003.陰謀
とある一室。
部屋全体に何らかの術式でも描くようにして燭台が置かれている。その中に二人の男が、食い入るようにして、何かを見ていた。
一枚の板にも似たそれには、この国の民衆達が写っていた。
『獣人は滅ぼせ! 我々の安寧を築くためには!』
『獣人は滅ぼせ!』
『滅ぼせ!』
『獣人に裁きを! 奴等の存在を絶対に許すな!』
『獣人に裁きを!』
『裁きを!』
『我々の救世主は白魔術師様だけだ!』
『獣人と手を組んだ黒魔術師は敵だ!』
「キラ様。民衆はこのような風潮にあります」
「ご苦労であったぞ、ルーン」
「はっ。では、これは消してもよろしいでしょうか?」
「問題ない」
キラの問いに、ルーンは薄い青色の四角のものに向けて人差し指を軽く振った。彼の腰にかかっている青色に輝く石が、玉を砕くような鋭い音をたてて割れる。
途端に青の画面は消え去り、静けさが二人を包んだ。
「ではこれにて失礼致します」
跪いていた足を起こし、ルーンはキラに背を向けた。
立ち去ろうとするルーンにキラは声をかける。
「時にルーン」
「はい何でしょう? 本日の分の獣人は狩り終わりましたよ?」
「いやそのことではなくてな」
「黒魔術師ですか……」
ルーンの声音にわずかな動揺が現れている。
白魔術師であるルーンにとって対である黒魔術師は決して軽視できる存在ではないのだ。
獣人の中にも白魔術師でも太刀打ちできないのはいる。それは黒魔術師も同じ。問題なのは、白魔術師と同じに彼らもまた使霊を有していることである。
魔術師同士の戦闘では、使霊だけではなく、術者にも気を回さなければならない。
ところで、魔術師が『黒魔術師』、『白魔術師』に別れているのはなぜか。
単純な理由である。
獣人の存在を肯定するか、否か。
肯定するのが黒魔術師。
否定するのが白魔術師。
まるで差別をするかしないかと問うような、そんな感じ。いや実際そうなのだ。
どこかの文献では差別についてこう書かれている。
──『人道に対する罪』、と。
つまり、否定している白魔術師の方が悪である。
しかし、その世界では真逆であった。
黒魔術師が不義で、白魔術師こそが正義。
黒魔術師は異端者として考えられ、世の中でひっそりと生きるしかなかった。本当のところどうなのかははっきりしないが。
ただ、ルーンが考えてたのはそのことではなかった。黒魔術師に関わることではあるが。
ルーンの知り合いの中には黒魔術師がいる。おかしなやつと言えば、簡単な話ではあるが、中々思えないからこそ、ルーンは悩んでいた。
先刻のルーンの動揺は、自分と彼との繋がりが発覚してしまうのではないか、と恐れからくるものである。
きっと、彼はまだどこかで生きてるはずだから。
きっと、見つけたら殺さなければならないから。
元白魔術師の彼は優秀であった。してくる攻撃にはまったく粗がなく、迷いがない。しいていうなら肉弾戦限定ならギリギリ太刀打ちできるレベルであった。そして、ルーンが目標としていた人物であった。
なのに、
ある日、彼は黒魔術師になってしまった。
ルーンはぎりりと奥歯を噛み締める。
「どうした?」
キラは、気味が悪そうな顔をしてルーンを見つめていた。
「いやもし対峙することとなったらどう戦うべきか考えておりまして。並の黒魔術師ならまだしも、我々『十字の賢者』と並ぶ者が現れたら流石に油断は出来ませんし……」
数秒、キラの眼が丸くなって、やがて破顔した。
「はっはっは。何を言うかと思えば。ルーン、お主は謙遜というものが好きだなぁ。『十字の賢者』でもワシについで二番手に位置しているというのに。そんな心境だと足元すくわれるぞ」
「以後気をつけます」
「とりあえず黒魔術師を見つけたら容赦なく殺せ。同情などするな。奴等はあの忌々しい獣人に手を貸す異端者だからな」
「承知致しました」
ふふ、とキラは口角を上げ、一つの絵画の前まで歩いていく。
数多の死体の上に真紅の旗を掲げる男が描かれていた。
まったくいつ目にしても吐き気がしてくる。
死体は片腕がなかったり、内側の臓器が外に飛び出しているのもある。男はそんな光景に悲しみの表情を浮かべるのではなく、聖母のような癒しを感じさせる表情を浮かべている。この光景とはあまりにも不釣合いで、猟奇的な印象をルーンは受けた。英雄などとはとても思えなかった。男がこの死体を量産したとさえ思える。
ルーンは一瞬、その男がキラだという錯覚に陥った。左右に頭を振って、虚構から現実へと引き戻す。
あろうことかこんな醜悪な絵にキラ様を重ねてしまうとは……私は疲れているのだろうか。
ルーンはこめかみを押さえ、自身の失態を恥じた。
このままここに留まっているとあらぬ衝動に駆られるかもしれない。
一抹の不安がルーンを襲い、一滴の汗が蝋燭の火に照らされた。
「私はもうお暇しても?」
「構わない」
キラはルーンに背を向けたまま応じる。
ルーンが扉に手をかけようとした時、キラは振り向いて、
「これからの活躍に期待している」
「精進します」
この人はこうして人を励ますことも忘れない。同時に「期待」という言葉を使うことで、自分はお前のことを監視しているからな、と警句も発していた。
恐ろしい。これが『十字の賢者』の一番手に位置している男。
声は聞き取りやすく、変に威圧感を出そうとしている感じはない。だが、どこか支配されてるような、お前は俺の下なんだぞ、と絶対的服従をさせられている気分になる。
彼に敵う者などいないと思うのだが。
なぜ、彼は獣人を排そうとしているのだろう。
疑問でしかならなかった。
まかれた疑念の種はいつしか芽生え、成長していく。
いったん成長すると、刈り取られるまで成長しつづけ、疑いの対象に反旗の棘を見せつける。
ルーンは必死に自己を押し殺し続けていたが、この瞬間、彼の中にある種が芽を出した。
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