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福岡県H市。陽の実家があるこの市は都会と田舎の中間のような町で、緑がいっぱいの並木道や田んぼや畑、そして町の中央には大きな公園があった。巨大な野球場や、ジョギングコースのある公園で昔は夏になると花火大会が拓かれていたりしたらしい。
陽の実家はこの公園のすぐ近くにあった。それもあって小中学生時代には、お前の住んでる場所が羨ましい、と周りの友人によく言われたものだが、陽にとってはいつもの見慣れた家であり、公園の近くということも含めて特に皆が羨ましがるほどのものでもないと思っていた。
それでも上京してからは家に帰る時、とてもわくわくするものだった。家族に会えるからである。家族の重大さに気づいたのは一人暮らしを始めた時からであった。
陽は門扉の外に立ち、自分の家を見上げた。最後に来たのは数ヶ月前だったというのに、こじんまりとした家の造形もその周囲の空気も昨日のことのように慣れ親しんだ雰囲気だった。
門扉を開け玄関先にはいる。玄関のドアの前に誰かが背中を向けて屈みこんでいた。ちょこんとした小柄な体躯にボブカットの黒髪。間違いない、と陽は思った。
「ただいま、春」
陽は妹の宇佐美春に声をかける。春は振り返ると、まだあどけなさが残る顔で陽を見上げた。
「やぁ、お兄。おかえり」
東京から帰ってきた兄を迎える挨拶というよりは、近場の学校から帰宅した時されるような挨拶であった。
陽はため息をひとつつくと、
「いい加減その呼び方やめろったら。それに『やぁ』ってなんだよ? もう少しで大学生だろ。もうちょっと女の子らしくしたらどうだい」
帰省して早々説教というのも気がひけるものだが、妹に女の子らしくあってほしいという陽なりの兄心である。
「ん、すまないね」
春はそう言って白い歯を見せ、にい、と笑った。イケメン顔負けの爽やかな笑い方だった。
言ってる傍から。怒る気も失せた陽は、玄関のドアを開け家に入った。春もそのすぐ後に続く。
「ただいま! じいちゃんばあちゃん!」
声を張り上げるが返事は帰ってこなかった。
「おじいちゃんとおばあちゃんなら、公園でウォーキングをしているよ」
春はそう教える。
「またか? 元気だなぁあの二人も」
陽の祖父の啓二も、祖母の陸も七十歳半ばの高齢だが健康のための運動は欠かせない二人だった。そのおかげで年に一回の健康診断も余裕でクリアしていた。
「お兄の荷物は私が運んであげるよ」
そう言った春は、うんしょとバッグを持ち上げ階段に向かおうとした。足がふらふらと不安定に動いていた。
「おい、春! 自分で運ぶから!」
すかさず陽が駆け寄る。
「だ、大丈夫! これくらい私にだって持てるから!」
焦った春はさらに不安定な足どりとなった。
「いいって! 重い物も入ってるんだし!」
「ヘーキヘーキ! 超平気! お兄は部屋で待って――わぁぁ!」
春はバランスを崩し、陽の方に向かって倒れてきた。陽はそれを受け止めるが、勢い良く倒れてきたため支えきれず、結果二人とも倒れることとなった。
啓二と陸が帰ってきた後、家族みんなで食卓を囲み晩ご飯を食べた。
今晩は鍋だ。
「おばあちゃん、もういいってば!」
自分用の茶碗に嬉々としてたくさんのご飯を盛る陸を陽は制していた。
「でも陽、お前は男だろう? ならこれくらい余裕じゃないか」
陸はそう言って愉快そうにケケッと笑い、ご飯が山盛りされた茶碗を差し出した。
陽は恨めしそうに陸を睨みつつ、茶碗を受け取る。
「ははは、それではみんなでいただきますをしようでは……おじいちゃんもう食べてる……」
食事前の挨拶を呼びかけようとした春は、一足先にご飯を口にもくもくと運んでいた啓二を見て目を丸くした。
「先に食ったもん勝ちなんじゃよ、食事なんて」
何食わぬ顔でそう言う啓二。
「なんに勝つんだよ」
同時にツッコミを入れる陽と春。
「知らん知らん!」
そう言いながら啓二は鍋の具材にも手を伸ばしはじめたので、陽と春はいただきますなど忘れて食事に取り掛かった。
「そう言えばお兄、芽衣とはどんな感じなんだい?」
食事が一段落ついた時、春は陽にそう聞いた。
「『どんな』って、相変わらずだよ。相変わらず、俺の母親のように振る舞ってる」
「ふーん、なるほど」
春は妙なニヤニヤ笑いを浮かべていた。
「うぬぅ、芽衣ちゃんは小賢しいだけのガキである陽にはもったいないくらいの美人さんじゃがのぉ。……でも、思い返すに陸の若いころもああじゃった」
「まぁまぁ啓二ったらそんなこと言いよって」
そう言って笑い合う啓二と陸。
陽と春は意外そうな顔をしていた。
「陸おばあちゃんって美人だったんだ?」
「それは初耳だね」
陽と春は改めて陸の顔をのぞき込んだ。確かにこの歳にしてはシミや皺が少なく感じられたし、鼻がすっと伸びていて若かったころの面影もあった。
「あんまりそう人の顔を見るもんじゃないよ、陽、春」
陸は照れ混じりにそう言って、
「で、芽衣ちゃんに告白はいつするんだい?」
と切り出していた。
不意打ちだった。
啓二と春が陽の方を見る。
「い、いや告白と言うか、もうあいつは僕の幼なじみみたいなものであって、彼女でも……いやそうじゃなくて……」
しどろもどろに答えていると自分でもわかった陽は俯いた。頬がわずかに熱くなっているのがわかる。
「……ふん、なんだハッキリしないの」
啓二はケッと笑って、煙草を咥える。
「そうじゃなくて、もうプレゼントとか送ってる間柄なんだからコクるのなんて今更かなとか思っちゃったりしてるわけ」
陽は力のない口調でそう言ったが、それが言い訳であることはこの食卓の誰もが見抜いていた。
「なんだい、ちっとも男じゃないねぇ」
陸は残念そうに言って茶を啜る。
「お兄、男性器ちゃんと付いてるよね?」
春はそう言いながら陽の股間を凝視した。
陽は春の頭をポコンと叩きつつ、
「わかったよ、そのうち告白する」
「そのうちっていつさ?」
春が頭をさすりつつ聞いた。
「必ず、するよ」
陽はごちそうさまと付け加え、食器を流しにつけるとリビングを後にした。
部屋に戻った陽はクローゼットから『精密機械につき、取り扱い注意!』と書かれたシールの貼られたダンボール箱を取り出していた。
開けると、ケロビィの試作型が中に収まっていた。
そのダンボールからケロビィとプラスとマイナスのドライバーを取り出し、それを勉強机に広げ、分解を始めた。
このケロビィは芽衣にプレゼントする前に実験的に作ったものだった。
ケロビィの人工筋肉や言語学習プログラムはロックフォード社のデータベースにアクセスした時に入手した実験データを元に作った。人工筋肉はロックフォード社が開発しているマッスルスーツのデータを参考に、言語学習プログラムは無人兵器のデータから奪ったものだ。
この二つはお金と技術さえあればなんと市販の材料で作れ、独自の様々な改良もできるものだった。
ケロビィをいじっていると脇に置いてある携帯電話が鳴った。画面に『悠』と表示されている。陽は画面をタッチして携帯を耳に当てた。
「よぅ、悠」
(おう、陽)
電話越しから悠の声と色々な電子音が混ざり合ったような音が聞こえた。
「この音……お前、今ゲーセンだろ?」
(さすがだな。当たりだよ。佐藤と絵里ちゃんと上野で来てるんだ)
「……なんか大変そうだな。お前」
陽はいかにも頭の悪そうな不良学生である佐藤剛の顔と、そしていかにも頭の悪そうなギャルである上野星の顔を想像した。
(んなことねぇよ。絵里ちゃんは気を使ってくれているし)
その中で唯一常識人である安瀬絵里。大学生とは思えない美貌と抜群のスタイル、そしてそれに似つかわしい包容力を兼ね備えた女子学生だ。
「……電話越しでもお前が鼻の下を伸ばしているのは伝わってきたよ」
陽は悠をからかうことにした。
(なんだとこらぁ! ……まぁいいとして、それより陽。芽衣の奴にロボットをプレゼントしたか?)
陽はああ、と答えた。
(いやあいつさ、妙に大切そうにあのカエルを持ち歩いてるもんでね。あいつがカエル好きなのは知ってたけど、とうとうお前の変態が芽衣にも感染っちまったかと思ったぜ)
「言ってやるなよ。俺はアレを頑張って作ったんだ。それにあれはただのオモチャじゃないんだぜ。ケロビィはイザという時に芽衣を守ってくれるんだ」
陽は誇らしげに言う。
(どういうことだよ)
「いや、いいさ。やることがあるからそろそろ切るぜ。おやすみ、悠」
(……おう、おやすみ)
それからの実家での五日間は忙しくもなく暇でもなく、そこそこの充足感をもって過ごすことができた。
冬休み半ばの大晦日の前日に、陽は再び東京に戻ることにした。悩んだ末、今年の大晦日は芽衣たちと過ごすことに決めたのだ。
「お兄も付き合い悪いよね。今帰らなくたっていいのに」
福岡空港のターミナルを歩きつつ、春がむくれた。
「わざわざ見送ってくれてすまんね。家に戻る時は気をつけるんだぞ」
ゲートの前に立った陽は振り返り、春の方に向いた。
春の頭をポンポンと撫でる。
「お兄、私そんな歳じゃない……」
春は片目をつむって愛撫を受けたが、言葉ではやんわりと拒絶の意思を見せた。
「はは、そうだったな」
陽はそう言って、ゲートを潜った。ナノが認証され、アナウンスが流れた。
「次来る時は芽衣に告白しときなよー!」
陽は後ろを向いたまま手を振って、おうよ、と肯定した。
東京行きのジェット機に乗り込んだ陽はエコノミー座席に座り込んだ。その隣の窓際の席には銀髪が輝かしい、東欧系の若い男性が座っていた。