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手土産は真実で

 稀子はスマートフォンを離れたところに置くと、しっかりと竹を握りなおした。大きく息を吸って――。

 ぐぐぐぐぐっ

「わ! 何してるんだよ、稀子!」

 稀子はそのかわいい頬を真っ赤に染め、ぐうううううっと竹をこちらに曲げだしたのだ。小鹿のような足を頑張って踏ん張り、一歩一歩僕のほうへ歩み寄ってくる。

 こちらも押し返さないと、どんどん押されてしまう。僕も両手で竹を持ち、強く押した。不思議な感覚だ。竹自身も押し返してくるのに、全く折れる気配が無い。弾力を持ち、今にも弾け飛びそうに力を溜めている。

 ――まさか。

 竹がほぼ半分に折られるのと、稀子がぱっと手を離したのが同時だった。

「うわあああ!」

 僕はこの上なく情けない悲鳴を上げた。びっくりして手を離してしまう。

 僕らの手を離れた竹は勢いよく力を爆発させ、天井まで跳ね上がってぶち当たり、僕に向かって真っ直ぐに落ちてきた。

「稀子ぉ!」

 またまた、非常に情けない絶叫。

 結局、竹は僕の脳天に落下した。漫画みたいに綺麗な軌道だったと、のちに稀子は語る。痛え。

「危ないよ!」

 高校二年生の男子生徒が、中学そこそこに見える女の子に涙目で文句を言う。

 その後は言葉にならなかった。涙目でガタガタ震える僕に、稀子は薄い笑いを浮かべた。いつの間にか手元に引き寄せていたスマートフォンに文字が躍っている。

『すまない。だが、成功だ』

 うっとうしそうに髪を払い、稀子は竹を握ったままベランダに出ていった。僕も続く。

『若竹の弾力性は素晴らしい。壊れにくく、美しいから、竿として人気があるんだ』

 口元にうっすらと笑みを貼り付けたまま、稀子は竹をベランダの柵の真下にあてた。むりやり狭いベランダに押し込めてみると、竹の方が少しだけ長く、三十センチメートル分ほど湾曲している。

『七海、発泡スチロールのにおいを嗅いでみるといい』

 僕は言われるままに箱へ鼻を近づけ、

「うっ……」

 盛大にむせた。

『多分、釣りに行ったときに魚と氷を入れて持って帰ってきたのだろう』

 涙が浮かぶ。肺が悪くなるほど生臭い。まだ僕はむせている。

『大丈夫か?』

 いや、稀子、分かっていたなら先に言ってよ……。

『昨日の夜、柵は冷たかったんだな?』

 やっと新鮮な空気を味わえるようになった僕は、深呼吸をしながら頷く。

「凍りそうになっていて、手が痛かった」

『昨日の気温では、金属の柵が凍りそうになるほど冷えるというのはありえない。この発砲スチロールに入っていた氷が冷やした、と考えるのが一番妥当だろう。

君が駆けつけたとき、発泡スチロールの箱は空だった。柵は凍りそうなほど冷えていた。足元には伸びきった状態の竹が転がっていた――』

「うん」

 僕が駆けつけたときには、竹は柵の隙間から外に飛び出していて、伸びきっていた。

『七海』

 稀子が、疼く痛みを堪えているような顔で僕を見た。

 締め付けるような緊張で喉が渇き、僕も知らず知らず息を詰めてしまう。

「なに?」

『私はこの事件の概要を理解した。後は最後のピースを探し、嵌めるだけなんだ』

 僕は息を呑む。だが、それで終わりではなかった。

『君は、夏奈のためにその仮面を外してくれるかい?』

 『道化師』の仮面のことだ。『一般の常識』から外れ、『気味が悪い』本当の僕を世間から隠し、護るために作り出した仮面。

 厄介なのは、僕らがヒーローでも怪獣でもないことだ。あくまでも『一般』にとどまったまま、『常識』の外にいる。だから追いやすい。石だって投げられるし、こいつは黒い羊だと叫ぶことだって簡単なのだ。

 仮面を剥ぐことは、そのまま社会から追われることを示している。学校からも、大切な人たちからも、きっと。

「どういうこと?」

 乾いた舌が痺れてあごに張り付いて、上手く話せない。

『君の力を借りたいが、強制は出来ない』

 真摯な眼差し。

 僕は真っ直ぐに見つめてくる稀子から目をそらした。――最低だ。

 僕が黙っている間、稀子は真っ直ぐな視線を僕に注ぎ続けていた。

 どれくらい時間が経っただろう。分からなくなるぐらい――僕にとっては五時間くらいに感じられる時間が流れた。

「分かった」

 僕が散々迷って、ようやくか細い声を出すまで、稀子は何も語らなかった。

 ただ、僕がそう呟いた瞬間、思わず言いさした言葉を呑むほどに綺麗な笑顔を浮かべて見せた。

『ありがとう』

 シンプルなその一言と稀子の笑顔を、僕は一生忘れないだろう。


 「稀子、どういうことか説明してよ。分かったんだろ?」

 稀子は頷き、ちらりとドアを見た。

『無論、説明はする。だが、どうやらお客様のようだな』

 稀子の画面を覗き込んだ瞬間、部屋の外で何か言い争うような声が聞こえてきた。

「困ります……!」

「事件を有耶無耶になさるんですか!」

「通してください」

 佐々木さんの声ともう一人、女性の声。よく通る声だけど、きんきんと甲高い。興奮しているのだろうか。ドアノブががちゃがちゃと騒々しく動き、佐々木さんが入ってくる。

「やめてください! 早く病院へ戻りたいんです」

 ドアの外へ強い口調で怒鳴った佐々木さんが、僕らを見つけて目をむく。事情を説明すると、すぐに目を伏せてしまった。

「大丈夫ですか」

 何を言ったらいいか分からなくて、僕は定例句を口にした。佐々木さんはやつれた笑みを浮かべる。

 明らかに大丈夫ではない。心も身体も激しくすり減らしているのだろう。

『マスコミですか』

 稀子が語りかける。佐々木さんは微かに目の端を赤く染めた。

「私がやったんだろうって、追求してくるんです。皆そう明言はしないけれど、本当は何があったんだって……追い詰めてくるんです……」

 佐々木さんの声が震え、頬にも鮮烈な赤みが差す。

『あなたは、夏奈が落ちた瞬間を見たんですか?』

「いいえ。夕食の準備をしていたので、見ていません。悲鳴を聞いて、駆け出して……その時に、七海君が入ってきたんです」

 稀子が僕を見る。僕はそれで間違いないと頷いてみせた。再び指が画面上を踊る。

『あなたは、まるまる一匹の鯛やヒラメを買い付けてくることはありますか?』

 急に何を言い出すんだ。確かに、発泡スチロールに魚がどうとか言っていたけれど。佐々木さんも分からなかったらしく、首を傾げていたけれど、やがて首を振った。

 稀子は満足げに頷き、きょとんとしている僕を見てびっくりしたように目を見開いた。

 悪かったね、頭の回転が自転車並みで。

『夏奈のところに行ってあげてください。あと三時間以内に、あなたの疑いを晴らして見せます。そのときは報道者にもお知らせしましょう?』

 稀子の大きな瞳が、悪戯っぽく輝く。

『手土産は真実でいいですね?』


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