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 東京の某区にあるアパートの一室に、カタカタとパソコンのキーボードを叩く音が軽快に響いていた。

 リズムよく聞こえるその音は、突如外部から聞こえる無人飛行宣伝機のコマーシャルアナウンスによってかき消された。

「平凡な日常を送っている貴方に突如、振りかかる人間兵器の脅威。貴方の日常は本当に安全ですか? ロックフォード社は、襲いかかる人間兵器から貴方をお守りいたします。この空高く飛んでいる無人機は常にあなた方の生活を見守っているのです。これまでも、これからも、当社はあなた方に安心して生活できるよう努めていきます」


 またロックフォードの宣伝か、とノートパソコンのキーボードを叩いていた宇佐美陽は外から聞こえるアナウンスに辟易しながら作業を続けた。

 画面にはステータスバーが表示されており、その緑色のバーが徐々に右に動いている間もキーを打つ指を止めない。

「……平凡な日常を送っている貴方に突如、振りかかる人間兵器の脅威。貴方の日常は本当に安全ですか? ロックフォード社は――」

 陽は徐々に苛ついてきた。ただでさえ神経を使うハッキングの作業で、あんなプロパガンダを植え付けるだけしか能のない小賢しい機械に水を差されるなんて冗談ごとではない。

 ステータスバーは残り四パーセントを指していた。あと四パーセントで企業のデータベースへアクセスできる。

 陽は固唾を呑み、キータッチを続けた。

「平凡な日常を送っている貴方に突如――」

 あーうぜえ。陽のこめかみにうっすらと血管が浮き出てくる。

 血管を浮き上がらせながら、キータッチの速度を早めた。

「振りかかる――」

 次第にぎりぎりと歯軋りをしている自分に気がつく。

「人間兵器の脅威」

 なんだか動悸まで起きてきたな。

「――貴方の日常は本当に安全ですか?」

 安全だよ、クソが。

「ロックフォード社」

 次にその単語を聞いた途端、陽は無意識に『rockford』とキーを打っていた。

 しまった、と気づいた時には遅く画面に大量のエラーウィンドウが出て来る。

 クソクソ! と悪態をつきながら陽は保ち直そうと、キーボードを凄まじい早さでタイピングした。

 伊達に高校時代からハッカーをやってるわけでもない。一分位、タイピングをしていると、処理が終了し正常な画面に戻っていった。

 ふぅと息をつくとふつふつとした怒りが沸き上がってくる自分に気がつく。

 もう少しで、あと少しだったのに。侵入出来ないどころか危うく自分はパソコンのIPを抜かれ、お尋ね者となるところだった。

 やがてその怒りは心臓の部分から頭に上っていき陽は窓に駆け寄り、開け、東京の上空を飛ぶ無人飛行宣伝機にこう叫んでいた。

「さっきからやかましいんだよ、ロックフォードぉ!! てめぇが人様のことを考えずにゴタゴタと宣伝してるせいで、こっちが安全に生活できないんじゃボケ! わかったんならそのクソ忌々しいオモチャを飛ばすのはやめねぇか! 倒産しろ! トーサン! トーサン! トーサン!」

 アパートの三階の一室で、拳を何回も空に振り上げ倒産と叫ぶ陽。

 傍から見れば八つ当たりの責任転嫁な理屈だが、元々陽はそういうものを抜きにしてロックフォード社が嫌いだった。


             ※


 ロックフォード社……。武器兵器を始めとして様々な商品を開発している世界最大の企業であり、二〇二〇年現在の日本を語るにはこの企業は欠かせない存在となっていた。

 事の発端は、今から十年遡って二〇一〇年の話だ。ナチスの研究科が考案したと言われる『人間兵器(ヒューマノイド)』の製造方法が全世界の闇市場(ブラックマーケット)に流失した。その直後、世界中のテロ組織がそれを使って、新たなる攻撃手段として重宝されることとなった。


 人間兵器(ヒューマノイド)の製造方法は簡単で、被験体にポイゾと呼ばれる特殊な薬物を注射した後、洗脳暗示や強化手術を施す。その後、被験体の精神が主人(マスター)に屈服するまで何度も拷問でいたぶる。

 そうすることで人間の限界を超える戦闘能力を持った究極の兵器が誕生する。それが人間兵器(ヒューマノイド)だ。

 しかしそんなヒューマノイドに、ある致命的な欠陥があった。強化手術の苦しみや、薬物の過剰摂取、拷問の痛みなどで精神が壊れてしまうことだ。

 自我が壊れ、ただマスターの命令に従うだけの殺戮マシーン。ヒューマノイドは使う側にとっては利用価値のある攻撃手段であろうが、作製方法があまりにも非人道的なものであるために、当然国際法では禁止され、作製に関わった者、使用した者には重い罰が下ることとなっていた。


 日本でもヒューマノイドを使った事件が過去に三回起きており、北海道、香川、福岡県北九州市にそれぞれ一回ずつ持ち込まれたヒューマノイドによる無差別殺人事件が起きた。

 いくら洗脳がされ、強化手術で得た強靭な肉体を持っているとはいえ、外見上は普通の人間と大差ない。その隠密性があるからこそ、ヒューマノイドはテロリスト達に重宝された。

 事態を重く見た日本政府は、国民にnano(ナノ)と呼ばれるナノマシンの接種を定期的にする制度を実施した。

 ナノは、ロックフォード社が開発したナノマシンである。

 これを注射することによりナノが体内に入り、DNAデータから個人情報を検索し、やがては生体データの登録が完了する。

 登録された生体データは身分証としても使え、名前、性別、年齢、誕生日、親族などの情報を、ナノスキャンと呼ばれる特殊なスキャナーで読み取ることが出来る。

 そして、ナノは人間かヒューマノイドかを判別する効果も持っている。

 人間なら生体データを読み取るだけで済むのだが、ヒューマノイドの場合だとまずスキャナーに『UNKNOWN(不明)』と表示される。そしてチェックに回され、体内に前述したポイゾと呼ばれる薬物の反応が出ると、その該当者は人間兵器と見なされ処分される。

 スキャナー付きの偵察機は現在日本の全都道府県、全地域に徘徊しており、ナノを接種してない人間は即座にその偵察機が目の前に飛んできて、スキャンされることとなる。


 こうしてロックフォードは、人間兵器の脅威から日本国民を守っていた。

 ロックフォードは国民を必要とし、国民もロックフォードなくしては安心して生活できない。そんな関係だった。


               ※

「ロックフォード社が嫌い? お前、左翼かなんかか?」

 そんなことを言い出すのは陽の幼なじみの一人である杉山(すぎやま)(ゆう)だ。二人は豊月(ほうづき)大学(だいがく)の学食で昼食のラーメンを啜っていた。味噌ラーメンだった。

「あの会社に俺の両親は殺されたんだよ、ちくしょう」

 陽がむくれると悠はケタケタと笑い出した。

「またその話かよ。根に持つ気持ちはわかるが、そんなもん川にでも流しとけよ。ロックフォードは今の日本にどれだけ貢献しているか、わかっているだろ?」

 陽にはわからなかった。

 ロックフォード社の研究員として務めいていた陽の両親は彼が幼い頃、ラボの爆発事故で死んだ。

 そしてテレビのニュースや新聞などの報道関係はあろうことか死人はゼロと報道し、陽の親族にも慰謝料は一円も支払われなかった。

 この事に激怒した陽は、小学校の頃には街に徘徊しているロックフォード製の無人機や、空を飛んでいる宣伝無人飛行機に中指を立てては罵声を浴びせ、中学時代にはどうやればこの会社を潰せるかを試行錯誤し、高校に入ってからは、先輩からハッキングを学び、やがては一人で厳重なセキュリティを破れるくらいの腕前となった。

 それだけの腕前となって、まず最初にやったことはロックフォード社のデータベースにアクセスし情報をネットに暴露することだった。

 情報をネット上に流した陽は次第に『悪霊』と呼ばれ掲示板の住民から崇拝された。

 しかしロックフォード社の対応は早かった。その掲示板の事を知ったロックフォード社の名も無き社員はすぐさま本社に連絡し、掲示板は閉鎖となった。

 陽はそれでも諦めなかった。今度は重大なデータを盗み、そのデータをライバル企業であるスター・プリンス社に売り渡したのだ。

 その腕を見込んだスター・プリンス社は陽を産業スパイとして雇った。

 そしてこの間、ロックフォード社の試作品の情報が保管されているデータベースにアクセス中、その会社の宣伝無人機に邪魔をされ失敗した。


「おめでたい奴だな、お前」

 悠があまりにもロックフォードを擁護するので、陽は呆れ果て終いにはため息混じりにそう言った。

「そういうお前は左翼グループにでも所属したらどうだ? あの企業のおかげで日本は『人間兵器の脅威が少ない国』一位に輝いてんだから。ロックフォード社はそれだけ日本に貢献してるってことなんだよ」

「そんなもの、真実が公に出るまでの話だよ」

 陽は思わず口走ってしまっていた。

 悪霊として、ハッカーの世界に君臨していることは友人たちはおろか、家族にすら黙っていた。だから陽は口を抑え、俯くしかなかった。

「真実って、なんだよ?」

「いや、俺の親父やお袋を殺した話」

 何とか誤魔化すことにする。

「またそれかよぉ」

 そう言って再びロックフォード社の薀蓄(うんちく)を語る悠。

 こいつがバカでよかったな、と陽はほっとした。

「どうでもいいけれど、食事中にする話じゃないと思うわ」

 いつの間にか悠の隣の席にいた、陽の幼なじみのもう一人である星海(ほしうみ)芽衣(めい)は咎めた。ロングストレートの黒髪に水色のカチューシャを留めた、凛々しいながらもどこかツンケンした印象を与える少女だ。

「そうだよなぁ、でもこいつが頑固者で……。って! なんだ芽衣かよ」

 がたっとテーブルを揺らしながら悠が驚く。

「なんだと思ったのよ? 食事中でしょ。まわりの他の人たちの迷惑そうな視線にあんたたち気がついた?」

 陽と悠は周りを見渡す。男子学生はまた怒られてるぜ、と冷やかしの声をあげていて、女子学生は本当に迷惑といった感じで時おりこちらの方に睨みをきかせながら食事をしていた。

「ん、わりぃ」

 悠が嫌々そうに謝る。

「悪い」

 陽も続けて謝った。

「まったく、だからあんたらは空気がよめないと言われてんのよ。ひと目を気にせず『両親がー』だとか『ロックフォードがー』だとか『左翼がー』とかね。だいたい、あんたらバカ二人の輪に入って止めるのも勇気がいるんだから、もっと神経質なくらい周りの視線を気にして食べなさいよ。そして陽。ここでそれに火をつけたら――」

 陽が面倒くさそうに煙草を咥えてライターの火を先端に近づけようとしたのを見た芽衣は、

「殺すわよ?」

 とギョロッとした目つきをして脅し文句を言った。

 陽は二、三回目を瞬かせた後、黙って煙草をボックスパッケージにしまった。

「ま、説教はこれくらいにしといて本題なんだけど、陽、あんたnano(ナノ)の定期接種はもう済ませた?」

 まだだけど、と陽はラーメンの最後の一口を啜りながら言った。

「来週から冬休みで実家に帰るんでしょ? 明日は休日だからロックフォード社に行ってさっさと済ませちゃいなさい」

 陽の実家は福岡にあった。そこに行く為には、ロックフォード社が開発したナノと呼ばれる人工細菌(ナノマシン)を注射しなければならない。

「わ、わかった。行くよ」

 ちょっとどもってしまった。

 芽衣は目を半開きにして陽をじっと見ながら、「あたし、ついて行く。いや連れて行くから」と言った。


               ※


 星海芽衣は、陽のアパートに続く坂を全力疾走で駆け上がっていた。

 体力維持のために、いつもこうして坂道で運動をしていた。

 そうでもしないと陽のような怠け者になってしまうという危機感があったのだ。

 キチンと早起きをし、一日三食食べ、夜は早いうちに寝る。

 こうも健康的な生活をしていると、周囲から「芽衣。また綺麗になったんじゃない?」と言われるし、スタイルも我ながら良くなっているように思えた。

 すべては陽を反面教師にしたおかげでもあったが、不規則な生活を送る陽を見てると、なんだかこっちがバカを見た感じがしてすごく厭だった。


 坂道の頂上についた所で、走るのを止め、深呼吸して息を整える。

 息はそんなに上がってなく、額からは僅かな汗が滴っている。

 ハンカチを取り出しそれを拭うと、歩き出した。

 陽のアパートは坂を上がって直ぐ手前だ。

 アパートの三階まで階段を駆け足で上がり、陽の部屋まで向かう。

 二度押ししてインターホンを鳴らした。

 しばらく待っていると、

(……えー陽です。ただいまインターホンに出ることが出来ません。ピーという発信音の後に――)

 スピーカーからいかにも寝起きという感じのやる気のなさそうな声が聞こえてきた。

「ふざけてないでさっさと開ける!」

 芽衣が声を張り上げた。

 ドアの向こうからどすどすと人が歩み寄る気配がし、鍵を開ける音がすると、ドアが開いた。

 寝ぐせがボサボサの陽がぬっと出てくる。

「おはよう、芽衣」

「おはよう、陽」

 朝の挨拶を交わし合うと陽が外の日光が眩しいといった感じで目を細める。

「入るなら入るで早くしてくんない?」

 陽はそう言うとリビングの方にのそのそと向かった。

 芽衣がじゃあ入るわ、とアパートの玄関に入りドアを閉めた。ちゃぷちゃぷ、と台所から水滴の音が聞こえ、微かにヤニの臭いが立ち込めていた。

 芽衣は、はぁとため息をつくと靴を脱ぎ室内に入る。

 廊下を進み台所の隣を通り過ぎようとして芽衣はそうだ、と思いつく。

 台所の戸棚に歩み寄りつつ、

「あいつ、普段どんな物食べてるのかしら」

 と純粋な疑問を独り言ち、手前の戸棚を開けた。

「酒……」

 ビールやチューハイなどの未開封の缶がそこには不順序に並べられてあった。

 隣の戸棚も開ける。

「タバコ……!」

 マールボロのカートン十個入りが五つほど積まれてある。

 芽衣は険しい表情をしながら、台所の上部にある戸棚も開けた。

「エナジードリンク!」

 モンスターやらレッドブルやらの缶がやはり不順序に並べられてあった。

 芽衣は怒りに身を任せ、上部の最後の戸棚を開けた。

 そこにはポテトチップスや、カップヌードル、ボンカレーとかがぎっしりと詰められてあった。

「レトルト食品にスナック菓子!!」

 芽衣は怒りのあまり小刻みに全身を震わせた。

 しばらくガタガタとしていたが、ぴたっとやめると、肩を怒らせながらリビングの方に向かった。

「うーさーみーよぉぉぉぉうー!!」

 ドスをきかせて陽の名前をフルネームで呼ぶ。

「ん、なに?」

 対する陽はリビングでコントローラを握りながらゲームをしていた。

「『なに?』じゃないわよ! あんたここ数日どんな食事をしてるの!?」

「んー、そういえばあんまり健康的なのは食ってないような……」

 FPSゲームをやりながら何食わぬ顔でそう言う陽。

「じゃあここ一週間は!」

「健康的なの食べてないな……」

「……ここ一ヶ月は?」

「……健康的なのは食ってない」

 芽衣は怒りを制御するように目を伏せていたが、すぐに目を見開き、

「あんたの戸棚見たわよ! 酒! タバコ! エナジードリンク! スナック菓子にレトルト食品!!」

 と台所の方向を指しながら怒鳴る。

「わーったよ、今度から本数を減らすし野菜を食べるよう、努力する――」

「ダメよ」

 言い終わる前に芽衣が言った。

 え? と陽がゲームを中断して芽衣を見る。

「あんたの食事管理はしばらくあたしがやるから」

 芽衣は眉間に指を当てつつそう言った。

「そ、そんな芽衣! あんまりだよ!」

「口答えする気!? スナック菓子やタバコとかの嗜好品の類を一切禁止したっていいのよ?」

 陽に異議を唱える余地を与えないまま、芽衣は早口にまくしたてた。

「……わかったよ。わかりました!」

 陽が折れてしょぼくれた。

「ほら、今日はナノの接種の日でしょ? 朝ごはん買ってきたから、食べて急ぎなさい」

 芽衣がため息混じりにそう言うと、へーいと言いながら陽はシャワーを浴びに洗面所に行った。


 こうして宇佐美陽の一日は始まった。

・ロックフォード社

挿絵(By みてみん)

一大軍需企業。兵器の開発から生活必需品、食品まで幅広く開発・製造をしている。社長はジョン・ロックフォードだが、謎の病気で寝込んでおり、息子のスタンリーが事実上、会社を率いている。

その裏の顔は非合意を訴える被験体を使って、人体実験で人間兵器を開発している、ブラック企業。様々な悪事をしているが巧妙にもみ消していた。

本社から開発されたナノは、人間兵器を識別する唯一の手段である。

 ・スカッド

 ロックフォード社の私兵部隊。隊長はマシュー・リペニーで、彼を除き隊員は全て人間兵器で構成されている。

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