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 その花はまるでタールを垂らしたかのように真っ黒で、見る者によっては毒々しく感じられた。

 だが、シェリー・チェインズはこの『クロユキの花』が好きであった。

 シェリーは昼下がりにロックフォード邸の執務室で窓際に飾ってあるその花の花瓶の水を入れ替えていた。

 入れ替えた後、不意に窓の外を見る。綺麗に手入れされた広い庭の向こうに立派な門が建っている。天気は下り坂で、どんよりと厚い雲から今にも雨が降り出してきそうだった。

 使用済みの水が入った花瓶を脇に置き、そのクロユキの花を一花むしった。

 コンコンとドアのノック音が聞こえ、その方に振り向く。

 シェリーがどうぞと返事をすると、メイドである彼女とともに働いている執事、ベンジャミンがドアを開け姿を見せた。

「ここにいたのか、ミス・チェインズ」

 どうやら探されていたらしい。

 シェリーは、はいと返事をすると、ベンジャミンは年老いて皺だらけとなった顔をほころばせた。

「今から雨が降ってくるらしい。ロックフォード社に言ってスタン様に傘をお渡ししてもらいたい。できるね?」

 もう一度返事をした。

「……えらく黒い花だな」

 ベンジャミンは気味が悪そうに、シェリーの花を摘んだ右手を見ながら、ドアを閉めていった。

 果たしてそうだろうか、とシェリーは改めてその花を見た。

 確かに黒色ではあるけれど、それだけじゃない。よく見ると白い点が花びらから中心の雌しべに向かってぽつぽつとついていて綺麗だったし、この花から発せられる独特な芳香もたまらなく好きだった。

 この白い点と黒色が『黒雪(クロユキ)』の名前の由来なのかな?

 そう思っていると外から水が窓を打ち付ける音が聞こえ顔を上げる。

「雨……」

 こうしてはいられない。そう感じたシェリーはクロユキの花を頭についてあるメイド用のヘッドドレスに挟むと、主人であるスタンリー・ロックフォードを迎えに行くため事務室を後にした。


           ※


 ちょっとあのコンビニに寄ってもいいかな。

 ロックフォード・ジャパン本社へ行く道中、陽は芽衣に聞いていた。

「いいけど、なにか買い物でもあるの?」

 芽衣が問い返す。

「うっふーん、ひみちゅ!」

 陽がニヤニヤと薄ら笑い浮かべた。

「……半殺しにされないうちに何用があるか言え、ゴラ」

 芽衣が目を剥いて拳をグッと握った。

「あ、預け物があるんだって! 決してやましいことではないから拳下げて、芽衣ちゃん!」

 声を震わせながら言うと、

「預け物? そんなの後ででいいじゃない」

「今受け取らないとダメなんだってば!」

 陽の声は妙に照れくささが混じっていた。

「で、なんなのよ? その預け物って」

「それは秘密! 本当に言えないんだって!」

 芽衣は内心、ああそういうことかと納得した。

「まぁ男の子だしね? あたし意外とそういうのに寛容だから別に隠さなくたっていいわよ、陽」

「なんでそうなる!」

 そういうやり取りをしている内にコンビニに到着した。


 預けておいたやつを、と陽が店員に紙切れを渡す。

 店員が紙切れの番号を見ると、すぐに中サイズのダンボールを抱えて来た。

 梱包は外されますか? と店員が聞くと陽は肯定の返事を出した。

 ダンボールが外され、中の黒いビニール袋だけとなったところで、店員からそれを受け取る。

 コンビニを出ると、まじまじと黒いビニール袋を見る芽衣の視線に気がついた。

「ちょっと、エロ本にしてはゴテゴテし過ぎじゃない?」

 芽衣は言いつつ中身に興味津々なようだ。

「だから違うって言ってんだろ。開けてみなよ」

 陽が苦笑を浮かべながら、ビニール袋を芽衣に差し出した。

「あんたの物でしょ、いいわよあたしは」

 いいから! と陽にそそのかされ、芽衣は渋々包みを受け取り封を切った。

 そして袋を剥ぎ取る。

「こ、これは……」

 芽衣が驚きの声を上げた。その声には若干の感嘆も混じっている。

 陽の言ってた預け物とはカエルが可愛く擬人化されたロボットの玩具(おもちゃ)であった。目が真ん丸となっており口がへの字に曲がっていて、いかにも女の子ウケしそうな顔をしている。胴体は頭の太さよりちょっと細く、腕と脚は機械的とも生物的ともよくわからない構造をしていた。

 袋から取り出すとセンサーが反応し、電源が入った。目型のライトがピコピコと青く点滅する。

「オマエガ、メイカ! オマエガ、メイナノカ!?」

 ロボットが発声した。

「やーん! かわいー!」

 芽衣は目を子供のように輝かせ、嬉々として声を上げる。

「足底にはキャタピラを内蔵していて移動ができるし、脚部と腕部には簡易人工筋肉が内蔵されてるから低い段差くらいなら軽く飛び越えられる。学習能力ソフトを内蔵しているから言語も覚えきれる。……もちろん、容量には限界があるんだけど」

 芽衣はそのロボットから目が離せないでいた。

「……お前にやるよ、芽衣」

 そんな芽衣を横目で窺いつつ陽が言った。

 え! と芽衣がまた驚いた。

「今年のお前の誕生日、……もうとっくの昔に過ぎているけど、その時にこいつを渡したかったんだ。でも想像以上に過酷で、費用とか製作の難しさとか色々あって、予定よりも長引いちまってね。間に合わなくてごめん。でも、その分気合を入れまくって作ったから大事に使ってくれよ」

 陽はそう言って、芽衣の抱いているロボットにずいっと顔を近づけ、

「彼女が今日からお前のマスターだぞ、ケロビィ」

 と言ってやった。

「リョーカイ! ケロビィ、ガンバル!」

 そのロボット、ケロビィは元気な声を上げた。

「その意気だ、ケロビィ! おい、芽衣、お前また泣いてんのか?」

 嬉し泣きをしている芽衣に気がつき、陽が呆れ気味に苦笑した。

「だってぇ……」

 芽衣は上手く言葉に出来なかったが、陽にはよくわかっていた。

「メイ、ナイテル! ヨウ、オンナナカセ!」


          ※


 ロックフォード社に着き、ナノの接種を受けた後、五十七階のラボの外を出ると一番最初に目についたのは窓を打ち付ける雨だった。

「マジか、朝は晴れてたぞ……」

 陽が外を見つつ言う。

「今外に出たらこの子が濡れて壊れてしまうわ。ここで待って、しばらく止まない場合は一階の売店で傘を買いましょう」

 芽衣は自分や陽が濡れる心配よりもケロビィが壊れることが心配なようだ。

「アメニヌレテモ! アメニヌレテモ!」

 芽衣に追従するケロビィは陽気な声を上げる。

「それよりも今の僕の頭が欲してるのはニコチンの接種だ。ちょっと喫煙所に行ってくる」

「はいはい、寿命を縮めたければ勝手どうぞ」

 芽衣の返事を聞くと陽はそのフロアの喫煙所を目指して、駆け出していた。


 陽は鼻歌を歌いながら小走りで喫煙所を目指していた。

 嫌いな注射を受けた後なので気分がいい。

 でも一番嬉しいのは芽衣にケロビィを渡せたことか。

 陽が思い出し笑いをしながら、次第に小走りからスキップへと移動方法を変える。

 前方には曲がり角があった。あそこを曲がった先に喫煙所はある。

 スキップを踏みながら勢い良く曲がろうとした。そしてその角の向こうから女性が歩いて出てくるのを認識し、急停止しようと足の動きを止めようとしたが間に合わず、ぶつかる羽目となった。

 しかしその女性は小柄な白人の少女だったので、逆に彼女のほうが尻もちをつき、持っていた藍色の傘を落とす結果となった。

 彼女はフリルの付いたメイド服を着ていた。何より陽にとって印象的だったのは白色のヘッドドレスに黒一色の花がついてあるところだった。

 年齢は十七~十九くらいであろうか。

「ごめん、怪我はない?」

 陽はそう言いながらしゃがみ込み、メイドの落とした傘を拾った。

「いえ、こちらの方こそごめんなさい」

 メイドは妙に機械的に詫びる。

「いやー、ごめんごめん。注射から開放されて一服タイム! ってなって浮かれてしまってさー! 君は悪くないよ! 謝らなくていいんだよ! 僕が悪いんだから。この歳になって未だに『廊下を走るな』って親であるお祖父ちゃんに教わってんのになかなか直せなくてさぁ!」

 べらべらと喋り続ける陽にメイドは目を瞬かせた。

 自分だけ喋ってることに気がついた陽は再びごめんと謝り、立ち上がって手を差し出した。

 メイドはその手を握り、起き上がる。

「……良い花飾りだね! 僕は花には詳しくないんだけど、珍しい花だ。でも、とても綺麗だな。んじゃねーん」

 陽は早口でまくし立てると、傘を返し一方的に別れを告げて立ち去って行った。

 そのメイドの少女……シェリーが驚きに口を開けてる事には気づく暇がなかった。


           ※


 陽が立ち去った後、シェリーはしばらくその場に立ちつくしていた。

 生まれてから此の方、他人に興味をもったことなどなかった。

 それは自身の特殊な出生のせいでもあるのだが。

 主人であるスタンリーは何かにつけてシェリーを罵倒し、時には手を上げて彼女をいたぶることがあった。でもメイドとして教育された彼女はそれも主人には逆らえないと思い耐えてきた。

 シェリーにとってスタンリーはあくまで主人であり、それ以上でも以下でもなかった。

 それは他人にも言えることだった。シェリーがこの花を髪に飾って街を歩いていると、多くが花を目にした瞬間怖じたかのように目を見開き彼女と目が合うと慌てて視線を逸らし、通り過ぎていた。

 他人はどこまで行っても他人。主人とて同じ事。どうなろうが主人は主人。

 今の今までそう思って来たのだから。

 でも彼は違う。そんな気がする。

 シェリーは手のひらを見た。まだ暖かい感触が残っている手のひらで拳を作るように握る。

 そして多くの人が不気味に思う、この花を褒めてくれた彼に言い様のない感情を抱いている事に気がつく。

 おそらく他人に興味を持つと言うことはこう言うことなんだろう。シェリーはそう納得する。

 彼がこの花のことをどう見て、どう思い発言したかはわからない。その事も含めて、彼が気になった。

 ぶつかってから、詫び、花のことを褒め、強烈な印象を残して早急に立ち去って行った彼。

 あの人、一体どんな人なんだろう。わたしと同じなのかな?

 シェリーはこの雨の日、生まれて初めて他人に興味を持った。

人間兵器ヒューマノイド

ナチスの研究科が考案した、被験体に人間を使って行う悪魔の研究の産物。

強化手術や洗脳暗示、薬物投与により通常の人間の兵士よりも運動神経、反射神経が強化される。

その代償として理性が崩壊して、精神崩壊を引き起こしたり薬物の禁断症状に苦しんだりする。唯一、例外としてロックフォード社が極秘裏に開発している『最高傑作マスターピース』は自我を保っているとの噂だが、詳細不明。


西暦2006年には英国情報部に厳重に保管されていた人間兵器の製造工程が何者かによって盗まれ、2010年にはそのレシピがブラックマーケットに流失。

以降、世界中のテロ勢力に乱用され社会問題となった。

 ・ポイゾ

 人間兵器に投与する、クロユキの花から抽出される麻薬。

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