004.日常の崩壊1
本日、一時ぐらいに次話投下します。
それと、昨日はパソコンの不調により更新が出来ませんでした。すみません。
茜差す夕焼けは人々へ平等に美しさを届けていた。
司書の働く街では、この時間帯でも喧騒にあふれかえっている。
石畳が続く道を、司書は歩いていた。
今日もいつも通りに仕事が終わったので、遅くはならないだろう。
鼻歌混じりで歩いていると、香ばしい匂いが司書の鼻を刺した。視線を横に向けると、焼きたてのパンを売っている店。
どうやら匂いのもとはここだったらしい。
ルーシー喜ぶかなぁ。
匂いに誘われて尻尾を振っていまかいまかと待ちわびる姿。
さながらそれは愛嬌を振りまく犬のようで、可愛い。
興奮で少し蒸気した雪肌が、妙に色気があって胸がざわつく。
黒眼ではあるが、海底を思わせるその眼は煌々とした光を放っている。その眼にどこまでも吸い込まれてしまいそうで。
どうしてこんなにも魅力的なのか。
どうしてそんな満面の笑みを見せれるのか。
どうして──。
明るい光景を想像していたはずなのに、軽く暗い気持ちになってしまった。
司書は心に黒色の布をかけ、無理矢理つくった笑顔で店の人に話しかける。
「すみません。これを二つ、いや三つ下さい」
「はいよ。そこに金額は書いてあるからね」
人当たりの良さそうな中年の男が商品に視線を送った。
そう言われ、司書は陳列された商品の下に立てかけられた四方十センチぐらいの値札を一瞥。
腰に括り付けた小さな鞄から巾着を取り出し、そこからお金を差し出した。
「うん。はい、これ。中に肉が入ってて美味しいよ~」
「ありがとうございます」
お金と引き換えに茶色の袋が渡される。
言われた通り出来立てのようで、温かな熱が袋を通して伝わってきた。
袋を開けると、先ほど嗅いだ香ばしい匂いが司書の嗅覚を刺激した。
「アンタ、気ぃつけなよ」
「え? なににですか?」
「獣人。アンタのような奴よく狙われるからな」
「大丈夫ですよ。こう見えて俺、結構強いんですよ?」
と冗談めいた口調で司書が言う。すると、男はあごに手をあてて、
「へぇ見たところそうには見えねぇがな。もしかして魔術師かなんかか? いや、でも白魔術師だったら、白い外套着てるか。しっかし、白魔術師様には感謝せんとなぁ。あの方達のおかげで俺たちは平和に暮らせてるんだからな」
男はへらへらと笑った。なんの混ざり気もない笑顔。
しかし、それが獣人を差別して生み出されてるもので、司書の胸は締め付けられた。
だがここで表情、言葉、行動にして表すのは愚の骨頂といえるだろう。
司書は歯痒さを覚え、奥歯を噛み締めた。
だってこの街は──いや、この世界は腐っているのだから。
特に獣人排斥を推し進めている教会、『ドゥーデン』の存在は大きい。
この国の歴史書だと、自分が生まれるより前に設立したと記されており、幼少期の司書は読んでいた。
その頃は幼さ故に、獣人を差別することに対してこれほど疑問を抱き、世界に絶望して、運命を憎むなんてことはなかった。無知な者ほど利用される。そして、小さき者などは格好の獲物だったのだ。
でも今は違う。
司書はそう自負している。
十一年前まであった獣人の国、『テリアン』を忘れない。
最後まで獣人排斥と戦い続けてきたあの勇姿を──。
忘れない──。
司書は暗示をかけるかの如く、かたく胸に誓う。これだけは忘れてはならないと。
夕焼けに照らされた司書の背中に目に見えない十字架が圧し掛かっていた。
十字架は重い。今にも圧死させてしまわんばかりの重さで、彼を苦しめる。
もう罪の対価などとうに支払われてしまっているはずだ。いや、元からそんなものなどなかったのかもしれない。しかし、司書は今も自分に責任を感じている。この赤らんだ光が沈んだあとには、冷たい闇のみが残される。
ただ、司書の緑眼はそんな暗さなど比でなく、深淵で、暗然としていた。普段ルーシーに向けている澄んだ光の面影はどこにもない。男からは悟られぬよう、粛々と、冷めた視線を司書は浴びせていた。
いっそのこと、表立ったことをして完全なる反逆者となってしまえと誘惑するものがある。
その誘惑は恐ろしく魅力的に感じられたが、ルーシーの姿が思い起こされて、それだけに留まった。
ダメだ。自分にはルーシーがいる。もし捕らえられ、殺されでもしたら、誰が彼女を支えるのか、司書は不安でならなかった。カイト? 親友なら支えられるかもしれない。
けどそれは出来ないと、司書は悟っていた。
ルーシーにぬいぐるみを渡そうとする時に、偶然そこに心が入ってしまった。それがカイト。具体的に誰の心かというのはわからないが、司書とは何かしら関係はあるのだろう。
問題なのは、彼がぬいぐるみであるということ。
人の言葉をしゃべったりはするものの、肉体的な温もりというものが欠けているのだ。言葉は投げかけてやることが出来ても、ルーシーに寄り添って安心させてやることが出来ない。
肉体的な温もりを持たない彼にとって、それがどんなに辛いことなのか、司書には想像出来た。
白い吐息を漏らし、拳を握った司書は、声を上げる。
「白魔術師、か。たしかにこの街は彼等に守られているよな。ご苦労なことだ」
──殺しを働いてるくせに、
そう呟きかけた口を司書はつぐんだ。
口に出してはダメだ。仮に口に出そうというものなら、すぐさま大勢の白魔術師が彼の元に集まってくるだろう。そうなると、切り抜けるのは難しい。
「あ、そろそろ行ってもいいですか? この後ちょっと用事が」
「あぁ引き止めて悪かったな。また来てくれよ~!」
ブンブンと手を振って、店の宣伝をする男。
しかし、司書は二度とこの店を利用しないと誓った。
パンの入った袋を脇に抱え、まだ人通りの多い道を縫うようにして、司書は歩いていく。
次第に闇も深まってきて、レンガ造りの建物に取り付けられた街灯が街を照らしはじめる。
格好のせいもあってか、司書の存在が薄くなっていく。
まるで、闇と一体化しているかのようだった。
何度も人と身体がぶつかったが、不意に司書は違和感を覚えた。脇にあった温かな熱がなくなっていたのだ。
咄嗟に後ろを振り返るもののごった返す人々のせいで、パンを奪った犯人が判らない。司書は来た道を戻って、人という人を見ていくがそれらしい人物を見つけることは出来なかった。
ハア、と大きな溜息をして、道外れにある路地へと入る。
こんなところに獣人がいるとは思えないが、先ほどの男の言葉がよぎり、司書を悩ませた。
「そんなわけないよな……」
獣人がやったとは思いたくない。あんなの誰かの妄想が生み出した作り話。それが広がっただけだ。ただこの気持ちが何だろうか。
思いたくない気持ちが高まっていけばいくほど、司書の心を蝕んだ。
意識を逸らそうと、司書は路地の先を見る。
彼の背後同様、明るい光が漏れ、活気に満ちた声が溢れていた。
ここだけだ、隔絶されているのは。
そんな風に司書は思った。
この路地の暗さ、静けさがこの世界の闇を表しているようにも感じられた。偽りの平和の下で、これほどのん気でいられる彼等に対して、司書は憤りを感じる。
ぶるぶると震える拳を、司書は建物の外壁に叩きつけた。瞬時、叩きつけたところから、鈍い衝撃が伝わってくる。
すっ、と頭が冷えていく。昂ぶった感情を落ち着かせるのには良い薬だったようだ。
冷静さを取り戻した司書の眼が、不意に街の明るさを背にして立つ一人の人物を捕らえた。
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