008.閑話~ルーンの決意~
こんな勝利認められるはずがなかった。
短刀を首につきつけ、勝ったことは明白なはずなのだが、ルーンはその勝利を認めようとはしなかった。
そもそもこの勝負、この人は本気を出していたのだろうか。
ケルブによって、焦がされた地面に目をやる。よく見ると焦げ具合が甘いことに気づいた。
街中であるからというのも考えられるが、少なくとも十一年前はこんなんじゃなかった。もっと冷徹で、機械みたいな人だったはずだ。
視線をアルマへと戻す。
使霊を使うことが、彼にとって本気を出すことにはならないと自分が一番分かってたはずじゃないのか。
でも、私だって努力してきた。この人に追いつこうと、必死に。
淡く焦げた地面。
元々火力が弱かったなど考えられない。辺り一面を丸焦げにだってしてしまえるほどの力はある。
気付いたら、拳を握りしめていた。
「やはり。私と本気で戦ってなかったんですね」
彼は答えなかった。
落ちた剣を眺めてるだけで、意識はどこかにいってしまっている。中身のない抜け殻みたいだ。
本気で戦ってもらえなかった悔しさが湧いてくると思ったら、アルマに対する怒りが湧いてきた。
前々から憧れていた人物の惨めな姿がどうにも許せなかった。だから彼は、感情に任せた言葉をアルマに浴びせた。
「どうしてですか!? どうしてそんなに変わってしまったんですか!? アルマさんは私の目標だったんです! 戦場でも第一線に立って、戦うアルマさんに早く追いつきたいとここまで頑張ってきたのに……その目標がこんなんじゃ……」
「お前はいいな。真っ直ぐで」
「へっ?」
「俺は折れちまったんだよ。ある時、ポキリとな。それも突然じゃねぇ。ずっと蓄積されてたものが弾けちまった。……なぁ、お前は獣人って殺すべき存在だと思うか?」
話が飛躍しすぎて、ついていけない。
獣人は殺すべきか。
そんなの当たり前。わざわざ質問してくる意味がわからない。もうすっかり黒魔術師となってしまったのだとルーンは確信した。
顔に吹き付けてくる風が異様に冷たい。特に目元から頬にかけてだ。
ルーンの目からは涙が垂れていた。それが風と触れ、蒸発することで、ルーンの熱を奪う。
答えが見つからないまま、ルーンは口を開いた。
「殺すべき……だと……思います」
ものすごく歯切れの悪い返答になってしまった。これでは返答に迷っているようにしか見えない。
違う。
自分は。
自分は獣人を殺すべきだと……。
「迷ってるんだな、お前。うん、悩め。それがいい」
「違います! 今のはのどにたんが引っかかっただけで」
苦しい言い訳に過ぎなかった。
ルーンは、アルマを目標として獣人狩りに勤しんでいながらも、自分の行為を理解出来ていなかった。獣人を殺しても、何の喜びも湧かないし、寧ろ自分はどうして殺したとなってしまう。手を血で赤く染めていけばいくほど、悩みも大きくなっていった。
これを何て言い表したらいいのかと、震える唇で、言葉を紡ぐ。
「……やっぱり私は真っ直ぐではないです」
「そうか」
残念そうにも、嬉しそうにも思えるアルマの返答。
ルーンはどちらの意味にも取れた。
「さぁ、お前は俺を殺さなきゃならないんだろ。だったら早く殺したほうがいいんじゃないのか?」
……。
「俺はすっかり汚れちまってんだよ。もう十一年も経つというのにちっとも拭えやしねぇ。死んだほうがマシかもな」
…………。
「そうだ、俺が死んだらあそこの山にある俺の家に行ってやってほしいんだ」
アルマはどこかに向けて指を差した。しかし、暗闇のせいでその山の存在を確認することはできない。だが、アルマが差してる先に山は一つしかないので、闇雲に捜しても何日かで、彼の家を発見することはできるだろう。
彼のいう言葉は頭に入ってきたが、すんなりと受け入れることは難しかった。
いつから彼は、こんなにも情を漂わせる人に。
昔の彼に。
自分が目標としていた、あの頃の彼に。
ルーンは、アルマの首に短刀を突きつけるのを止め、腰へとしまう。
泣いてるのか、笑ってるのかが曖昧な表情を宿し、アルマの背中へと手を置く。ここまできてルーンは悩む。これが正しいことなのかどうかか。白魔術師のルーンにとって、黒魔術師のアルマを殺すことは絶対である。例え、家族でも、友人でも、恋人であったとしても。さらに、ルーンが今からしようとしている行為も、それに値するものだった。
余計なことは考えるな。
迷いを振り払うかのように、一つ咳払いし、ルーンは呪文を唱え始めた。
アルマの身体が跳ねる。
そのままばたりと倒れ、彼は眠りに落ちた。
ルーンはというと、固まっていた。
自分が間違いを起こしてしまったことに気づいてしまったからだ。
彼が戦えなかったこと。彼が獣人排斥を否定すること。彼が単に黒魔術師として追われてたわけでないこと。ルーンの魔法によって、それらの理由が一気に彼の脳内に流れ込んできた。
「わ、私が……全部間違ってたというのか」
天を仰ぐ。深い藍で染まった空は冷たい。温もりの欠片もない。
ルーンの眼は涙で潤み、一筋の雫が彼の頬を伝う。
魔法というものが、狂気となった瞬間であった。
強大な力を持つがゆえの宿命といってもいい。一度その扱いを間違えてしまえば、取り返しがつかなくなってしまうことだってある。
俺のせいで、アルマさんは。アルマさんはッ……!
頭を抱え、瞳が揺れる。
このまま自暴自棄になってしまってもいいか。
地の底からルーンの使霊、ミカエルが現れ、四本の腕を天高くかかげた。直後上空に青い球のようなものが生まれ、少しずつ肥大していく。周囲の空気がそれを中心にして、とぐろを巻き始める。
もういっそなかったことにしてしまおう。
そう、ルーンは思いかけて──止めた。青い球は急速に勢いを失い、消失した。
自暴自棄になってなんになる。なにも変わるわけないのに。それよりも今の状況をどう打開するか、それを考えるべきではないのか。
まだアルマさんは、死んだわけではないのだから。
唇を噛み締め、前を向く。
落ち着け。悲嘆してる場合か!
脳内で罵声を浴びせ、無理矢理頭を冷やしていく。よし大分冷めてきた。顎に手をあてて打開策を考える。よくよく考えたら自分が大事なことを忘れていることに、ルーンは気づいた。
確かにアルマさんは自分によって変えられてしまった。しかし、完全に変えられてしまったわけではない。
──七日間。
アルマが完全に変わってしまうまでにはそれだけの猶予がある。
七日の間に、アルマにもう一度魔法を施す。それが出来れば、元のアルマに戻すことが出来る。
だが、問題は別にあった。
この魔法の効力が及ぶ条件として、相手が活動している状態、つまり起きている状態でなければならないのだ。もし起きた時のアルマが自我を保っていなかったら。自分を敵だと認識し、攻撃してきたら。さまざまな可能性が考えられた。
もちろん初めて使うわけではない。過去にこの魔法を使い、寝返らせ、そのまま処刑台に送りこんだこともあった。それを歓喜し、賞賛する国民。そしてそれがいいことだと思い込んでいた自分。この自分にやる資格なんてあるのだろうか。
ルーンの眼にアルマが映る。
「アルマさん……こんな汚い私でも許されますかね。貴方に再び魔法を施しても許されるんですかね……」
大丈夫さ。
弱気になる自分の背中をアルマが押してくれた気がする。
「もう逃げません」
ルーンはアルマの手を取り、
「だから一緒に、この世界を変えましょうね」
アルマを背負い、ルーンは寒空を見上げた。自分が犯した間違いは自分で償う。
終戦した広場に強い一陣の風が吹き荒れる。
二人はひしめく街の中へと身を投じ、やがてその姿は見えなくなった。
誤字脱字等ありましたら感想にて教えていただければ幸いです。