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ミゼルコリアの双封珠  作者: 早匂 素花
■ 3 : 王都ミコリアナ
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1

 ミゼルコリアの巫子には、神の澱をその身の封珠に封じるという役目上、強大な魔術の素質が必要である。

 巫子はミコリア王国の王族内に現れることが多いが、そのほとんどが強い魔力を持った姫だったという。

 だが、王族の血は魔術の適正が低いのか、ミコリア王族で強力な魔術を扱える者が生まれることは少ない。

 それゆえ、生まれた姫に魔術の素質があると、巫子の候補と目されることになる。特に“闇”期の周期が近付いているときは。

 しかし、男児が高い魔力を持つ事例は、滅多になかったのである——




 歩き出したとたんに、足先にスカートの布がまとわりついて、ジーナはつい顔をしかめてしまった。

(旅装の方が、身軽だったわ)

 旅の間はずっとズボン姿だったので、ドレスを着るのは久し振りだ。

 王妹にしてはずいぶんと簡素な、飾り気の少ないドレスではあるものの、床に届くスカートは布が重なって重いし、袖もショールも長くて動きが鈍くなる。

 とはいえ、身に着いた王族の所作は忘れていない。ジーナはスカートの先を軽く摘むと、裾捌きも軽快に歩く。既に訪問を伝えてあり、先触れの侍従はいないから、自分の速度で進める。

 ミコリア王宮は、王都ミコリアナの北端、緩い丘の上にある。公的な領域である外宮、王族の生活領域である内宮、国内の神殿を統括する大神殿、魔術庁の本部などが、丘全体にゆるやかに配置されている。

 王都に戻ってきたジーナは、ひとまず外宮の外れの部屋で旅装を解き、国王に謁見するために格好を改めた。内宮の自分の私室に戻ることも考えたが、出奔していた王妹がいきなり現れたら面倒なことになりそうで、そちらは後回しにしようと決めた。

 そのため、国王の執務室にはすぐに到着する。

 ここはミコリア国王が、謁見や会議以外の主に書類仕事をするための部屋である。落ち着いて仕事ができるようにとの配慮からか、外宮の表側とは少し離れていて、人の通りも少ない。

 通常であれば、王妹との会談は小さめの謁見室を使うことが多いが、話の内容を考慮されたのか、人目の少ないこちらの部屋を指定された。

 入り口前の衛兵が、ジーナの来訪を部屋の中に伝える。すぐに入室を許可する低い声が返ってきた。

「ただいま戻りました。国王陛下」

 扉から一歩入ったところで足を止めて、ジーナはしきたりに則った優雅な礼をする。

 部屋の主は、重厚な執務机の向こう側で彼女を待っていた。

 ミコリア国王クロウテイルド——ジーナと良く似た、白金の髪。人柄の良さが伺われる明るい茶色の瞳。前王の早逝により二十代で王位を継いだ年若い国王ながら、誠実な態度と懸命な“闇”への対応で、国民からは信頼されている王だ。

 そのクロウテイルドが、ジーナの姿を見て立ち上がった。そして、その勢いでジーナの元に歩み寄る。

「ジーナ! 遅かったじゃないか。ようやく戻ってきたと聞いて、いつ会いにきてくれるかと待ち焦がれていたのに! 兄のことを忘れていたんじゃないだろうな!」

「……身形を整える時間くらいお待ちください、お兄様」

 広い胸に抱き締められそうになるのを、腕を掲げてなんとか阻止しながら、ジーナは諦めの気持ちで視線を天井に投げた。

 この兄王が、年の離れた妹姫であるジーナに過剰な親愛を表現するのは、今に始まったことではない。他のことに関しては公平さも鷹揚さも十分なほどなのに、ことジーナに対してだけはその泰然とした気配が消え去るのを知ったら、信頼してくれている国民たちは幻滅するのではないか、と思う。

「書き置きひとつで行方を眩ませていた妹が数ヵ月振りに帰ってきたんだ。早く顔を見たいと望んで当然だろう」

「……陛下のお立場上、せめて一言くらいは、巫子姫の浅薄な行動に苦言を呈していただきたいところですが」

「堅いことを言うな、エランゼイル」

 先に執務室内で控えていた神官長が、呆れた視線をクロウテイルドに向けたが、本人は気にしていない。

「そんなことより、陛下。わたしにはお伺いしたいことがあるのですが」

「お前も、堅苦しい態度はよせ、ジーナ。既に人払いはしてある。率直に話した方がいいだろう?」

 未だにジーナを抱き締めようと、彼女の回りをうろついていたクロウテイルドだったが、その瞳が意味ありげに鋭くなった。

 それにジーナは頷くしかない。

「とりあえず、二人とも座れ」

 促されて、ジーナは執務机の横にある長椅子に腰掛けた。エランゼイルも、壁際に置かれていた椅子を持ってきて、少し離れたところに座る。クロウテイルドは執務机の向こうに戻って座ると、肘をついて組んだ手の上に顎を乗せた。

「で。何をどう話していけばいいんだ」

「お兄様がご存知のことを全て」

「全てと言われてもな。私だってまだ、ジーナが戻ってきた経緯は知らん。……エランゼイル、報告と説明を任せた。お前ならうまく整理しながら進行できるだろう」

「かしこまりました。長い話になりますが、よろしいですか?」

「構わん」

「では、まずは巫子姫が役目を放り出して出奔されてからの、王都の状況からご説明しましょうか」

 エランゼイルの言葉は丁寧なのに、端々にふんわりと包まれた棘が見え隠れする。自分が悪いことだとはわかっていても、その刺激はジーナにとって痛みがあった。

「巫子姫が出奔されたのは、ミゼルコリアの巫子として神殿に入られた後でしたので、事実は公表されておりません。表向きは潔斎のためにずっと神殿に籠られていることになっています」

 ジーナが消えたことは、神殿と王宮のごく一部にしか知らされなかった。そして魔術兵団内に、サリュウを筆頭にした捜索部隊が編成された。

「残された書き置きを信じるなら、巫子姫が向かうのは各地の“闇”出現箇所のはずです。そして魔術庁には国内の広い支所網がある。巫子姫の居場所は、わりと早いうちに掴むことができました」

「えっ。そうだったの? できるだけ目立たないようにしていたのに」

「“闇”期の今、一人旅をしようという少女など、ほとんどおりません」

 ジーナとしてはうまく逃げていたつもりだっただけに、居場所を把握されていたことは手のひらの上で踊らされていたようで悔しい。

「もっとも、居場所はわかっても、巫子姫を捕まえることはできずじまいでしたが」

「ジーナの魔術の気は魔術兵団の誰よりも大きいだろうし、風馬も付き従っているし、それは仕方ないだろうな」

 自慢気にジーナの魔力を称えるクロウテイルドに、エランゼイルは“暢気なことを言っている場合ではない”という冷たい視線を向ける。ジーナにも醒めた目で見られて、クロウテイルドは気まずそうに首を竦めた。

「テオラ領でサリュウたちから逃れたあと、神気脈の流れを考慮すれば、巫子姫がルビナ領に来られることは予測できました。それが私の視察と同時期になったのは偶然ですが、結果的には幸運でした」

「そういえば、なぜ神官長であるあなたが、わざわざルビナ神殿まで出掛けていたの?」

「ルビナは小さな街ですが、神気脈上は王都につながる重要な拠点なのです。……陛下。後ほど神殿の担当者から正式な報告が上がってくるでしょうが、先にご報告をいたします」

 エランゼイルはジーナからクロウテイルドに向き直ると、表情を改めた。

「ルビナ神殿内で、“闇”の出現を確認いたしました。ルビナの“闇”自体は同行していた魔術兵団が排除いたしましたが、消え去ったわけではありません。神気脈の流れに乗って、このミコリアナにも近いうちに到達することでしょう」

 報告の内容に、クロウテイルドも表情を引き締める。

「そうか……王都に残っている魔術師や魔術兵団に伝えて、警戒を強めさせよう。民たちにも避難の準備はさせておく」

「神殿の方では、神気脈の流れから、“闇”の到達日数や出現箇所の予測に努めます」

 二人の会話を聞きながら、ジーナは膝の上に揃えていた両手を握り締めた。

 自分にきちんとした力があれば、“闇”がここまで来る前に浄化できていたかもしれない。いくら各地を回って“闇”を排除したところで、根本的な解決にはならなかった。

 必要な力を持った巫子が他に現れてくれれば……そう思いかけて、ジーナは胸元に手を当てた。

 巫子の証である、身に浮かんだ神の封珠。

 これを宿していたもう一人の人物——ロイエルセルト。

 彼は全方面に秀でた素晴らしい魔術師だ。本来であれば、彼の方が、巫子に相応しいのではないか。

 その彼が、なぜ“闇”の中に身を隠しているのか。

 ここまでの話では、まだまだ疑問は解けない。

「それで、そのルビナ神殿から王都に帰ってくる気になった理由を、そろそろ聞こうか」

 クロウテイルドに話を振られて、ジーナは姿勢を正す。ごくりと息を飲み込んで、口を開いた。

 神殿から脱出した後、旅をしながら各地の“闇”を除いていたこと。“闇”の近くにロイエルセルトの気配を感じていたこと。そして“闇”の中から現れたロイエルセルト。

「ロイエルセルト様の魔術の技量は、わたしよりも上です。お会いしても、捕らえることはできませんでした。そして、ルビナ神殿で……」

 まずはルビナ神殿で起こったこと、目にしたことだけを、できるだけ正確に思い出して語る。ジーナ自身の疑問は後回しだ。

「なるほど。ロイはもう自分の身を使い始めたか……」

 ジーナの話を聞きながら、クロウテイルドは眉間に深く皺を寄せていった。

 クロウテイルドにとっても、ロイエルセルトは従弟と呼べる血縁だ。ジーナが懐いていたこともあって、彼も他の王族よりはよほどロイエルセルトと親しかった。

「そうおっしゃるということは、やはりお兄様もロイエルセルト様の身にあるミゼルコリアの封珠のことをご存知だったんですね。なぜロイエルセルト様にも封珠があるの? 神の封珠とは、いったい何なの? ロイエルセルト様も巫子なの? なのになぜ、あの方は神の力を掠めとろうなどとされているのですか!?」

 ついに抑えきれなくなって、ジーナは前のめりになって疑問を溢れさせた。

(そして、なぜ、わたしを“花嫁”と呼ぶの? なぜ、わたしを助けてくれたの——?)

 最後の疑問符だけは、唇を噛み締めて胸の裡に押しとどめた。

「その疑問にお答えするためには、まずはミゼルコリアの巫子の本来の役目からご説明しなければなりません」

 高揚したジーナを鎮めるように静かな声は、横にいたエランゼイルから発せられた。

「本来の役目?」

「はい。一般に知られている巫子の役目は、神に祈り溜まった神の澱を浄化することです。ただし、これは正確ではありません。この先の説明は、神殿に移ってからさせていただきたいのですが。陛下、よろしいでしょうか?」

「ああ、そうだな」

「ここで構わないわ! 早く教えて!」

「口頭でお話しするだけよりも、実際に目で見ていただいた方が早いかと」

「見る……?」

「神殿の奥で、密かに伝えられているものがあるのです」

 それ以上は説明することなく、エランゼイルが立ち上がった。同じく椅子を立ったクロウテイルドも付き合うつもりなのだろう。納得いかない気持ちを抱えながらも、ジーナも二人に従うしかなかった。




「この部屋に入ることができる者は限られています。国王、神官長以上の神職、魔術師長と副官、そして歴代の巫子、です」

 そう言いながらエランゼイルがジーナを案内したのは、大神殿の奥深くにある小部屋だった。

「通路がまったく異なるのでわかりにくいですが、この部屋の位置は、祈りの大広間のすぐ裏です。ここも神に通じるための場所なのですよ」

「こんな小さな部屋なのに?」

「巫子お一人のための部屋ですから」

 床の上には、ミゼルコリアがいるといわれる方角を示す小さな祭壇と人一人が横になれる程度の敷布が置かれているだけだ。その手前にジーナたち三人が立つと、もういっぱいになる。

「あちらの壁に描かれた絵をご覧ください」

 漆喰を塗った部屋の壁には、ミゼルコリアのもたらす恵みを表すのだろう、豊かに実った畑、水が溢れ出る泉、緑繁る森、躍動感溢れる動物などが色彩華やかに描かれている。絵の技法から察するに、ずいぶんと昔に描かれたもののようだが、窓のない部屋だからか保存状態はとても良かった。

 それらをぐるりと見回してから、エランゼイルに示された一番奥の壁に近付く。エランゼイルが掲げてくれた燭台に照らされたものを見て、ジーナは目を見張った。

「これは、もしかして、巫子?」

 その壁だけは、他の三面と異なり、描写の線は簡素で色遣いも控えめだった。描かれた年代がさらに古いのだろう。複数の場面が繋がるようにして一面の絵になっている。

「ずいぶん古くから伝わる壁画です。ここが最初の場面で、それからこちら……こちら……そして、ここ」

 エランゼイルが順に燭台を動かしていくのに合わせて、ジーナもゆっくりと視線を動かす。

 最初の場面では、黒い霧が街を覆っていた。

 次の場面では、一人の少女の胸元に光が差し込み、玉が浮かんでいる。少女の髪は、王族に多い明るい金髪だ。この少女が巫子に選ばれたのだろう。

 そして、少女が祈りを捧げる場面。

 黒い霧が集ってくる場面。

 その黒い霧が少女の胸元の玉に吸い込まれていく場面。

 そこまでは、ジーナもよく知っている流れだ。

 しかし、壁の端、最後の場面まできたところで、ジーナの顔が大きく曇る。

「……この最後の絵は」

 そこに描かれていたのは、黒い霧の晴れた街。ミゼルコリアの祝福の復活を表したらしき、天頂から差し込む眩い光。そして、街の外れで倒れこんだ巫子の少女。

 その少女の様子に、衝撃を受けた。

 明るかった金色の髪は、暗闇を塗り込めたように真っ黒に変わっていた。

 それだけではない。

 巫子の顔は、こちらもどす黒くかさついて皺だらけになり、少女らしい若々しさは消え失せていた。

 瞳は閉じられ、手足は力なく投げ出され、もはやそこに生命の気配はない。

 繁栄がもたらされた街とは対照的に、その一角だけが暗く重々しい。その重苦しさに、喉の奥が締め付けられる気がして、ジーナは胸元に手をやる。

 その手が服越しに硬い感触を得て、身体が強ばった。

 自分の胸に埋まっている、透明な封珠。この絵の中の少女にあるのと同じ物だ。ということは、この少女の末路は——

「これが、表沙汰にされていない、役目を終えた巫子の姿です」

 ジーナの不安を肯定するかのように、エランゼイルの声が重なった。

 いつもと変わらない落ち着いた口調だが、いつも以上に慇懃に聞こえる。

「巫子は神の澱をその身の封珠に受け止めます。けれど、膨大な澱はその封珠のみに留まらず、巫子の身体全体をも蝕みます。巫子はいくら強大な気の持ち主といえど、あくまでも人の身。澱を浄化し終わった巫子自身は、このように“闇”に冒されて絶えるのです」

 思い起こされるのは、ルビナ神殿での出来事。何が契機だったかわからないが、“闇”が胸の封珠に潜り込んできた。

 ロイエルセルトのおかげで、すぐに“闇”は抜き出された。だが、ほんのわずかの時間と量であっても、それは身体中が冷たく硬くなるおぞましさだった。

 それよりもっともっと大量の“闇”を受け入れなければならないなど、いったいどれほどの苦痛と恐怖だろう。

 ジーナは、強張った顔で壁画を凝視する。

「そんなこと、知らなかったわ。巫子に選ばれたときにも説明されなかった……」

「最終的にはご説明させていただく予定でした。しかしまずは、巫子に相応しいミゼルコリアについての知識や作法を覚えていただく方が先です。最初から不安にさせてしまっては、落ち着いて学べませんので」

「“ミゼルコリアの花嫁”など、真実を覆い隠す欺瞞の呼称でしかない」

 それまで黙っていたクロウテイルドが、彼には珍しい自嘲するような声音で呟いた。

「巫子自身の意思とは関係なく、巫子となった者にすべてを押し付け、その身を犠牲に差し出させなければ、“闇”期は終わらない。それを理解していながら、歴代の王たちは巫子に頼るしかなかった」

「誰が巫子に選ばれるかは、ミゼルコリア神の思し召し次第。我々は神の決定に従うしかありません」

「……だが、私とロイはジーナを……」

 言い掛けて止められたクロウテイルドに、ジーナは気付かなかった。それよりもエランゼイルの言葉の方が気になった。

「巫子を選ぶのはミゼルコリア神というけれど、それでは、わたしとロイエルセルト様のどちらが本当の巫子なの?」

「わかりません」

「わからないって、そんな!」

「本当に、わからないのです。過去に男性の巫子がいたことは、数はとても少ないですが記録に残っています。けれども、神の封珠を宿した者が複数いた事例はありませんでした。こんなことは初めてなのです」

「ロイに封珠が宿ったのは、ジーナが巫子に選ばれたしばらく後だった。異例の事態過ぎて、このことを知るのは私たちしかいない」

 ジーナは自分の身に封珠が現れたときのことを思い出した。

 前触れは何もなかった。神の啓示らしきものもなかった。ただ、ある夜、唐突に高熱が出て、翌朝に熱が下がるのと引き替えのように、胸元に硬い感触が浮かんでいたのだ。

 驚愕したものの、それがミゼルコリアの封珠であるという知識はあったから、ジーナはすぐにクロウテイルドと神殿にそのことを申し出た。それからすぐに『巫子が選ばれた!』と大騒ぎになって、早々に神殿に連れていかれてしまったため、その後の王宮の動向は知らない。

 ただ最初の朝の時点で自ら伝えなければ、しばらくは誰も巫子の出現に気付かなかった可能性はある。ロイエルセルトも自分と同じ流れで封珠を得たのだとしたら、特にジーナが既に巫子になっていた後だ。誰にも知られなかったとしても不思議ではない。

「ロイは封珠のことを私にだけは伝えに来た。そして、『自分に封珠が宿ったことは公にするな。魔術師長の職からは辞して姿を隠す。ジーナをおびやかすつもりはない』と言って、その言葉通りに姿を眩ましてしまった」

「しばらくロイエルセルト殿の行方はわかりませんでした。けれどある時、魔術庁に魔術で封印された彼の声明が届いたのです。『“闇”は自分が取り込んで、我が力とする』とだけ。その後のことは、巫子姫もご存知の通りです」

 ロイエルセルト魔術師長が、神の力を掠め取り反逆を企てている——その衝撃は、魔術庁と神殿内をまたたく間に駆け抜けた。神殿に籠って、巫子の役目をこなすための準備をしていたジーナの耳にもそれは届く。念じる魔術を巧く扱えず自分の巫子の適正に悩んでいた上に、そんなことを聞かされて、ジーナが大人しくしていられるわけがなかった。

 ジーナが巫子に選ばれたとき、ロイエルセルトの瞳が複雑な色をしていたのは覚えている。だが、ゆっくり彼と話す時間の余裕はなく、形式的な挨拶をなんとか交わせただけだった。そして、彼が姿を消した時、自分宛には何も残されていなかった。

 彼がなぜそんな行動に出たのか、ジーナには知る由もなかった。

 ロイエルセルトが何を思って大それた望みを抱いたのか、知りたかった。直接会って、問い質したかった。そして、彼を止めたかった。

 だから、自らの能力不足にかこつけて巫子の役目を放棄して、神殿を飛び出したのだ。

「“闇”を取り込んだら、ご自分の身体が冒されてしまうことを、ロイエルセルト様はご存知だったのかしら」

 知っていたはずだ。この部屋に入るときにエランゼイルが言ったではないか。ここに入ることができるのは誰か。

「ご存知の上で、どうしてご自分から“闇”の中に入っていこうなんて……」

「ロイエルセルト殿は理由までは伝えて来ませんでした。私からお話できるのはここまでです。ルビナの街でご質問されたことについては、すべてお答えしたかと思いますが」

「……」

 確かに、あのときの疑問には答えが出た。

 ロイエルセルトが胸に抱える封珠も、彼の髪色の変化の理由も。

 けれども、与えられた情報はそれ以上に多くて、かえってわからないことが増えてしまった。

「ずいぶん長くお話いたしました。いったんお休みになってはいかがでしょうか」

「そうだな。どこかで落ち着いてから、改めて考えても遅くないだろう」

 クロウテイルドに促されて、ジーナは大人しくその部屋を後にする。一度落ち着いて頭の中を整理すべきだ、ということだけは、ジーナにもわかっていた。


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