同じくらいの背丈の人影を見つけた。その人影は何かをしているようだったので、美砂子は木の陰からじっと見ていた。よく見ると、その影は何かを作っているようだった。
毎年、長期休暇にはこの島にやって来るのであるが、1人で散歩に出かけたのはこの日が初めてだった。それは、母親がそのようなことを許していなかったことにある。美砂子が外を散歩したいと言うと、
「怪我でもしたらどうするの?ピアノが弾けなくなったら次の演奏会どうするの?」
と返されるのが日常であった。
美砂子は、ピアノのほかに、英会話などの習い事もしていたし、家庭教師も何日かに1回は必ずやってきた。それは、この島に来てからも同じであったし、家庭教師が来られないときは、執事の貝原明秀が代わりにやっていた。明秀は有名国立大学を首席で卒業していた。なぜそんな人物が執事などにおさまっているのかは謎であるが、給料は、小さな会社の社長なぞ比べ物にならないという噂であるから、理由はこれなのかもしれない。ただ、給料が高いという理由だけで執事を引き受けるというのはどうにも考えにくい。他に理由があるのかもしれないが、それほど執事という仕事をしたくてやっているようには見えなかった。まだ若いからどことなくそう見えるのかもしれないが・・・。
そんな日々の中、天気がよく、お屋敷の庭で風景画を書かされていたときのこと。美砂子は、絵画の担当の先生の監視の目がなくなったことを確認し、そっと裏門から抜け出したのであった。そして、今、木の陰に隠れている。
美砂子はほとんど物作りというものをしたことがなかった。せいぜいあったとしても、編み物くらいだった。そのこともあって、この人影の物作りには興味津々であった。
薄暗い林の中でごそごそと動く影。時々、ガシャン、コンコン、カンカン、バコンッなどの音が聞こえてくる。美砂子は何が行われているのかわからなかったが、とても楽しかった。気がつけば、少しずつその影へと近づいて行っていた。それは完全なる好奇心というものであった。美砂子は今までこのような現場に立ち会ったことが生まれてから一度もなかったことからその好奇心はより一層強かった。もちろん、年齢的なこともあったであろうが・・・。
だんだんと近づいていくと、美砂子はこの人影にいつ気づかれてしまうのか、見つかったら怒られるんじゃないかと思い始めた。その途端、目の前でうごめく人影は恐怖の対象以外の何物でもなくなってしまった。早くその場から逃げ出さないと、と思い始め、一気に方向を転換し、走り出した。
しかし、走り始めたときに、ポキッという音が林に響いた。木の枝を踏んだだけでこんなに音がするものなのかと思ったくらいであったが、おそらくは、林の造りにあったのだと思われる。音が反響し、増幅されたのだろう。それは、人影が生み出していた音に関しても同じことが言える。
「誰じゃ?」
こうして、美砂子は太平と出会ったのであった。
太平の父親は島一番の漁師で、いつもその跡を継ぐのだと美砂子に語った。
美砂子は太平と過ごす時間がとても新鮮で、楽しかった。
しかし、そんな時間を簡単に取れることは少なかった。こっそりとお屋敷を抜け出して、なんとか太平と会うことが出来たのであったが、それは少しの時間しかなかった。もちろん、そのことが母親にバレないはずがなく、こっ酷く怒られた。ところが、母親は美砂子が習い事に集中できないことがわかると約束を交わすことにした。
「どうしてもお外をお散歩したいの?」
「うん」
「じゃあ、明秀と一緒に行きなさい。でもそれは、美砂子の習い事がない時間だけよ」
美砂子としてはそれで十分だと思った。それは、明秀なら大目に見てくれるだろうという安易な考えがあったからであった。ただ、習い事がない時間というのはそれほど多くはなく、食事の時間などを除けば多くても1日に2時間位だった。
明秀には「友達と遊ぶからお母様には内緒にしてて」と言ってごまかしているのであったが、もちろんのこと明秀はあまりそれをいいことだとは思わなかった。しかし、明秀がそれを断ろうものなら美砂子はその場に寝そべってワンワンと泣き喚いたのであった。明秀は困り果てて、一緒についていくなら構わないと、譲歩したが、それでも美砂子は納得しなかった。いつまでも泣き喚くので明秀は最後の最後には折れてしまった。