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死者からの手紙

 それから十分後、稀子が僕の部屋に到着した。

 白衣みたいに白い、お嬢様風のワンピース。黒髪とのコントラストがとっても綺麗だ。ただ、片眼鏡だけがものすごく強烈な場違い感を発している。いっそ、そのアンバランスさが欠かせないアクセントに思えてしまうほどだ。今日はパソコンを持っておらず、代わりに手にはスマートフォンを握り締めていた。

「おう。久しぶりだな、嬢」

 嬢とは、長谷川さんが稀子につけた呼び名だ。

『こんにちは。長谷川さん、高梨さん』

 稀子が画面を見せる。

『さっそくで申し訳ないんですが、現場を見せていただいてもいいですか?』

 高梨さんが頷く。

「現場検証も終わっていますし、大丈夫でしょう」

 いつも思うけど、本当に大丈夫なのか……?

 長谷川さんが、どっこらしょと調子をつけて立ち上がった。高梨さんと僕も続く。稀子は座ったまま、じっとベランダを眺めていた。

「稀子?」

『ああ。行こうか』

 稀子はベランダから視線を外さないまま立ち上がった。僕ら男三人は首を傾げたけれど、誰も稀子に尋ねるようなことはしない。稀子の行動には全て意味があるということを、骨身に沁みて知っているからだ。

 佐々木さんの部屋は昨日のままになっているらしく、鍵も窓も開け放されたままだった。カーテンは昨夜の荒れようが嘘のように穏やかに揺れ、ふんわりとベランダの稀子を隠したり見せたりしている。

 稀子の身長と柵の高さは大体同じくらいだった。蒸発しきっていない雨水が、高級若竹の物干し竿を濡らし、日の光に輝いて見える。昨日の強風で上段のフックから外れてしまったのだろう。佐々木さんの足元で震えていた様子を思い出し、背筋がうっすらと寒くなる。

 発泡スチロールの箱も、物干し竿と同じように転がっている。何もかもが昨日のまま。

「ん?」

 僕の足が、何かを踏んだ。

「稀子、ちょっと」

 稀子が振り返り、とてとてとこちらへ向かってくる。手にはなぜか発泡スチロールを持ち、思いっきり顔をしかめていた。

『何か見つかったのか?』

「うん。夏奈宛の手紙だと思う」

 長谷川さんと高梨さんが、僕の手元を覗き込む。高梨さんが「指紋が……」と呻いていたような気がするが、聞こえなかったことにする。

『貸して』

 稀子は、その封筒を日に透かしたり、においを嗅いだりと不審な行動をとり続けていたけれど、やがて長谷川さんの方をちらりと見た。

 封を切ってもいいか、と尋ねているのだろう。

 二人とも渋い顔をしたが、やがてぱちぱちとアイコンタクトを取り始め、一分後に揃って首を縦に振った。

 稀子は満足げに封筒を開けた。かわいらしいアニメキャラクターのシールで留めてあったその封筒は、既に開封されていたようだ。稀子が形のいい爪をかけると、簡単にシールは剥がれ、中から淡いピンク色をした便箋が滑り出てくる。

「差出人の名前はなし、ですか」

 高梨さんが独り言を呟く。稀子は頷き、画面を見せた。

『読んでみて欲しい。事件の大筋は分かった』

 僕たちは手紙を覗き込む。

「え……?」

 頭から一気に血の気が引いて、一瞬くらっとした。

 誰が、こんなことを――?



  ――夏奈へ。

  長い間、寂しい思いをさせてゴメンな。

  今日、夏奈がどれくらい大きくなったのか、どれほどかわいくなったのか、天国から見に行きます。

  いつも仕事から帰って来ていた時間に、ベランダで待っていてください。お母さんには絶対に内緒だぞ?

                                                                      雅喜


 

 「佐々木雅喜は、交通事故で死んでいるんじゃなかったのか……?」

長谷川さんが呻く。高梨さんも眉根を寄せ、腕組みをして手紙を睨んでいる。

『それは間違いない。夏奈は、その手紙に書いてあったとおりに昨夜ベランダに出たのだろう。その手紙には、佐々木家の住所はおろか、差出人の名前すら書かれていない』

 じゃあ、本当に、雅喜さんが天国から夏奈に宛てて書いた手紙だというのだろうか。

 稀子はゆっくりと首を振った。

『死者は語ることなど出来はしない。その手紙を書いたのは生きた人間だ。さらに言うなら、この近所に住む、夏奈と親しい子ども好きの男だろうね』

 僕らはびっくりして稀子を見た。どうしてそんなことが言えるんだろう? どきどきしながら、稀子が文字を打ち終わるのを待つ。

『送り先の住所と差出人の名前を書かず、切手も貼らずに手紙を出すためには、自分の手でポストに投函するしかない。遠方に住んでいる人間ならそんなことはしないだろう。

 加えて雅喜氏が生前帰宅していた時間を知っているようだから、このマンションが見える位置か、通勤路のそばに住んでいるんだろうね。夏奈が父親を亡くしていることを知っていたり、夏奈と雅喜氏の名前を漢字で表記できることから、一家と親しい人物。そこまではいいかい?』

 稀子は僕らが感心して頷くのを見ると、また画面を覗き込んで操作を再開した。

『この送り主は自分を雅喜氏に見立てようとしたんじゃないかと、私は思う。

 雅喜氏は、かなりの長身だったんだろう? 七海』

「うん。百八十センチメートルくらいあったかな」

『送り主が自分を雅喜氏に見立てようとしたと仮定する。その場合、女性ではその身長に扮することは難しい。上から見れば多少の身長差は誤魔化せるだろうが、いくらなんでも三十センチメートル近くは無理だろう。

 その封筒のシールは、最近小学生に人気のキャラクターのものだ。子どもが嫌いな人間や無関心な人間なら、そういう風に気を使うことはないだろうからね』

 そこまで打ち込むと、稀子は沈黙してしまった。

 長い沈黙の後、ふるふると首を振る。

『ご協力ありがとうございました。今分かるのはここまでです。少しだけ、私に時間をください』

 凸凹コンビは口々に御礼を言い、何かあったら連絡するようにと言い残して佐々木さんの部屋を出て行った。

 稀子は彼らが出て行った後もぼんやりと座ったまま、何かを考えるように斜め上を見つめていた。黒白のコントラストがくっきりとした瞳が、水族館の魚を目で追う子どもみたいに時折すい、すいと動く。それは稀子が深い思索にどっぷりと沈みこんでいるときの癖だ。僕は出来るだけ邪魔をしないように隣に腰を下ろして、稀子が己の思索の旅から帰ってくるのを待った。

 ワンピースのリボンと稀子の黒髪が、じっとりと湿った雨上がりの風に舞い上がる。その風に乗って、どこか生臭いような嫌な匂いが一瞬鼻を掠めて消えた。


 時間の感覚が痺れてなくなった頃、稀子がおもむろに動き出した。

『七海。その物干し竿の端を持ってくれないか』

「え? うん」

 僕は何のことか分からないままに竹を持ち上げる。稀子の細い腕とほぼ同じくらいの直径をしたその竹は、僕と稀子の約百七十センチメートル間で、自重によってほんの少しだけたわんでいた。

「結構柔らかいんだね」

 見た目だけで、からからに乾いた堅いものと思い込んでいた。

『よぉぉぉぉぉぉく支えていてくれよ』

 一体、何をするつもりなんだ!

 なにやらもう一度画面を覗き込む稀子。

『それから、七海、心から申し訳ないと思っている』

 稀子はそう書かれた画面を突き出し、ぺこりと頭を下げた。どうして事前に謝ったんだろう。……なんだか、ものすごく嫌な予感がする。


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