欠損した記憶
夜が更け、セーフハウスのゼロの隊員も寝静まっていた頃。宇佐美陽は薄暗い部屋で、コークを飲みつつディスプレイとにらめっこをしていた。
後ろのベッドにはイヴァンがルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』(また邦訳版だ)を右手に持ちつつ、ぐーすか寝息を立てていた。『人間以上』は僅か半日で読破してしまい、陽がパソコンで調べている最中に、次の本に取り掛かろうとしているところを自然に眠りについてしまっていた。
陽はハッキングを使い、英陸軍特殊部隊……SASと略される組織の裏データベースにアクセスしていた。最初は敵組織のボスであり、過去にSASに所属していたというスタン・ロックフォードについて調べようとしていた。しかし、プロファイル写真の一覧をみて気になる男がおり、我知らずその男の項目に侵入してしまっていた。
画面に男の顔写真と人物像が表示される。
※
・マシュー・リード・リペニー
生年月日:一九八X年一月二日
血液型:A型Rh+
髪色:黒
眼の色:薄いグレー
信仰する宗教:イングランド国教会
階級(最終階級):軍曹
経歴:イギリスの貴族家系であるリペニー家で育つ。幼いころ、父親から性的虐待を受けて育ち家を飛び出し孤児院での生活を経て、SASに入る。しかし中東での任務で敵に捕らえられ、留置所で『暴行』を受け、救助された時には女性人格となっていた。その後は友人であったスタンリー・ロックフォードとともにSASを退く。ロックフォード社に入社するがその後の動向はここのデータベースの管轄外なので不明。
・関連人物
・スタンリー・ロックフォード
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ふむ、と陽は頷いた。タバコを取り出し、ジッポで火をつける。
たしかにSAS隊員・元隊員のことはここまでかと言うほど詳しく記されていた。
それにこいつ……、イヴァンと出会ったあの夜、自分をロックフォード社に連れ去ろうとしていた男なのではないかと思う。理由はただ単に口調と声が、男が無理に女を演じているようだったというだけだが、ロックフォードとその会社の関係者でオカマなのはおそらく彼だけであろう。
タバコを一口吸い、白い副流煙を吐く。
しかし、自分が彼の顔写真を見て最初に感じた違和感はそれではないはずだ。と陽は思った。
何故こいつの項目にアクセスしたのか……。思い出せそうで思い出せない感覚が彼を苛み、静かな部屋で一人唸っていた。
「うーん…………」
「またハッキング?」
思わず深夜なのに声を出しそうになったが、なんとか押し殺した。
振り返ると、黒いパジャマで身を包んだシェリーがそこにはいた。
「こら、シェリー……! 脅かすなよ」
イヴァンを起こさないように小声で言う陽。
シェリーは「ごめん、結構前からこの部屋に居たのに陽はそれに夢中で気が付かなかったから」と申し訳なさそうに呟いた。
「もうちょっと存在感……あ、いや、気配を示せ! まるで幽霊だぞ、幽霊は怖いんだぞ!」
動揺のあまり、自分でも何を言っているかわからない。
「もうしないから……。マシューのこと気になるの?」
シェリーが話題を変えると、陽は頷き、
「こいつ、なんかミョーに引っかかるんだ」
「彼は強いよ? 人間兵器を束ねている部隊のリーダーだもの」
陽は苦笑し、
「そういうことじゃないよ。なんか、……なんつーかはじめて見る顔の筈なのに知ってるような……でも思い出せない、みたいな感覚があるんだ。こんな感覚、味わうの初めてだよ」
ふぅん、と彼女はディスプレイの中のプロファイルを見た。
その横顔を陽はまじまじと見つめる。ぷっくりとした唇、高く整った鼻柱、モニターの明かりを反射している緑の瞳は初めて出会った時よりも輝いて見える。
心地よい匂いが鼻をくすぐった。シャンプーの匂いだろうか? それとも……。
「なにかな……」
その緑色の目がギョロッとこちらを向いたので、陽は再び声を上げそうになった。
「な、な、なんでもにゃい……!」
普通の話す時の声音でそう言って、慌ててディスプレイに視線を戻した。
リペニーの写真を見て、落ち着くことにする。
「とにかく! こいつは何か引っかかる。それだけなんだ」
そう言い、陽は席を立った。
「さぁ、寝るぞ! シェリーも早く寝な。明日はイヴァンさん達と訓練をやるんだろ? 体力をチャージしとけ!」
「わたしは三十秒目を瞑るだけで二十四時間は頑張れるんだけど……」
シェリーはぶーたれる。
「知ったことかい。僕は寝るからな、おやすみ」
陽はそう言って部屋を出ようとしたが、やはり心残りがあった。
先刻のシェリーの顔に自分は夢中だった。
――もしかして僕はシェリーが好きなのではないか?
改めてそう感じる。
「ねぇシェリー」
考えるより先に言葉が出てしまっていた。
「ん?」
シェリーはきょとんとした様子でこちらを見た。
「今度さ、面白そうな映画が公開されるんだけど、良かったら観に行くかい?」
少し勇気を出してそう言ってみた。
シェリーは顎に手を当て、考えこむような仕草をし、ややあってこう言った。
「できれば芽衣さんと行って欲しいかな? わたし、映画は興味が出なくて……」
その返事を聞き、陽は苦笑いを浮かべる。
シェリーはおそらく芽衣との仲を修復してあげたいんだと、思った。
そういう自己犠牲精神が彼女の中にはある。その片鱗はエンターグラウンドでの戦いでわかったことだった。他人のことをおもいやりすぎて、自分を疎かにしてしまい、結局、周りの人にそれがバレる。
――典型的な、不器用。
「わかったよ。今度あいつを誘ってみる」
陽は苦笑したままそう告げた。
「うん……」
その返事に満足したのか、シェリーは静かに微笑んだ。
「おやすみな、シェリー」
「おやすみ、陽」




