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期末試験が終わり冬休み期間に入ったばかりの夜、陽の携帯電話に悠からの呑みの誘いがきた。
悠は試験が終わって気が抜けたからと言う理由で陽を誘ったらしいが、陽はすぐに見抜いた。こいつは自分が冬休み中一週間留守にするから寂しがっている、のだと。
悠が寂しいというならば陽も乗らない理由はなく、飲食街にある少し小洒落たバーで思いっきり呑んだ。
周りの音や声が反響して聞こえるくらいに酔ったあとバーを出て、顔を真っ赤にした悠にダンスクラブに行こうぜと言われた。陽は明日早いから、と言う理由で断ったが、悠は行きたい行きたいと連呼し終いには駄々っ子のように叫びながら道路に寝転がり手足をジタバタさせたので、陽は諦めて他人のふりをしながら置いて帰ることにした。
アパートに帰宅したあと陽はリビングに布団を敷き、泥のような眠りに沈み込んでいった。
そのまま朝までずっと、狂ったようにイビキをかき続けた。
指定の時刻になると部屋にあるラジオスピーカーの目覚ましが作動し、FMラジオが流れる。
(ラジオをお聞きの皆さん、おはようございます! ULTIMATE FMのDJサトーだよ! 時刻は午前九時〇〇分ジャスト、となっております! さぁて、さて次にお送りする曲はMASUDAが歌う――)
うるさいな、と陽は半覚醒状態になりまぶたをピクピクさせた。
ラジオはDJの説明が終わり、出来のいいとは微塵にも思えないラップ曲が流れだしていた。
(TOKYOの街はRISE UP! オレはWAKE UP! キミをMAKE UP! カモンッ!)
酷いな、本当。陽の僅かな意識がそう告げていた。
ピンポーン! と今インターホンが鳴った気がするが、きっと気がするだけだろう。
(――YO! YO! YO!)
「陽! 起きてるの!?」
(YO! YO! YO!)
「起きなさいってば、陽!!」
(YO! YO! YO! YO! YO!)
「陽!!!」
リビングのドアが乱暴に開けられ、陽は電流が走ったかのようにビクッと飛び起きた。
ドアの方を見ると、そこにはコンビニ袋を下げている芽衣とその後ろをついてまわるケロビィがいた。
陽は目を擦りあくびをした。
「芽衣!? なんで俺の部屋に?」
そのあとで、疑問に思ったことを聞いた。
「なんでって昨日の夕方、あんたが朝起きれる自信がないからあたしに『起こしに来い』って合鍵を貸したじゃない」
「そうだっけ?」
酒の力が八割、寝ぼけが二割で、殆ど記憶に無かった。
「呆れた! もう忘れちゃったの?」
うん、と頷く陽。芽衣は大袈裟なため息をついた。
「陽! YO! 陽! YO!」
「なんだよケロビィ?」
陽はラジオの前で『陽』と『YO』を繰り返し交互に連呼して、バク転をしているケロビィに言った。スピーカーからはまだ不出来ラップが流れていた。
そう言えばお前に起こして貰う理由はなんだったっけ? 陽が芽衣に聞くと、
「今日は福岡に帰るんでしょ? あんたそこまでボケてたの?」
陽はしばらくぬぼっとしていたが、やがてはその言葉が体を染み渡って実感していき、顔が蒼白していった。
「やべぇ! やべぇよ! 何がやばいって、酒のせいで飛行機に間に合わない!」
と言いながら押入れの中から空のキャリーバッグを引っ張りだす。
その様子を見て芽衣は目を瞬かせながら、
「陽……? あんたもしかして、前日から準備してなかったの?」
陽は歯ブラシセットやら着替えやらをバッグに放り入れながら、
「いやぁ、酒からくる睡魔って本当に厄介だよなー? ベッドにぶっ倒れるとそのままキューだもん! いーやー、やっかいやっかい……はは……は……」
そうして恐る恐る立っている芽衣の方へ顔を上げる。
こうやって下から小動物的な上目遣いで見れば、可愛いものに目がない芽衣は許してくれるかな? と思っていた。
が、次の瞬間には大きな間違いだったことに気づかされる。
上を見上げるとそこには鬼が居た。女の姿形はしているものの、完全に鬼である。ツノは生えてないが、肌は赤色に変色していて、それに形相が形相である。これはどう見ても鬼だ、そうに違いない。
「マイペースすぎるんじゃお前は!!!」
鬼が地獄まで響く罵声を上げた。
その後、大急ぎで支度をした陽とそれを手伝った鬼、いや芽衣はなんとかアパートを出ることが出来た。
階段を降りると目の前に停まっている黒色のGT-Rニスモが陽の目に留まる。
「芽衣、これ親父さんの車でしょ?」
陽は芽衣を見る。
「こんなこともあろうかと、無理言って借りてきたのよ」
「やるじゃん」
そんなやりとりをしながら二人は車に乗り込んだ。
「もういや……どうしてあたしがあんたなんぞの送り迎えなんて……」
とほほ、と半泣きになりつつエンジンをかける芽衣。エンジンに火が入り、良い起動音がした。
「だいぶイジってあるな」
機械に詳しい陽は即座にエンジンの音を聴き分けた。
芽衣は陽の反応の良さに苦笑いを浮かべた。
「親父の趣味よ、親父の」
「なるほど。勝さん、カーマニアだからなぁ」
陽が呆れとも尊敬ともつかない声音で芽衣の父親の名前を出した。
星海家は夫の星海勝、妻の星海佐代子、そして一人娘の星海芽衣の三人家族である。
勝は不動産屋を経営する営業マンで佐代子は専業主婦として家業に励んでいた。夫婦仲は好調で時々喧嘩をしようともすぐに仲直りする関係であった。
元々は星海家も福岡にあったが、勝の仕事の都合で東京都に越すことになった。あの時は芽衣とは音信不通だったな、と陽は回想する。
勝と陽は仲が良かった。それは擬似父子の関係、というよりも歳の離れた友達の関係に近い。趣味嗜好などのウマは合わなかったものの、ひょうきん者という性格は通じるものがあった。だから、共にふざけることが出来るし、陽が二十歳になった晩には酒を飲みに連れて行ってもらった。
友達付き合いに歳の差なんて関係ない。そう思わせてくれた存在が星海勝という男だった。
陽が大きなくしゃみをしたのは車が発進してしばらくしてからの事だった。
その後、鼻をすすりながら上には赤色のトレーナー以外なにも着ていないことに気づく。
「今日は厄日かな……。上着忘れたぞ」
愛用していた黒色の革ジャケットは家に置いてきたらしい。
「あはははは!」
車を運転しながら芽衣は堪え切れずに笑い出す。陽が不愉快そうに顔を顰めた。
「別にいいじゃない? あんなチャラチャラしたジャケット! あんなの作る奴のファッションセンスを疑うし、着る奴のセンスもたかが知れてるわね」
「……まぁセンス云々はさておき、この気温だぞ。なにか着るものを空港で買わねぇと」
陽は財布を開いて、嘆息した。福岡行きのチケットは確保していたが、服を買うだけのお金がなかったのだ。
「後ろの後部座席に親父のジャンパーがあったと思うわ。よかったら借りていっていいわよ?」
陽は振り返って後部座席を見る。深緑色のジャンパーがぴょんぴょんと跳ねるケロビィに踏みつけられていた。
助かるぜと言いつつ、ケロビィを手ではね除けジャンパーを手にとった。
「うわ、親父くさ! 加齢臭がするぞ、このジャンパー!」
ジャンパーのにおいを嗅ぎ、陽が狂乱気味に大声を上げた。
※
スタンリー・ロックフォードはとても上機嫌だった。
先日、買ったばかりの高級なベージュ色の背広を鼻歌を歌いながら着替えていた。
ネクタイを巻き、ジャケットを着て、最後にノッチドラペルの襟を両手でつかみピッと引くとパリっとしたスーツ姿の自分が目の前にある長方形の鏡に映っていた。
スタンリーは胸が高鳴るのを感じながら、鏡の前でダンスを踊るかのように右足を軸にして芝居がかった一回転をしてみせた。
「どうだ? ベンジャミン」
スタンリーは後ろで着替えを黙ってみていた執事のベンジャミンに聞いた。
「たいへんお似合いでございます、スタン様」
ベンジャミンはそう言って朗らかに笑った。
「そうか! 似合ってるか! そうか、そうか、そうか、そうか!」
無邪気に笑うと、クローゼットルームの出口に向かって歩いて行った。ベンジャミンもその後を続く。
「父さんの容態はどうなっている?」
クローゼットルームを出つつ、スタンリーはベンジャミンに聞いた。
「申し上げにくいのですが……一向に回復の見込みはありません」
ベンジャミンは曇った顔でそう言った。
「別に言い辛いことでもないと思うぞ、ベンジャミン。俺はあいつが嫌いだ。とっとと死ねばいいとさえ思っている」
表情一つ変えずにそう言ってのけるスタンリーに、ベンジャミンは悲しい顔をしてみせたが抗議はしなかった。
スタンリーの父親でありロックフォード社の社長、ジョン・ロックフォードは数年前に『デーモン・フィーバー』と呼ばれる奇病を発症していた。
高熱に魘され、顔が魔人のように醜く皺だらけになっていく未知の病であり、ジョンはこのロックフォード邸の地下に設けられた病室で寝たきりの状態になっていた。体が点滴やカテーテルや治療機器のチューブ類などで繋がれている。
余命は幾ばくもないと医師に宣告され、病室に隔離されている本人ももはや虫の息となっていた。
スタンリーは徐々に弱っていく父を見るのが生き甲斐の一つだった。
幼き頃からジョンにムチや棒で打たれては、今は亡き母リーザが泣きながら止めに入ると言った虐待がパターン化されていた。
そんなジョンに息子としての愛情を注ぐなど、スタンリーとしてはもっての外だった。スタンリーがジョンに向ける感情は憎しみだけだったからである。
玄関ホールを横切った所でスタンリーは、
「そろそろ車を出してきてくれ、ベンジャミン」
「例のパーティーですね?」
「あぁ、出たくないものだが……。今の会社を仕切っているのは俺しかいないから行かねばならん」
畏まりました、と車を取りに行くベンジャミンをスタンリーは呼び止めた。
「それと当社のデータベースに不正アクセスを繰り返したハッカーの件についてだ。そいつがどんな奴かは俺は知らないんだが、身元が特定できていると聞いている。このまま飛び回られるのも目障りだし、そいつのナノを無効化しておけ。これはすぐにやらなくていいぞ」
ベンジャミンにそう言うと、スタンリーは書斎に歩いて行った。
「シェリー!」
ベンジャミンがこちらを振り返る気配がしたがスタンリーは黙殺をして、
「シェリー、そこにいるのか?」
書斎の木製ドアを勢い良く開ける。
本棚の前でホコリ取り棒を片手にメイドの少女は振り返っていた。
「はい、お呼びでしょうか? ご主人様」
シェリーの機械的な口調は相変わらずだ。
「他に誰がお前のことなんか呼ぶと思うんだ?」
スタンリーはそう言ってせせら笑った。寒気がするようないやらしい笑いであった。
スタンリーはシェリーに歩み寄り、
「お前に仕事だ。この注射を父さんの足首に打ってくれ」
と言って、透明の粘液が入った小指ほどの大きさで筒型の注射器をシェリーに渡した。
「え……? でもこれは」
注射器の中の液体を一目見たシェリーは異議を唱えようとした。
スタンリーはふーっと息を吐き、目を見開いた。
「いいか? これはただの薬なんだよ、シェリー」
そのブラウン色の瞳には底抜けに暗い光が宿っていた。
スタンリーはシェリーのヘッドドレスに手を伸ばす。抵抗する間もなく、シェリーのヘッドドレスからクロユキの花が抜き取られた。
「そうでなくとも、わたくしスタン・ロックフォードが君、シェリー・チェインズに命令しているんだ」
不気味なくらい優しい声音で言いつつ、その花の花被片をむしり出した。シェリーの目がショックで見開かれる。
「メイドは主人の命令には絶対服従……」
外片と内片を順序良く交互にむしっていく。
「たとえそれがどんな無理難題なことであっても、自分がどんなことになろうとも」
花の分解が終わるとスタンリーは花びらが握られている手をシェリーに向かってバッと開いた。
目を見開いたシェリーの顔に花びらがかかる。
スタンリーは薄く笑うと、
「まぁ、そういうわけさ。頼んだぞ、シェリー・チェインズ」
と言い書斎を足早に出て行った。
書斎にはポイゾが入った注射器を握り、呆然と立ちつくすシェリーだけが残っていた。
※
羽田空港はかなり、というわけではないが比較的混んでいた。
キャリーバッグ片手に親父臭いジャンパーを着た陽とケロビィを抱いた芽衣が福岡行きのゲートに向かって歩いていた。
バッグを荷物運搬機に乗せると、ベルトコンベアで運ばれていく。
「ありがとうな、芽衣。なんだかんだ言ってお前が送って行かなかったら間に合ってなかったぜ」
運ばれていく様子を見ながら陽は芽衣に礼を言った。
「別にいいのよ、それくらい。福岡ではちゃんとしたご飯を食べなさいよね」
「大丈夫さ。向こうではちゃんとしたメシが三食出されるんだ」
他愛もない会話をしながら、陽はナノを認証するスキャナーが内蔵されたゲートをゆっくりと潜った。
ピッピと音が鳴り、ゲートの上の電光掲示板に『OK』と表示され、アナウンスが流れる。
「ようこそ、ウサミヨウ様。飛行機へお乗り下さい」
無事、体内のナノが認証されたらしい。
陽は振り向くと、ゲートの向こう側にいる芽衣に向き直った。飛行機に乗らない芽衣はゲートの直前までしか見送る事ができなかった。
「アディオス、芽衣! 一週間後にまた会おうぜ!」
心なしか寂しそうな顔をしている芽衣にそう声をかける。
「気をつけなさいよ! それと、春ちゃんによろしく!」
芽衣は福岡にて祖父たちと共に暮らしている陽の妹であり、高校三年生の春の名前を出した。
「おうよ! おい、ケロビィ!」
陽は両手の親指と人差し指を真っ直ぐ伸ばし、銃の形を作ると芽衣の抱いているケロビィに向けこう言った。
「芽衣をよろしく頼むぜ」
「タノマレタ! ヨロシクタノマレタ!」
ケロビィの返事に満足した陽は飛行機に連結しているスロープに乗り込んでいった。
陽の乗ったジェット機は予定通りの時刻に東京を離れた。
・nano
人間と人間兵器を見分ける手段。
ロックフォード社が開発した生体ID。無色透明の液体で、国民は定期的に注射することを義務付けられている。
ゲートを潜る時に対象を識別し、人間か人間兵器かを即座に判断する。クリアと判断された者だけゲートを潜ることが出来、そうでないものは半強制的に法執行機関に連行される。
各都道府県にも識別装置付きの無人兵器が巡回しており、人間兵器の魔の手から人々を守っている。
・マンドレイク
謎のキーワード。兵器とされているが詳細は不明。