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 イヴァン・ハーンは冬が嫌いだった。

 別に寒がりというわけではない。ただ、今は無き東欧の故郷を思い起こす季節であった。

 そして、その故郷にいた(丶丶)家族をどうしても連想させてしまう季節なのであった。


 窓から差し込む冬の陽の光が顔に当たり、イヴァンは目を覚ました。

 いつもの癖で反射的にベッドの隣の台に置いてある目覚まし時計を見る。デジタル時計の時間は『08:45』と表示されており、目覚ましをセットしてる時間よりも十五分早めの起床だった。

 またか。

 そう独り言ち、腹筋の力だけで身を起こした。ここ数日、妙に時間通りに起きれない。

 上半身には何も着ておらず、下半身には青色のジャージを着ていた。いつもの就寝の格好だ。


 イヴァンは洗面所へ行き冷水のシャワーを浴びた後、浴室の手前の鏡の前に立った。

 透き通るような銀髪と青色の瞳をした自分が鏡の中で睨み返す。目尻は狼のように跳ね上がっていて、目にも野性動物的な色が浮かんでいた。

 イヴァンは鏡から視点を少し左横に移動させた。そこに掛けてあったのは金色のロケットと呼ばれるペンダント。蓋付きで、中に小さな写真などを入れることができるアクセサリーだ。

 ロケットの蓋は開いており、その中には少女がいた。銀髪のロングストレートで可憐に笑っている少女。イヴァンの妹、イリーナだ。

 イリーナの写真をずっと見ていると、ジャージのポケットの中にしまわれてある携帯電話(スマートフォン)が鳴った。着メロはスター・ウォーズのテーマ曲だ。

 イヴァンはイリーナの写真から目を離さずに携帯を取り出すと、画面をタッチしてもしもしと応答した。

(ブラックスノーと言われる花を知っているか?)

 一瞬、イタズラ電話か間違い電話かと思ったが、その声は聞き慣れた声だと認識すると、イヴァンはもっともな意見を言った。

「デチャンス、いきなりかけてきてなんだ? 何を言ってるんだ?」

 その通話相手、ジョナサン・デチャンスは喉を鳴らして笑うと、

(いきなり過ぎて申し訳ないね、イヴァン)

 と全然謝意の篭ってない口調で謝る。

「それで、俺に何か用か?」

 イヴァンは眉間を軽く揉みつつ聞く。そのあと、ただかまって欲しいだけでかけてきたのなら今すぐ殺しに行くぞと脅し文句を続かせた。

(すまん、ただかまって欲しいだけだったんだ! 頼む、殺さないでくれ!)

 イヴァンはいい加減、苛ついてきた。

 デチャンスはそのことを察したのか、

(いや、すまん。できるだけすぐ本部に来てくれるか? 正面玄関で待ってるぞ)

 と用件を言った。そしてその後、イヴァンにとって衝撃的な一言が発せられた。

(スタンリー・ロックフォードが動き出した)


           ※


 アメリカ合衆国、バージニア州・マクレイン。

 中央情報局、世間一般では『CIA』と呼ばれる諜報組織の本部はここにあった。

 大きな天窓が見下ろす正面玄関には慌ただしく人が出入りしていた。殆どの者が、背広やレディーススーツに身を固めている。

 その正面玄関に一人だけ青と白のチェックのシャツに深青のジーンズパンツ、黄色のスニーカーと言うラフな格好、というより浮きまくっている服装をしている男がいた。あごひげを生やしたやつれた顔から、年齢は四十歳前後と推定される。

 彼は玄関の中央より右側にある灰皿スタンドで、さも当然のような面持ちで煙草をふかしていた。

 彼の名前はジョナサン・デチャンス。中央情報局特殊捜査チーム『ゼロ』の司令官にして、見ての通り変人である。


 ネイビーの背広を着たイヴァンは正面玄関で見つけてくれと言わんばかりの格好をしているデチャンスを視認し、歩み寄って行った。

 デチャンスの方はイヴァンに気がつくと煙草を灰皿に落とし、手を上げてイヴァン、こっちだと言う。

 手を上げて言わんでもそんな格好していれば気づくぜ。イヴァンは心の中でツッコミを入れた。

「その花から抽出される毒素は、『ポイゾ』の原材料だ」

 イヴァンがそう言うと、デチャンスは「は?」と間抜けな声を出す。

「あんたがさっき電話で話していたブラックスノー、『クロユキの花』から抽出される毒素は、ヒューマノイド洗脳のため使われる薬物の原材料だ」

 おう、とデチャンスは素っ気ない返事をした。その反応にイヴァンは眉を顰める。

「期待していた答えと違ったか? でも正解だろ?」

「私が期待していた答えは、その花そのものについてだ」

 イヴァンはあぁと納得し、説明を始めた。

「クロユキの花。ユリ科に分類される花で、なかなか見ることが出来ない稀少な花。原産地と生産地はヨーロッパの限られた地方のみで、家庭での栽培難度は高いとされる。色は黒色でそれ一色だとよく間違われるが、注視していると小さな白い点が付いていることがわかる。不気味な色をしているので遠く見られがちだが、独特のスパイシーな芳香も特徴の一つとしてあげられ、現地人からはお香や香水などのアロマテラピーにも使用される」

 デチャンスはうむ、と返事をした。

 それがどうかしたのか? イヴァンは聞くと、

「説明は後で。ついて来い」

 デチャンスは言って、正面玄関の自動ドアに向かった。


            ※


 デチャンスとその後を続くイヴァンは、エントランスホールを抜けるとエレベータの前に立った。

 デチャンスは懐のポケットからカードキーを取り出し、エレベータの側部にあるリーダーに通す。

 エレベータはそこの一階で停まっていたらしく、すぐにドアが開いた。

 デチャンス、イヴァンの順にエレベータに乗り込む。

 そのエレベータに階を選択するボタンは付いておらず、代わりに小さなレンズのようなものが付いていた。網膜スキャン装置だ。

 デチャンスは右目をスキャナーに近づけると認証が完了し、アナウンスが流れた。

『認証、デチャンス ジョナサン。作戦会議室(ブリーフィングルーム)へ参ります』

 ドアが閉まり、エレベータが下降した。

「まだつけているんだな、それ」

 ドアが閉まるなりデチャンスはそう聞いてきた。

 デチャンスが指し示しているのは、イヴァンの首に巻かれてある金色のロケットペンダントのことだ。

 イヴァンはロケットペンダントの感触を確かめるように握ると、

「あぁ。まだ何も終わってないからな……」

「過去に囚われている諜報員(エージェント)で長生きした奴は見たことがないぞ? お前も気をつけろよ」

 デチャンスは苦笑を浮かべつつ言った。


『地下十階、ブリーフィングルームです』

 エレベータ内に到着のアナウンスが流れるとドアが開き、デチャンスとイヴァンは広々としたブリーフィングルームに入った。

 このブリーフィングルームには中央に長テーブルほどの大きさのある、立体映像(ホログラム)映写機(プロジェクター)が陣取っており、その映写機を囲むようにリクライニング式の椅子が並んでいた。椅子には既に他のエージェントが四人座っていた。

 イヴァンはそのメンツのうち一人は顔見知りの仲だった。若い黒人局員のレイ・マクドネル。前に共に働いたことがあり、常に冷静沈着でどんな危機的状況に陥っても臨機応変に対応できる優秀なエージェントだった。

 椅子の背もたれを倒してリラックスをしていたレイは、イヴァンを見ると軽く会釈した。

 他の三人は初対面の顔ぶれで、屹然とした顔立ちの若い女性が一人、イヴァンが入ってくると表情に不安を滲ませ落ち着きがなくなった図体の大きな男性が一人、神経質そうに肘掛けに指を人差し指から小指まで順番に叩いていた中年さしかかりくらいの男性が一人。イヴァンはこの三人には一緒に仕事はおろか、会ったことすらなかった。

「ホグワーツ魔法学校へようこそ諸君!」

 デチャンスは入ってくるなり、開口一番にジョークを飛ばした。

 イヴァンはその後ろでデチャンスの肩を叩く。椅子に座っている四人は、デチャンスのジョークに笑うどころか、反応すらしなかった。

 壮大に滑ったデチャンスは、いやすまないねと謝り、その後咳払いをして、「ではいきなりだがブリーフィングを始めよう」と指をパチンと鳴らした。部屋の照明が落とされ、映写機からホログラムの資料が青白く浮かび上がった。

 イヴァンは部屋の壁にもたれかかり、腕組みをしながらブリーフィングを聞くことにした。

 ホログラムにデチャンスが先刻電話で話したクロユキの花のことについての映像資料が浮かんだ。

「クロユキの花だ。ヨーロッパにしかない稀少なユリ科の花。家庭での栽培難度は高いとされる。色は黒色でそれ一色だとよく間違われるが、注視していると小さな白い点が付いていることがわかる。不気味な色をしているので遠く見られがちだが、スパイシーな芳香も特徴の一つとしてあげられ、現地人からはお香やら香水やらなんやらのアロマテラピーにも使用される」

 デチャンスが説明すると、イヴァンはため息をついた。あの野郎、俺の語った薀蓄を殆ど丸コピーしやがったな。

「この花から抽出する毒素は人間兵器(ヒューマノイド)の洗脳用麻薬『ポイゾ』の原料となっていることは諸君らは知っているだろう」

 ホログラムの映像資料が切り替わり、口とまぶたを手術用ホチキスで留められた人間の被験体が銃型の注射器を首筋に打たれ、ポイゾを実際に注入している様子の写真が映し出された。

 気持ちの良い光景にはとても思えず、ブリーフィングルームのエージェント達は目を逸らすか覆うようにして写真を見ることを避けている。唯一、デチャンスだけが写真を注視していた。

「このクロユキの花を世界一栽培している企業はどこか? そう、ロックフォード社だ」

 デチャンスは最後にポイゾを注入されている被験体の写真を一瞥すると、「グロっ」と言うと、指をパチンと鳴らしホログラムの映像資料を切り替えた。

 今度はロックフォード社のロゴマークが浮かび上がった。アルファベットの『R』と『F』が大きく書かれただけのシンプルなロゴだ。

 イヴァンは伏せていた目を見開き、ホログラムの方へ顔を向ける。先ほどまでの呆れ顔とは違い、真剣な表情を浮かべていた。目には若干殺意が混じっているようにも見える。

「この会社は無駄にクロユキの花を栽培していると情報で明らかとなっている。ロックフォードが発表した内容では『当社が開発・製造しているアロマ技術を利用した製品に使うため』とのことだが……、明らかに多すぎだ。この事については世間でも噂されている。疑問に思い、調べたところロックフォードで不自然な業務員や研究員の死が発見されている」

 デチャンスはいつになくシリアスな表情でそう言った。

 映像資料が切り替わった。ヨーロッパ系の顔立ちをした、見るからに残忍な顔をしている男の顔写真と人物像(プロファイル)が浮かび上がった。

「スタンリー……ロックフォード……」

 イヴァンは腕を組むのをやめ、体ごとそのホログラムの方に向き合う。

 デチャンスはイヴァンの方をチラと一瞥すると、その通りだ(オフコース)と元気な声で言った。

「この男、スタンリー・ロックフォードは英陸軍特殊部隊(SAS)出身で、現在は実質上会社の指揮を執っている実業家だ。ロックフォード社の社長にしてスタンリーの父であるジョン・ロックフォードが未知の病に冒されて以来、様々な不正行為を行い、会社の帝王として君臨しているらしい」

 デチャンスは喋りすぎて口が乾いたのか、どこからか取り出したペットボトルの水を一口飲んだ。

「現在はロックフォード・ジャパンで通称『マスターピース』と呼ばれる最強の人間兵器の製造を行っているそうだ」

 『最高傑作(マスターピース)』か。イヴァンは心の中で、もうちょっと捻りの効いた名前にできなかったのかと思った。

「今回、情報の一部を提供してくれたのは日本のトーキョーに住むハンドルネーム『アクリョウ』として知られているハッカーだ」

 情報を提供してくれた? とブリーフィング中無言だったマクドネルが初めて口を開いた。

「あぁ、腕利きのハッカーらしくロックフォードのデータベースにアクセスしてその機密を盗んだらしい。我々の捜査チームとコンタクトを取って直々に……と言ってもネット越しだが渡してくれていたよ」

 デチャンスが言い、水をまた一口飲むと本題を切り出した。

「さぁ、前置きが長くなってしまったが今回、君らにお願いしたいことは他でもない。この『マスターピース』の捜索と、存在が確認された場合は抹消および一連の人間兵器製造を行っているスタンリー・ロックフォードの暗殺だ。君たちはこの捜査チーム『ゼロ』の中でも日本語と英語に精通していると聞いた。だから呼ばれたんだ」

「どの道、人間兵器の所持は国際法で禁じられているんだ。野放しにはしておけん。イヴァン!」

 呼ばれ、「ん」と返事をするイヴァン。

 デチャンスは変にニタニタ笑いながら、「自己紹介をしてもらおうか? リーダー?」と言った。

 ああ、そういうことか。とイヴァンは納得し、

「イヴァン・ハーンだ。たった今、デチャンスにリーダーに任命されたので、よろしく頼む。作戦行動中のコードネームは……そうだな、『イーヴィー』とでも呼んでくれ」

 デチャンスは拍手をした。いや、デチャンスだけが(丶丶丶)拍手をした。

 拍手をやめるとデチャンスは「次!」と先に進めた。

 先刻の神経質そうな中年さしかかりの男が立ち上がった。

「アメリカ海軍SEALs(シールズ)所属のジェームズ・アディソン中尉だ。狙撃の腕を見込まれて、このチームにスカウトされた。よろしく」

 またもやデチャンスだけが拍手をする。

 アディソンが座ると、屹然とした女性が立ち上がった。

連邦捜査局(FBI)所属のクロエ・ボンズだ! 偵察(スカウト)が得意だ、よろしく頼む!」

 男っぽい口調のクロエが自己紹介を終え座るとデチャンスが拍手をし、レイが立ち上がった。

「CIA工作員のレイ・マクドネル。君たちのようにとりたてて特別な能力を持っているわけではないが、なんでも得意だ。あと、見ての通り黒人だ。毛嫌いせずに付き合ってくれ。よろしく」

 最後のブラックジョークにイヴァン、クロエ、アディソンが思わず破顔一笑した。デチャンスは嫉妬の篭ったやっつけな握手をすると「最後! バーンズ!」とイヴァンとデチャンスが部屋に入ってから落ち着かなかった、二十代前半くらいの巨漢の青年を促した。

 バーンズと呼ばれた青年はゴクリと喉を鳴らすと立ち上がり、

「ぐ、グリーンベレー所属のば、バーンズ、であります。階級は……し、少尉! 爆薬や危険物に詳しい、です……。コードネームはば、『バズーカマン』と呼んで下さい」

 なんか色々ともうダメな自己紹介であった。

 『バズーカマン』か……。名前負けしているな。イヴァンがそう思っていると、デチャンスが声を張り上げた。

「以上! 基本は司令官である私を含め、六名で作戦を遂行してもらう! あと、例のハッカーにも協力してもらうが……これについての詳細はトーキョーのセーフハウスについてから無線で説明する。一週間後には君たちは日本だ。この一週間は休暇を与える。よく休んでいろよ」

 デチャンスは説明を終え、ホログラムのスタンリーの顔写真を見つめた。

 次の瞬間、その口から呪詛の言葉が発せられた。

「人の言葉を解せぬ悪党に死を……!」


              ※


 イヴァンはアパートに帰っていた。

 前に住み着いている猫にパンの餌付けを寄越し、網膜スキャン式のドア錠に顔を近づけると、ガチャンと鍵の開く音がした。

 ドアを開け、中に入る。


 帰宅早々、シャワーを浴びよく体を洗う。

 バスルームから出るといつもの裸ジャージの格好に着替えた。

 冷蔵庫からアイスクリームを取り出し、リビングへ行く。疲れた時の甘いものはよくしみる。

 アイスをテーブルに置くと、そのすぐ隣にあった投擲(スローイング)ナイフを手にとった。

 後ろを振り返る。壁に覆われた殺風景とも表現できるそこには一枚の写真がセロハンテープで貼られていた。

 その写真はスタンリー・ロックフォードの顔写真。

 イヴァンはナイフの握られていない左手で胸につけてあるロケットのイリーナの写真を見た。

 そして再び自分の家族を殺し、故郷に火を放った張本人……ロックフォードへと目を向ける。

「……今度こそ逃げ場はないぞ、ロックフォード(ロクデナシ)!」

 そうつぶやき、手首のスナップをきかせナイフを投げた。

 ナイフはヒュンと音を立て、まっすぐロックフォードの写真の額の部分に突き刺さった。

無人兵器ドローン

2020年の世界では、人間兵器問題で、無人兵器の研究が普及しており、実戦投入されている。中には『モナ・リザ』、『ケルベロス』など人間兵器を見分ける機能が搭載した機体も存在する。

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