002.断章1
昨日は体調不良のため更新が出来ませんでした。すみません。
男は幼い頃、両親に捨てられ、教会『ドゥーデン』の傘下の孤児院で暮らすこととなった。
男は自分からなにかをするという積極的な子ではなかったため、周りからは孤立していた。なので、男は孤児院に置いてある本を読み漁った。
そのうち孤児院の本を全て読破してしまった。
しかし男には、足りないという感情しか残らなかった。
普段はあまり自分から話しかけない男が話しかけてきたとなったらそれはもう嬉しかったことだろう。孤児院の職員は男に笑顔を向けた。
「おや珍しいね。訊きたいことってなにかな?」
「どうして獣人がいい存在になってる本ってないの?」
さっ、と職員の顔から血の気が引いた。それも当然。
世の中は獣人排斥の空気で満ち溢れていたからだ。
ましてやここで。
白魔術師という獣人討伐集団をつくりあげた『ドゥーデン』の傘下でそのことを口走るのは命取りともいえた。職員は言葉選びに迷いながらも、努めて冷静に、水のような透明な表情をして答えた。
「それはね、獣人がとっても悪い存在だからだよ」
「ふーん」
「あなたがね白魔術師になればきっとわかるはずよ」
職員は男の赤髪を撫でた。ただひたすらに願いを込めて。
◇◇◇
それから男は十歳という若さで白魔術師へ入ることを薦められる。理由としては獣人と対抗するために必要な力、魔力が非常に強大だったからだという。男自身ではなく、彼が契約することとなった使霊が、だ。
この契約の儀式は年が九歳になった子どもは誰にでも通る道であった。
使霊と契約を結ぶための手順としてはまず、木の枝を六芒星の形に置いて、その中心に自分が入る。
入ったら短刀で自分の指に切り込みをいれ、血を一滴垂らす。
ここでなにも起こらなければ、その者は契約する資格がないということになる。何らかの現象が起こった者だけが認められるのだ。
男の場合はこうであった。
男の眼前には白ローブを身に纏った人が十人ほど立っていた。左胸には皆、蒼い、煌々と輝きを放つ釦がついている。
床には白ローブの者達の背後にあるステンドグラスから射し込んでくる陽光が落ちていた。
白ローブのうち一人が鈍色の十字架を持って数歩前へと出る。
「汝、刀を持って己に傷を付けよ」
その声に合わせて残りも合唱する。
「傷を付けよ」
男のすぐ下に置いてある短刀を拾い、刃を人差し指にあてた。ゆっくりと引き抜くと、皮膚が裂け、そこから赤い血が出てくる。やがて、ぽとり、と血が落ちた。
──次の瞬間。
先頭に立っていた白ローブが吹き飛ばされ、ステンドグラスに直撃した。亀裂が走り、ステンドグラスが飛散して、骨組みの部分が露になる。白ローブは顔面からそのまま自由落下していった。数秒遅れて飛散したスタンドグラスの欠片が床にへと落ちた。
どっと、ざわめきが走る。
白ローブ達が落ちた者のところへ駆け寄っていく。一人がその者の腕を取って、湿った声で言った。
「死んでる」
この事件があり、男は一時監獄へと収容されたが、すぐに解放された。そして先にも言ったように白魔術師に入ることを薦められたのだ。薦められたというより、入らないと命はないという脅迫的なものだった。
◇◇◇
それからというもの男は白魔術師として獣人を殺し続けた。
だが獣人との戦いは常に無感動で、なにも沸き立つものがない。白魔術師になれば判ると思っていたのに、未だに男はどうして獣人がそれほどまでに悪い存在なのかが判りきれていなかった。寧ろ依然よりも判らないという泥沼にずっぽり嵌っていた、という可能性もある。
血の暴風が吹き荒れる戦場でその臭いは男をますます混乱へと追いやった。
次第に戦っている意味も分からなくなり、男が道を見失っているところに、
「深く考えるな、考えるだけ無駄だ。考えればお前が壊れる。単に俺らは獣人を殺すことで平和が築ける。いやがおうにでもそう思うのしかないのさ」
と言ってくれた中年顔の巨漢もいたのだが、その後の戦いで命を落としてしまった。
無惨な死に方だった。
おそらく巨漢がやったのであろう彼の周りには四体の獣人の死骸が転がっていた。その内二体の近くに巨漢の右腕と左脚が物言わぬ肉塊として鎮座していた。死に際にでも切り取ったのだろう。
巨漢に目を遣ると、切り取った部分からは紅く染まった肉と白い骨が覗いていた。
一陣の風が吹き荒れる。
気持ち悪い滑り気を帯びた血の味が鼻腔と口腔を刺激した。
男は誰に向かっていうのでもなく、かといって誰かに聴いてほしいとでもいうように空を見上げた。
ぽつり、と一つ呟きを漏らす。
「こんな戦いに一体何の意味があるというんだ……」
◇◇◇
意味を見つけられなかった男は、意味を強引にあてがった。
すべては金のためという意味を。
殺せば多額の金が入る。普通に働くよりもよほど良い手段。
孤児院出の自分にとって金はあっては困らないものであったため、ある種に理に適ったものだった。
しかし男の真意はそこにはなく、こうすることによって自分に中にあるなにかが変わるかもしれない。そんな希望的観測。
結果、それはただの勘違いであったのだが。
◇◇◇
殺しを重ねていくほど、男の虚脱感は増していった。
ついには戦いが終わった後、戦場を徘徊するという珍妙な行動をも取るようになった。始めは動かなくなった死体を見るだけでも胃酸が込み上げてきたのに、今では死体は死体でも身体がぱっくりと紅く開いたものを見てもなにも思わない。
どこか頭のネジが外れてしまっているのだと思う。
自分はきっと異常なんだ。
殺しを働いてもなにも抱かないって。
五歳の頃に読んだ本では、人殺しをした者は頭のなかにある地獄から逃れられないと書いてあった。地獄がどういうものかは想像がつかないが文面から察するに、思い出したくない光景が浮かんでくるといった感じか。
だがしかし、自分に思い出したくない光景なんてあるのだろうか。
「ないな……」
地面から突き出た岩石に背中を預け、息を吐くのと同時に男は言った。
目を閉じると、先刻の戦いが脳内再生される。
男の召喚した使霊の射程に入った者は次々と薙ぎ倒されていく。
特に大勢の鮮血が一気に噴き出す光景は、惨景を通り越して絶景だった。
とはいっても相手が全て弱かったわけではない。
男は更に記憶を鮮明なものにしていく。
両手に鋭い鉤爪を宿した紳士然とした男。
後ろで三つ編みにして一つに結んでいる髪は黒くて、解いたら胸ぐらいの長さはあった。
そういえば、と男は思い出す。
◇◇◇
鉤爪の男は顔を燻らせて、半ば懇願するかのように声を発した。
「私の家族は皆、あなた達人間によって殺されました。何の罪もないのにも拘わらず。静かに、平穏に暮らしていただけなのに殺されました。どうして私の家族は殺されなければならなかったのでしょう。獣人だからですか? あなた達がそんな理由で殺しているなら、それは傲慢というものでしょう。勝手もいいところです。答えて下さい。あなたは今、何の為に戦っているのですか?」
急な問いかけに、男は眉をぴくりと動かす。
「……金のためだ」
「お金ですか?」
「あぁ、あんたらを殺せば、金が入る。どうだ? ちゃんとした理由だろう?」
「いいえ。それと今ので確信しました」
鉤爪の男が、左手を顔の前にやる。
鉤爪の合間から覗く彼の瞳には沸々とした怒りが滾っていた。
「あなた達はやはり傲慢だ」
最後には男が勝利した。
彼の使霊の持つ剣が、鉤爪の男の胸を貫き、背中から飛び出ている。すでに瀕死の状態なのに、それでも鉤爪の男の瞳の色は消えない。使霊の剣を掴み、投げようとする。無論そんなことすれば鉤爪の男もただでは済まない。
もう勝負の決着は着いているはずなのに、男は疑問でならなかった。
「あんたそんなことしても意味なんか」
鉤爪の男は笑った。どうして笑える。
男は言いがたい恐怖を感じ、若干ではあるが震えていた。
勝ったのは自分なのに。
笑みを絶やさないまま、瀕死の男は声を張り上げた。
「あるさ。家族のかたき、とらないと──」
叫んだ直後、口腔内に血が溢れ、喀血した。血飛沫が飛んで、男の顔にふりかかる。瀕死の男はくつくつと笑い、
「ざまあみろ」
と笑みを絶やさぬまま言った。そして動かなくなった。
◇◇◇
空は今にも雨でも降ってきそうなほど低く垂れ込めていた。
「勝ったのに負けた感じがする勝負なんてあるんだな」
これまで感じたことのないものに男は少し笑っていた。
轟々と空が音を立て始める。天が血で濡れた大地を洗い流したいのか。降り出し始めこそ弱かったが、雨は勢いを増していく。
男の髪がべっとりと顔にはりついた。
しばらく呆然としていた男だったが、立ち上がっていつものように戦場を徘徊し始める。
今回の戦いによって男を含む白魔術師は獣人の国『テリアン』を崩壊させた。だがそこで終わりではなく、勢力が細切れに残っているため、全て根絶やしにするというのが教会『ドゥーデン』の総意だった。
戦いはまだ終わらない。
いつまで自分はこんなことをしなければならないのだろう。
少しして道なき道から石畳が続く道が現れる。
自分か他の白魔術師がついさっき潰した獣人の村だ。至る所で炎が見られ、黒煙が立ちのぼっている。
折れかかっている村の看板にこの村の名前が書いてあった。
「ワーフ村……いや違うか……」
目を凝らす。なんとか、かすれて見えにくくなった字を読み取ることが出来た。
「なるほど。人狼の村か」
人狼とは人の姿をした狼である。尻尾や頭から生えた耳が隠せない人狼は半狼と呼ばれ、一人前と認められる儀礼を通過すると人の姿と狼の姿を自在に変えられるそうだ。
──『獣人生態論』より。
すぐさま男の脳内にその文献の一節が浮かんだ。次いで人狼の恐ろしさを謳った本の題名がいくつもでてくる。
ふと、男は白魔術師となったこの五年も間、自分は一体どれだけの獣人を殺してきたのか、と思った。
ついさっき殺した鉤爪の男の相貌もどうだったっけとなる。
無駄なことは覚えているのに忘れてはいけないことは忘却……どこかの本にあった、知識はあるのに感情はない、そういうのを機械というのだと──
「俺は機械かもしれない」
雨足がさらに強さを増した。
そうして男は村に入っていく。
十分ほど歩いた時、声が聞こえ、足を止めた。
──子どもの声。
泣いている。この辺りに人間の子どもはいないので、獣人の子どものはずだ。
泣き声はもう数え切れないほど聴いたが、そのどれにも似ていない。いや本当は同じだったのだが、この時の男の心中がそう思わせた。
倒壊した建物を壁にして、そこから覗く。
年端もゆかない少女。
小柄な体型をしていて顔立ちも幼いことから十歳未満だと想像できる。
突如、心臓が剣でも刺突したかのような鋭い痛みに襲われた。胸を押さえる。だが、その時に大きな音を立ててしまった。
「だゃれ!?」
少女は血相を変えて、周りを激しく確認する。
「かくれてないで出てきてよ!」
眼を充血させて少女は誰ともしれない者に叫ぶ。
それに応じ、男は躊躇うこともなく少女の前に出た。
出てきたのが同族でないと判ると、少女は指先から震え始めた。男が一歩近づくたびにその震えは増していく。
「ひ、ひとごろし! あんたたちなんか死んじゃえ!」
声を張り上げて男を罵倒する。犬歯をむき出しにして威嚇するが、可愛らしいものだった。
だが、先ほどと同様の痛みを感じた。
それでも男は罵倒してくる少女のもとに歩むのを止めなかった。
殺すつもりで歩み寄ったわけではない。純粋に少女に興味を持って男は近づいた。
少女は身を萎縮させ、その場で固まってしまっている。頭から生えた耳はびくびく震え、尻尾は少女の腰に纏わりつき、怯えの篭った視線を放っていた。
「どうしてくるの……」
紛れもない懇願であった。
男が触れようとすると、少女は大きく距離を取った。
「アルマだ。よろしく」
手を差し出す。こういう警戒されてる時は名前を名乗るといいと書いてあった。
失敗に終わったが。
──必ずルーシーがあなたたちを殺すから。
半狼の少女、ルーシーは吐き捨てるように言って逃げていく。
男はなにもせず、追いかけもしなかった。過ぎ行く少女の背中をじっと見つめていた。
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