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「スタン様! そのお怪我は!?」
ロックフォード邸の正面ドアを開けるなり、待ち構えていたベンジャミンは驚いた表情でそう言いすぐさま眼鏡をかけつつ、スタンリーの腕の傷を診た。
「俺のことはいい! 親父に会わせろ……親父に……!」
ベンジャミンは表情を曇らせた。スタンリーをジョンの今際の際の会わせるべきか否か、判断に困っているような顔だ。
スタンリーとその父親のジョン、二人の関係は一言では言い表せない程複雑になっていた。長年ロックフォード家の執事を務めていたベンジャミンはその事をわかっていながらも、執事として踏み込んではいけない域を心得ていた。
しかし今回ばかりは深刻そうな表情の中に時折、戸惑いを滲ませているばかりであった。
「そこをどけ、ベンジャミン」
堪忍袋の緒を切らせたスタンリーは体でベンジャミンを押しのけると、父親がいる寝室へ向かった。
後ろからベンジャミンが追従する気配が伝わったが、そんなこと今はどうでも良かった。
この日をどんなに待ちわびたか。あいつが、奴が母さんを殺したあの日から、俺はこの時のために生きていた。
心臓を高鳴らせつつ、ジョンのいる寝室のドアを開ける。
いつものように薄暗い照明が、父親の寝ているベッドを惨めに照らし続けていた。
スタンリーはベッドに歩み寄る。我知らず口端を吊り上げ、卑しい笑いを浮かべていた。
「来たか……スタン」
ジョンが瞼を開き赤い瞳を覗かせながらスタンリーを見る。
「『来たか』……? 最後の最後まで父親らしいことは言えないんだな」
せせら笑いながらそう言い、スーツのポケットに手を入れジョンの顔に自分の顔を近づけた。
「よくも母さんを殺してくれたな爺。今の様を見ろ。そして自分がどれだけ惨めな存在になったか思い知るんだな」
「私は……全て知っておった……。お前がチェインズに頼んで、人間兵器用の薬物を注射して苦痛を与えておる事も……。お前が進めておる計画のこともな」
その言葉にスタンリーは意表を突かれた。一体誰がと思い、後ろを見る。ベンジャミンが怯えた表情で目を逸らしていた。
「マンドレイク計画の実現のためにはいくらかの代償が必要だ。お前にその覚悟があるのかどうかは知らんが……」
ジョンは枕の下に手を差し入れ、手のひらのサイズの青いカードを取り出した。
もう片方の手でスタンリーの手を握りそのカードを握らせた。『B-10』との刻印がなされた、プラスチック製のカードだった。
「我がロックフォード社の極秘ラボへのカードだ。あの施設へ行けば何かが見つけ出せる……」
何故これを俺に? スタンリーはそう聞くと、ジョンは喉を鳴らして笑いながら、
「人は誰しも、死に際に何かを遺したくなるものだ」
それが最後だった。
ジョンは瞼を静かに閉じ、頭を枕に預け、ガクンと項垂れた。
スタンリーはジョンの嗄れた首に手を伸ばし、脈を計った。脈拍は急速に弱まりつつある。
一体ジョンは自分に何を見せようとしたのだろう。
スタンリーは視線を落とし、握らされたカードキーを見る。B-10……。ロックフォード社の地下階の数は九階までであった。まさか自分も知らない極秘ラボがあったとは。
スタンリーはベンジャミンの方を見た。
「車を出せ、ベンジャミン。こいつが何なのか、一刻も早く確かめないといけない」
「しかしまだジョン様の葬儀も終わってないのですぞ? 貴方様の腕のお怪我だって……」
目を瞬かせながら抗議の声を上げるベンジャミンをスタンリーは鼻で笑い、
「そんなのは後回しだ。これを確かめてからでも遅くはない。父が俺に隠して何を研究していたのか、こいつがくたばった今、知る権利がある」
スタンリーはベンジャミンの横を通り過ぎ、部屋を出た。
ロックフォード邸を出たスタンリーは、待機していたリペニーが運転する装甲車でロックフォード社に向かった。
「すまないな、腕が負傷してしまってお前にまで運転させて……」
申し訳無さそうにそう言うスタンリーにリペニーは驚いた様子で、
「なによ、らしくないわね……」
「そうか?」
「普段は高慢ちきなあんたが、素直に謝礼するなんて、気持ちが悪いわよ。……まるで」
そこまで言ってリペニーは口ごもった。スタンリーは眉をひそめて、「まるで?」と先を促す。
「……SASに入隊した時のあんたを思い出すわ」
言いづらそうにしながらもはっきりとそう言うリペニーに、スタンリーは「そうか」と相槌を打った。
スタンリーは窓に映る自分の顔を見た。端正な顔立ちをしながらも、目はドブ水のように濁ってしまっており、せっかくの青色の瞳を台無しにしていた。
装甲車が街灯を通り過ぎた時、一瞬車内が眩い光りに包まれる。そして元の明るさに戻った途端、スタンリーは窓に映る自分の顔が若いころのそれだと気が付き、ハッとした。
再び外の街灯が車内を照らした時には、自分の顔は元に戻っていた。
「……疲れているんだな」
「どうしたのよ?」
ぎょっとしてそう尋ねるリペニーにスタンリーは「いいや」と返した。
装甲車はロックフォード社の地下駐車場に停まり、スタンリーとリペニーは外に出た。
受付にいる警備員はスタンリーとリペニーの姿を見るだけで事情を察し、エレベータの方まで案内してくれた。
その対応のスムーズさに、スタンリーは、父親はここまで狙っていたのだろうか? と考えた。
ポンと音が鳴り、エレベータのドアが開き、スタンリーとリペニーは乗り込む。
カードをボタンの下にあるリーダーに通すと、「機密プロジェクトです。エレベータ内の方の確認を行います」とのアナウンスが鳴り、頭上の監視カメラが動き出した。
「内部にロックフォード家の方がいることを確認しました。機密プロジェクトへ案内します」
エレベータがぐらっと下降する。
「えらく厳重なセキュリティね? この機密プロジェクトってそんなにヤバイの?」
リペニーが深々と息をつきつつ呟く。
「そうだな、ジョンが俺に、……俺が関知しないほどひた隠しにしていたということはつまりそういうことなんだろう」
「マンドレイク計画だけでも結構ヤバイのにねぇ……。nanoを投与された人間のみを攻撃する生物兵器、でしたっけ?」
スタンリーは沈黙を返事にした。
再度、音が鳴り、エレベータが地下十階に停まった。
ドアがゆっくりと開き、スタンリーは固唾を呑む。
ドアが完全に開くと、スタンリー、続いてリペニーが薄暗いラボに足を踏み入れた。
ラボの形は六角形状になっており、壁にあるガラス上のケースには新兵器と思わしき物が保管されてあった。
ロケット砲のような形の物、強化服と思わしき青色の戦闘服、銃型の注射器と毒々しい濃青色の液体が入ったカプセル、見たことがない形状のPDWマシンガン、山刀、手榴弾……。
スタンリーは当社で開発されている兵器の数々はすべて頭に入っているつもりだったが、この六つの兵器を見るのは初めてだった。
「なによ、たったこんだけ? もっと危なげな兵器が開発されていると思ってたんだけどぉ?」
リペニーが残念な顔になりつつ口を開く。
「まだこの兵器の破壊力を知ったわけではないさ。余計な口は謹んでもらおうか、リペニー隊長」
一方のスタンリーは険しい表情でそう言った。
「その通りだよ、スタン」
不意に部屋全体に聞き慣れた声が響き、スタンリーとリペニーは同時にぎょっとなった。
今の声、明らかにジョンのものであった。声の主を探そうとスタンリーは辺りをきょろきょろと見渡したが、どうもこの部屋の至る所に内蔵されたスピーカーが、父親の声を発しているようだった。
天井にあった投影機が作動し、部屋の中央にジョンの立ち姿が映しだされた。
その立体映像は寝室で寝たきりになっていたジョンよりも若返っているように見えた。
スタンリーは表情を憤怒に歪め、そのホログラムを睨む。
「親父……」
ジョンはそのスタンリーの反応を予想していたかのように、嘲笑じみた笑いを浮かべた。
「お前の今思っていることはこうだ。『死んでもなお、俺の前にその姿を晒すつもりか?』と……」
スタンリーは歯軋りをしながら、ただジョンを睨んでいる。
ジョンはフッと笑うと、
「正確に言えば私は本人ではなく、その人物の性格、思想、記憶を再現したプログラムということになろうがな……」
感情の欠片もない視線でスタンリー、リペニーを見、
「ようこそ来てくれた。スタンリー。それからリペニー隊長……。このシステムが作動しているということ……、つまり私はもうこの世にはいないということだ。スタンリー、お前を呼んだということは他でもない、このラボにある兵器のことについてだ」
「回りくどい言い方は相変わらずだな。早く言ってくれないか?」
スタンリーが苛つきながら吐き捨てると、ジョンはその反応も予想していたかのように、ふんと鼻を鳴らす。リペニーは「機械にキレたって、しょうがないでしょ?」と小声で呟いた。
「すぐに話すからそう怒るでない。このラボにあるものはお前が開発した、ナノを投与された人間のみに感染する生物兵器……マンドレイクを東京全体に散布する気象変動装置『クラウディ』と、私が開発した、ナノマシン『デモン』だ」
ジョンがクラウディと思われるロケット砲の形をしている装置を指差し、そして注射器と青色の液体が入ったケースを指差した。
「クラウディにマンドレイクを設置し、起動すると上空にマンドレイクの雲が東京全体を覆う形で発生する。そうなると瞬く間に東京は壊滅するだろう」
恐るべきことをサラッと話してくれる。とスタンリーは一瞬思ったが、生前の父親の人格性を考慮すれば納得の行くことだった。
「次にデモン。投与した者の体内にあるナノを造り変え、人間兵器並みの身体能力、反射神経が得られるナノマシンだ」
「なんだって……」とスタンリーは驚愕した。リペニーも目を瞬かせながら口に手を当てていた。
ジョンは難しい表情を作ってみせながら、
「だが、欠陥も多い。このナノマシンを投与した被験体のうちの一人は発狂した末、自害し、もう一人は暴走して逃亡した。だから私は叡智を結集して制御チップ付きのパワードスーツを開発した」
スタンリーはケースに飾ってある成人男性サイズの鋼鉄でできたパワードスーツに目を向ける。
「それだけじゃないぞ。このスーツを身に付ければ、運動性が上昇し、どの人間兵器よりも……お前に従っている『最高傑作』をも遥かに凌ぐ総合力になる」
ホログラムのジョンはどことなく嬉しそうに語っていた。
「彼女、自我をもたせた時点で私は心底難しかった。もし彼女が裏切り、第三者側につくようなら、これを上手に使ってくれ」
「これを使うには及ばないさ」
スタンリーは即答した。実際シェリーをこちら側に連れ戻す方法はあった。好ましくないやり方ではあるが。
「そうかな? まぁ私は予知能力者ではないのでね。自分が死んだ今、そこはお前に任せるよ」
ジョンは見透かしたような笑みを浮かべスタンリーを見る。それを見てスタンリーはまるで図星を突かれた時のような苛立ちを覚える。子供の頃から父のこういうところが大嫌いだった。それだけじゃなく、ジョンの言ったことは遅かれ早かれ、全てその通りに動くことが多かった。
「死人のくせに知った口を……」
「ふ、まぁ良いだろう。私から話すことはこれだけだ」
ホログラムが消え、ラボに静寂が訪れた。
言うだけ言って消えやがって、とスタンリーは思い、デモンの入ったケースとクラウディを交互に見比べた。
「上空から生物兵器を散布する装置と、人間兵器並みの身体能力を持つことの出来るナノマシンねぇ……。関連性が見当たらないけど、ワクワクしてきたわぁ」
リペニーはウキウキした表情で甘いため息を漏らす。
スタンリーはクラウディの入っているケースをコンコンと拳で叩き、
「こいつが本当に実用可能か調べる。可能だとわかれば、マンドレイク計画に使う。それでいいな?」
「デモンの方はいいの?」
リペニーは向かい側のケースを指差しながら言った。
スタンリーもデモンの方を向いた。
「まだ使うには及ばんさ」
そうは言うものの、決して本心からではない。しかし使いたくない気持ちも少なからずあった。
ああいう力を簡単に手に入れることができる物に嫌悪感があったのだ。
スタンリーは努力家だった。ジョンから受ける虐待に耐え続けたのも、SASに入隊したのも、ロックフォード社を統制したのもすべて自身の努力によるものと思い込んでいた。
今の今までそう信じて生きてきたのだから。
スタンリーとリペニーは地上に上がるために、エレベータに乗り込んだ。
ラボの電気は自動で消え、ケースの中のデモンは毒々しい青色で怪しく光っている。
その光を見てスタンリーは最後にこう思った。
仮にもあれを使う時があるとすれば、それは自分を見失った時だ。




