シェリー・チェインズについて
「MP-004、『シェリー・チェインズ』起きなさい」
シェリーの意識が覚醒した。
『シェリー・チェインズ』というのは自分の名前だとはわかった。そんな気がしたからである。
目を開けると、真っ白な天井に白衣を着た男が立っている。
「うん、目が覚めたようだね。まず、この指は何本に見える?」
白衣の男は指を二本、立ててみせた。
「トゥー……」
「おっと、そうだった。日本語学習プログラムがまだだった。おい」
白衣が何やら指示を出している。
一体何を言っているんだろう。そう思った刹那、酷い頭痛が走りシェリーは悶えた。
「アゥ……アァ!!」
「どうか落ち着いて……。君の言語を調整している。すぐに終わるから大丈夫だ」
白衣はシェリーの手を握っていた。暖かな手をしている……、シェリーがそう感じた時には頭痛が治まり、また呆然と天井を見ていた。
「さて、何本だ?」
白衣は右手でシェリーの手を握ったまま、左手の指を一本立てた。
「イ……チ……」
シェリーは息を切らし、そう答えた。そして日本語なのに完璧に発音できる自分に驚く。
「ふむ……大丈夫なようだな」
白衣はタブレットPCに何か打ち込んだ後、それを脇に抱え自己紹介をした。
「私はマイニー博士だ。このロックフォード社で人間兵器についての研究をしている」
人間兵器……聞き慣れない単語だったがその言葉の響きに得体のしれないおぞましさを感じ、シェリーは目を瞬かせた。
「どうか落ち着いて聞いてほしい。……君の体に人体改造を施した。まずメインとなるのはいかなる衝撃も緩和する衝撃緩和繊維でコーティングした全身の骨格だ」
マイニーはそう言いながら、タブレットに何かを打ち込み立体映像を起動させた。シェリーの全身のレントゲン写真が映る。その写真はパッと見、普通の成人女性のレントゲンのようにも見えたが、よく見ると体のいたるところに黒々としたなにかが埋め込まれていることがわかった。
「そして次にとてつもない跳躍力を発揮する人工筋肉でできたアキレス腱だ。この人工筋肉は軍の無人兵器にも使われている丈夫なものでね。高い塀をひと跳びで軽々と超えることができる。そのほかにも、君の体に様々な改造を施した。もはや全身が兵器と言っても過言ではない。君は今日から最強の人間兵器、『マスターピース』として生きるのだ」
マイニーはそこまで言って複雑そうな表情を見せた後、「では、また後でな」と言い残し病室らしきこの部屋を去った。
マイニーが去ったしばらく後、シェリーは身を起こし、ベッドの横に足を下ろした。
足に力を入れ、立ち上がる。生まれて初めて立ったような気分となり、シェリーは喜びに近い何かの感情がわずかながら芽生えた。
部屋の南側に長鏡が立ててあった。
シェリーはそこに向かって歩いた。一歩ずつ、ゆっくりと。足を踏みしめる度に脳に軽い電流が走ったような気分となり、それが心地よかった。
五歩ほど歩いたところで、不意にバランスを崩した。
その時周りの景色がスローになり、シェリーは倒れそうなっている間考えることができた。
視界の端に花瓶の乗った台があった。
あれを支えにしようと認識し、手をつく。台に乗った花瓶がぐらぐらと動き、手をついた方とは別の反対方向に倒れそうになった。
シェリーはそれを片手でキャッチする。
この反射神経……どうやらあの博士が言うように自分は強化された人間らしい。
普通、この場合はどういった感情を表せばいいのか。
それすらもわからない。
黒の花が挿してあった花瓶を元に戻し、シェリーは長鏡の前に立った。
鏡の中に小柄なティーン・エイジャーの少女がこちらを見返していた。髪は緑がかった(強化する過程に生じた影響だろうか)金髪で、目に力が入ってなく虚ろな瞳をしており、体には手術用のエプロンが着せてあり、殆ど裸に近い格好であった。
シェリーは手を胸部から下の方に撫でていく。下腹部まで届いたところで妙な違和感を覚えた。
このお腹の中にあるべきはずのモノがないように思える。女性としてあるべきモノが。
そう思い、ざわと胸の中に不安が広がっていった。
あの博士はなにをしたのか? そう思ったところで病室の自動ドアが開いた。
「驚いたな。もう立てるようになっているとは」
大して驚いていない様子でマイニーが入ってくる。
「ワタシノ、オナカ……?」
入ってくるなり、シェリーはそう聞いた。まだ言葉が上手く発せず、「わたしのお腹」だけでは伝わらないだろうとシェリーは思っていたが……。
「やはり……気づいたか」
マイニーはその一言で何かを察し、言いづらそうに口ごもった。
シェリーは黙って自分を怪物にした張本人に視線を送っている。
マイニーは何かを決心したように顔を上げると、シェリーの目をじっと見つめて、言葉を放った。
「人間兵器は戦闘に特化した人間だ。当然戦闘には必要のない体の余分な機能は除去されることとなる。その……、女性である君の体にあった『赤ん坊の部屋』を取り除いた」
それを聞いた途端、シェリーは心がスッと軽くなるのを感じた。
「すまないな……。本当にすまない……」
マイニーはただ謝るだけであったが、シェリーはむしろちゃんと話してくれたマイニーに感謝の情を抱いていた。
母親になるという選択肢を奪われたシェリーはベッドでしばらく寝ていた。
夢を見ていた。自分より歳下の少年と遊んでいる夢だ。シェリーと彼は誰もいない部屋ではライトセイバーでチャンバラごっこを演じている。彼は一体誰なのだろう。
思考する前に、「起きなさい、シェリー」とマイニーが自分を呼ぶ声が聞こえる。
シェリーは目を開いた。トレーを持ったマイニーが微笑んで自分を見下ろしている。
「食事を持ってきた。食べなさい」
「ユメを、ミていました……。オトコノコ……と、アソんでいるユメデス……」
その一言を聞いたマイニーは険しい顔となる。
「そうか……」
マイニーは再び笑顔を作り(その時のマイニーが笑顔作ったように思えたのはシェリーの勘違いかもしれない)、皿の乗った盆をシェリーの前のテーブルに置いた。
「君の味覚は常人並みではあるが、ここで作られる料理は味気なくてね……。まぁ、毒など入ってないから安心して……と、もう食べているのか」
もぐもぐと口を動かしていたシェリーを見て、マイニーは苦笑いを浮かべた。
確かに質素な味ではあったが、とても暖かい料理であった。
「お腹がいっぱいになるまで食べるといい。食べたあとは君の射撃能力を計る訓練だ。君はあくまでも人間兵器なのだからな」
そう言ってマイニーは踵を返そうとした。
「アナタ、ヤサしいデス」
シェリーはそう言った。心から出た言葉だったが、マイニーの表情は一瞬にして曇った。
「そんなことはない。絶対にな」
マイニーは柔らかい口調ながらも強く否定すると、こんどこそ踵を返し出て行った。
拙いことを聞いてしまったのか。しかし優しいという感想は本心である。なぜ彼は否定したのだろう。シェリーは食事を進めつつそう思っていた。
(対無人兵器による射撃訓練を行う!)
シェリーが居た病室から、廊下を出てエレベータで降りた先にあった真っ白な射撃訓練場で、シェリーは射撃用の耳あてをつけ、自動拳銃を持ち、正面の何もない空間を見つめていた。
(対する無人兵器は、ペイント弾を用いるガトリングガンを内蔵した射撃タイプ、お前に突撃をかけてくる特攻タイプ、そして人間の感覚を狂わせるスタン攻撃を出す超音波タイプがある)
サバサバとした女性の声が射撃訓練場のどこかに設置されているスピーカーから響く。
(次にその銃の説明だ。ワルサーP99。ドイツ製のポリマーフレームの拳銃だ。使い方は――)
女性がそう言ったところで、シェリーはワルサーのグリップセイフティを解除し、遊底を引き、初弾を装填した。
(わかっているな?)
シェリーは反射的にコクリと頷く。自分でも身に覚えのないことだった。しかしあの女性が『使い方』といった途端、そのワードに呼応するかのように自然な動作で安全装置の解除と初弾の装填がすんなりと行えた。これも人間兵器にされた時に学習させられたことなのだろうか。
(始めるぞ)
シェリーはワルサーを構える。
(スリィ、トゥー、ワン……ゼロ)
射撃場の天井が開き、その薄暗い穴から下部にガトリング砲をつけた飛行型のドローンが十五体飛んできて、浮遊しながらガトリング砲の照準をシェリーに定めてきた。
ガトリング砲が今にも撃とうと、カラカラと回る。
この拳銃の装弾数は十五発、予備の弾倉は二本だった。弾切れの時は再装填が必要だが、そんなことしている余裕もなく、無駄撃ちは避けたい。
確実に無人兵器の急所を射抜き、なおかつ無駄弾を使わないようにしなければならない。
普通に考えてシンプルなゲームじゃなかった。
しかしシェリーはやり遂げた。ワルサーで一体ずつ正確に狙いを定め、急所に9ミリパラベラム弾を当てていく。
気が付くと十五体とも、黒煙を上げ目の前の地面に転がっていた。シェリーはマガジンキャッチのボタンを押し、弾倉を落とし、新しい物を挿入する。
思考する暇もなく、再び天井がパカっと開き、無人兵器が迫ってくる。『迫ってくる』ということはこいつらは特攻タイプか。
シェリーはそう冷静に判断していた。
今度もシェリーは正確に射抜き、十三体あったそれをただ体の赴くままに撃ち落としていた。
天井が開き、飛行型無人兵器が降りてくる。あれは超音波タイプか。
シェリーは気怠さを感じていた。こんな簡単な訓練に何の意味があるのだろう。出来て当たり前のことをやらされるのはどうにも性じゃない。
案の定、五体あった超音波タイプはその活躍を見せぬまま、ワルサーのカモにされていた。
「状況把握能力:S。射撃能力:S。判断力:S。総合スコア:S。素晴らしいな」
シェリーの結果を読み上げる黒髪で眼鏡をかけた女科学者が満足気な笑みを見せた。
「モウ……カエってイイ……?」
シェリーは内心うんざりして呟くも表情にそれを表せないので、女科学者は「よろしいぞ。良い成果をあげてくれた」と笑顔を崩さず言ってくれた。
エレベータに乗ると、シェリーは開閉ボタンを押しドアを閉めた。
あれ? そう言えばわたしはどの階から来たの?
そんな疑問が浮き上がるが、適当に地下四階のボタンを叩き押しエレベータを上昇させた。こうやって当てずっぽうで押していけばその内元の階に戻れるという算段だった。
ポン! と音がなり、ドアが開く。
開いた先にあったものは異様な光景だった。
頭によくわからない針を刺された人間がシェリーから見て垂直に並んでいた。
人間の頭髪は綺麗に剃られており、禿頭のように見える人間が、男女構わず手術用ドローンに針でチクチク刺されている。
これは一体? シェリーは最初にそう思った。
足を部屋に踏み入れその人間たちを観察すると、後頭部の皮膚と頭蓋骨がなくなり脳が丸出しになっていることに気がついた。しかしこの人間たちは死んでいるわけでもなかった。しかし生きているわけでもない。シェリーにそう思わせたのは、人間たちのリアクションだった。
ドローンの針で脳のある部分を刺激されるとその被験体は大粒の涙を流して泣き、また別の部分をさされると、突然泣くのをやめ、今度は大笑いしていた。
――えぇぇぇぇん!
――あひゃひゃひゃひゃ!
これが人間兵器の感情を殺す研究の一環なのか。シェリーはそう思った。
人間兵器には感情がない。そして感情のない人間を開発するなら当然、人の喜怒哀楽を伝達させる脳神経をいじらなければならないのだ。
普通の人に見せたらあまりの気味の悪さに嘔吐してしまうことだろう。
しかしシェリーは不気味さを感じるわけでも、恐怖を覚えたわけでもなくただ、
――可哀想だな。
そう思っただけであった。
シェリーはホルスターに収まっているワルサーを抜いた。
やることは決まっている。哀れな、生きながらの死者を楽にするだけだ。
部屋に銃声が響いた。
シェリーが被験者を撃ち殺したのは、研究者の間の大問題となった様子だった。
さすがのマイニー博士もこれには相当堪えたらしく、結局シェリーは別の場所に移送となった。
「君は今度からこの会社のボス、ロックフォード氏の邸宅で働いてもらう」
マイニーは寂しそうにベッドの上で食事をしているシェリーに言う。
「わかりまシタ……」
シェリーはそう応じるとマイニーは泣き出すのを必死で堪えているような顔で、
「すまなかったな、シェリー。あんなものを見せて……」
どう返したらいいかわからない謝罪だった。
「あれが私が優しくないと言った理由だよ。私は自分の好奇心に負けてしまった科学者なんだよ」
シェリーは食事を中断し、マイニーを見た。
「そんナコト……イわないでくだサイ」
自分でも何を思ってそういう言葉が出たのはわからなかった。わかっているのはマイニーが今の研究に相当な罪悪感を持っていることだけだ。
それだけでシェリーは何もかもを許せた。罪悪感と言うのは悪業をした時に芽生える償いの感情であって、その気持が大事だとシェリーは思っていた。
翌日の朝シェリーは此処、ロックフォード社を出た。黒のワンピースとカーディガンという格好でエントランスホールから出た彼女は待っていたタクシーに乗り、自分を開発した会社の社長の家へと向かう。
車窓の外に見えるのは、巨大な高層ビルが灰色の空の下でそびえている様子だった。まさに大都会という感じの光景だったが、シェリーはなぜかあまり好きになれなかった。
「お客さん、東京に来るのは初めて?」
ドライバーがバックミラー越しにシェリーを見ながら切り出した。
シェリーは視線を景色からドライバーに向けると、
「……たブン、そウです」
中年のドライバーは少し驚いた様子で、
「へぇ、それにしちゃあ日本語話せるんだね。たしかに不自然な発音だけど、と、失礼」
発音のことについて謝るドライバー。
シェリーは、「いえ、いいンデス」と返すと、
「コノ街……ワたしはアマリ好きじゃないです」
「ほぅ? どうして? まぁたしかにゴチャついてはいるけどさ」
「なんトなく……大きナビルばかりがナランデイて、……色がスクないと……思いマス」
ドライバーは苦笑を浮かべて、
「ほー! 色! なるほどね。俺も田舎からここに来た時はそう思ってたよ」
彼は続ける。
「もう慣れっこだけどさ。『なんでこんなデカいくせに狭っ苦しいところに住まなきゃならないんだ』と思ったもんさ。しかし時間の経過とともにそれは気にならなくなったよ。
問題なのは、ここの住人の肥えた腹さ」
「デブ?」
シェリーが真面目に聞く。
「……いいや、そうじゃない。『当たり前』に慣れすぎているってことさ。若者が毎日のように弄っている携帯電話も、ただ体の赴くままに帰っている家も、そして居るのが当然と思って接している家族や友人も、明日突然なくなるものかもしれないんだ」
シェリーは黙って聞いていた。興味深い話であった。
「もし、このテクノロジー、文明、個人が明日にでも消えてしまったら人はどうなる? かなりの混乱が予想されると思うな。そして痛感させられるだろう。当たり前のように接していた技術や人に頼っていた、縋っていたことにね。
だから感謝しなければいけないのさ。水に、食料に、寝床に、隣人に。これらが明日もあるようにと祈りながら……」
「ソウかモ、シれマセンね」
シェリーはちょっと晴れやかな気分となった。
「うん……さて到着だ」
タクシーが立派な豪邸の門の前に停車した。
「ありガとう、ゴザいまシタ……」
シェリーはそう言って、札を差し出す。
「おっと、待って。今お釣りを……」
金額を確認したドライバーがコインケースを取り出す。
「オツリはイイ、でス。イイ話ヲ、聞かせてモらイましたかラ」
「……そうか。そう言ってくれるなら、俺も嬉しいよ。ありがとう」
ドライバーはニヤと笑うと、後部座席の自動式のドアを開けた。
シェリーは車を出た。ドアが閉まるとタクシーはゆっくりと発進していった。
シェリーは目の前の洋式の建物を見上げた。
門のインターホンを鳴らすと、「はい」と老人のしわがれ声がスピーカー越しに聞こえる。
「シェリー・チェインズ、でス」
名乗ると「……どうぞ」と門がガチャガチャと自動的に開いた。
シェリーは中に向かって足を踏み出した。
ベンジャミンという老執事に連れられ、彼女は玄関に入る。
「ここはスタンリー坊ちゃまの新しい邸宅だ。坊ちゃまがここに到着なさるまであと七日……。君にはそれまでに家事のやり方を覚えてもらおう。出来るね? ミス・チェインズ」
「…………」
シェリーは玄関先に飾られてある黒い花をジッと見ていた。
「シェリー?」
ベンジャミンは振り向き、彼女が花を夢中で見ていることに気づいた。
「このハナ……とてモ、キレイデス」
ベンジャミンの方を振り向きそう言うと、彼はハッとした様子を見せた。
「彼女……あの人と同じだ……」
ベンジャミンがよくわからないことを呟く。
「……?」
いや、なんでもない、と彼は言いシェリーを邸内に案内した。
邸内の至る所にその花……クロユキの花は飾られてあった。
※
七日後、スタンリー・ロックフォードはシェリーと出会った。
彼女はその後ベンジャミンからスタンリーの過去。そしてクロユキの花が飾られてある理由を知った。
その事を聞いたシェリーはどうしようもない感情を覚えた。
この花が好き……。それだけの理由で同一視されても彼女にとっては迷惑な話だったのだ。
そして、スタンリーにいたぶられる、意味のない日々が始まった。




