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「それで、『アクリョウ』というのはどういう意味なんだ? デチャンス」
日本へ出発する前日、デチャンスのオフィスに訪れたイヴァンはしばし彼と話した後、そう切り出していた。
「死んだ者の怨念……、恨み辛み憎しみなどが霊となって人を呪ったり、死へと引きずり込んだりする、まぁ英語で言うならさしずめ『デーモン』ってところだな」
「Бесы……」
「昔を思い出したか、イヴァン?」
デチャンスは複雑そうな表情を浮かべ言った。
東欧にあったイヴァンの祖国は石油問題を抱えていて、油田をめぐって政府に反旗を翻した反政府レジスタンス軍にイヴァンは所属していた。
イヴァンにとっては病で倒れた母や育ち盛りの妹の生活費を稼ぐ為に始めた戦いであり、反政府軍の思想や問題などはどうでもよい話であった。
同じく反政府軍に所属し、戦死した父の代わりに家族に朝のパンや夜のシチューを与えるためにイヴァンは戦場に赴いていた。
しかし、それをよしとしない政府軍はイヴァンたちの予想を遥かに越えた、残虐極まりない方法をとった。
イヴァンたち反政府軍のいるホームグラウンドである街に火を放ったのだった。
イヴァンはその時たまたま友人と街の外にまで出ており、命は助かった。
しかし、煙を上げる街に気が付き、躊躇いなく火の中に飛び込んだその先にあったモノは、炎に包まれ焼き崩れる自分の家と、母親と、裸にひん剥かれた妹の死体だった。
イヴァンは政府軍を強く憎み、ナイフ一本で敵の懐に忍び寄りその首を裂く処刑人と化した。
後にこのような通り名で呼ばれることとなった。『悪霊』と。
それから、イヴァンの情報を聞きつけたCIAのデチャンスがやってきてイヴァンと対峙した。その時のイヴァンはろくに戦闘技術も持っておらず、アメリカ仕込みのデチャンスの戦法に手も足も出ないままだった。
イヴァンは白兵戦でデチャンスに完全敗北した。
それからイヴァンは米軍に捕獲され、デチャンスに次のことを聞かされた。
スタンリー・ロックフォードと呼ばれる戦場に横槍を入れ引っ掻き回すのが好きな軍需産業の御曹司が、君の家族を殺し、強姦したと。
そしてデチャンスは、こいつは俺たちもマークしている危険人物なんだ、と強い口調で言った。
最後に、君はもっと鍛錬をすれば凄まじい兵士になれる、アメリカに来い、と提案した。
それは自分がCIAに入ればロックフォードに復讐する機会が与えられる、と言われたのと同じだった。
そしてイヴァンはCIAに入局した。
「今回の任務のメンバーで気になっている奴はいるか?」
会話が一段落した後、デチャンスはポケットからアメリカン・スピリットの箱を取り出し、一本銜えてライターで火を点けつつ聞いた。
「色々な意味で気になっているのならな……」
図体ばかりが大きいバーンズのおどおどした顔を想像しながら、イヴァンは苦笑いを浮かべた。
「彼か……。腕は確かなんだがな……」
「そうなのか? あの様子を見ていると、その言葉すらも疑わしいよ」
イヴァンは幾多の任務をこなしてきたが、バーンズのような先行きが思いやられる人物に出会ったのは初めてだった。
「心配要らん。あいつは任務となると火事場の馬鹿力の如く戦力を発揮する優秀なエージェントだ。ただ、物事を客観的に見過ぎているだけだ」
客観的に? とイヴァンは問うとデチャンスは煙草を一口吸って、ああと返事をし、
「あいつは病的なまでに物事を客観的に見過ぎている。自分の行動が隊にとってメリットなのか、デメリットなのか? そもそも今回の作戦に自分が参加することによってどんな影響をおよぼすのか? そう考えたうえで奴は作戦に赴いているのだ」
「よくわからん理屈だな。簡潔に話してくれよ。今回の任務に参加するメンバーのことは少しでも多く知りたいんだ」
デチャンスはフッと笑い、
「それは任務を開始してからのお楽しみだ。安心しろ、奴は足を引っ張ることなどないだろうよ」
「……その言葉、忘れんなよ」
イヴァンはデチャンスを横目で睨みつつ言った。
※
イヴァンは一人で日本の福岡空港行きの旅客機のエコノミー座席に座っていた。
ロックフォードのシマである東京の成田空港の直行便は諸事情により、使えないとのことで、イヴァンは渋々福岡空港に行きそれから東京に渡る予定なのだ。
レイ、バーンズ、ボンズ、アディソンは一足先に日本に着いているということだった。
飛行機が離陸して暫くすると機内サービスの客室乗務員がワゴンを運んできた。
「機内サービスです。何か必要なものがありましたらお申し付けください」
客室乗務員の若い日系の女性がにこっと笑い言った。
「これからジャパンに行くんだ。せっかくだから日本食を食べたい。ミソスープは飲んだことがないんでね」
「ありますよ! かしこまりました」
イヴァンは十字を切ると、食事に取り掛かった。
インスタントの粉末で作ったミソスープは熱かったが、それよりもその味わいがイヴァンを妙な気分にさせた。
コンソメスープともコーンスープとも違う、塩っぽい味。濃ゆくてスープを飲んでいるはずなのに水が欲しくなった。
中には豆腐と海藻のようなものが入ってて、イヴァンはそれをスプーンですくって食べた。
そして再びその橙色のスープを口に含む。濃いがくせになる味だ。
ライスを食べていると、突如がたんと震動が来てイヴァンは米を喉につまらせた。
『乱気流に入りました。揺れはすぐに収まるので、ご安心ください』
食事に夢中で乱気流に入る前の告知に気づいてなかったらしい。
水でライスを胃袋に流し込み、イヴァンは辟易しつつ食事を続けた。