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星海芽衣と名乗った少女は、口を大きく開けながら、イヴァンを驚愕の目線で見ていた。
イヴァンは真顔で芽衣を凝視する。
「陽に外国人のお友達……?」
芽衣が口をパクパクさせつつ言う。
「……知り合ったのは最近だし、ごく最近は喧嘩別れしたけどね」
イヴァンは間違ってない事を言った。
「ちょ、ちょっと事情を……」
「ジジョウヲ、キショウテンケツ、ワカリヤスク、セツメイ、シロ!」
ケロビィが芽衣に同調する。
「うるさい玩具だな」
イヴァンは煙たそうに、嫌な視線をケロビィに寄越す。
「イピカイエー、マザーファッカー!」
とケロビィが、どこかの映画で聞いたセリフを、その映画そのままの声で言った。
芽衣が今度はケロビィに驚きの声をあげた。
そのあと、
「あ! ごめんなさい、ミスター! 陽の奴、無駄にこの子にいろんな機能をつけてて……」
と慌てて言った。
「ほぅ? ロボット製作もできるとは聞いていたが、これ程とはな。ハッキングだけじゃなく、いろんな機械に精通しているらしい」
とイヴァンが興味深そうに言う。
「小うるさいところとかあいつにそっくりだぜ」
と付け加えたが。
「はっきんぐ……? 何です、それ?」
芽衣が本当にわからないといった表情になる。
「説明は後! このアパートのポストはどこにある?」
イヴァンが聞いた。
「下の階ですけれど……」
まだ状況が飲み込め切れない表情のまま、芽衣が答えた。
イヴァンは礼を言うと、芽衣の横を通り過ぎる。
芽衣もその後をついて行った。
アパートの階段を下り、ポストを見つけたイヴァンは二〇六号室のボックスを開く。
一枚の紙切れがあった。
どれ、とイヴァンは言いながら、そのメモを手に取る。
イヴァンはメモを開いた。芽衣もイヴァンの隣に来て、つま先で立ちながらメモを覗きこむ。
『陽くんを返して欲しければ、千葉県のS市にある遊園地、エンターグラウンドに来てねぇ! マシュー・リペニー』
イヴァンよりは上手な日本語で書かれていたそれは、ご丁寧にもキスマークが付けられてあった。
イヴァンは即、メモを握りつぶす。
「……あのカマ野郎!」
芽衣は目を丸くした。
「なんで、あいつがそんなに狙われているんです?」
イヴァンは芽衣をチラッと一瞥し、
「説明は後だ! あのカマ野郎をとっちめに行くぞ!」
「えぇー……」
芽衣は本当に困惑した表情になった。
※
芽衣とケロビィと、そしてイヴァンは新幹線の駅に向かい、歩いていた。
芽衣はわけがわからない表情のまま、イヴァンについて行く。
別にイヴァンがハンサムだから、色目立って、ということではない。
この人について行けば、陽に会える、とそんな気がしたからだ。
そして、年末から見られた、陽の不審な言動についてもわかるような気もした。
「……イヴァンさんはどこから来たんです?」
芽衣はそう尋ねる。
「今住んでいる所はアメリカだよ。アメリカ」
イヴァンは正直に答えた。
「それにしても、日本語とか発音とか訛りが一つもないし……本当にアメリカから?」
イヴァンは頷いた。
へー、と芽衣が歩きながら、イヴァンの晴天のような青色の瞳を覗きこむ。
「……なに?」
イヴァンが迷惑そうに芽衣を見た。
「いや? こんなカッコいいイケメン、陽は紹介してくれなかったもんだから」
「出来なかったんだよ、と。着いたな」
駅を視認したイヴァンは、立ち止まった。
「あの、イヴァンさん? 一ついいですか?」
ん? とイヴァンは芽衣を見る。
「さっき拳銃みたいなのを持っていましたよね? いくら人間兵器問題で銃刀法が改正されているとはいえ、新幹線にまで持ち込むつもりですか?」
「お、そうだったな。悪い」
イヴァンは拳銃をウエストから抜くと、近くのコンビニの前にあったゴミ箱にポイっと捨てた。
「いや『ポイっと捨てた』じゃなくて!」
「……何言ってんの?」
芽衣は咳払いをひとつすると、
「あのね、イヴァンさん。あんなゴミ箱に拳銃でも入れて、子供がもしうっかり拾ったらどうするんですか?」
「それもそうだな。わかった」
イヴァンは、拳銃を取り出し、瞬く間に分解し、本体の部分を燃えないゴミ、遊底の部分を燃えるゴミの中に入れた。
「どうだ?」
イヴァンが得意げに芽衣を見る。
あれならば、組み直して利用される心配もないだろう。
「よろしい、行きましょう」
芽衣は言った。
駅は結構、混んでいた。
それはいい。
問題は、イヴァンと歩く芽衣がカップルのように見えてしまったことだ。
「なにあの二人! 外国人イケメンと日本人美女のカップルぅ!」
頭の悪そうなギャルの一人が芽衣とイヴァンを指差し、そう言った。
芽衣はムカつき、そして恥ずかしくなりながらも聞かないふりをしていたが、不意にイヴァンがそのギャルの所に向かっていった。
「ちょっとイヴァンさん!?」
芽衣が素っ頓狂な声を上げる。
「俺と彼女は別にそんな関係じゃないぞ? 変な勘違いするなよ?」
イヴァンが真顔でそう言ったが、
「えーなになに? もしかしてツンデレ彼氏ってやつぅ? あたしのタイプかも……」
と、ギャルは言い、何処かに消え去っていった。
「ツンデレ……?」
イヴァンは釈然としない顔でそう呟いた。
芽衣のところに戻り、
「なぁ、芽衣。ツンデレってなんだ?」
と尋ねる。
日本発祥の言葉について知らないんだろう、と芽衣は思ったが、
「イヴァンさんは知らなくていいの! 早く行きましょう。遅れますよ!」
イヴァンの手を引いて、改札口に向かった。
ナノを識別するゲートを潜った芽衣とイヴァンは、停車中の千葉行き新幹線に乗り込んだ。
座席に、芽衣とイヴァンは隣同士で座り、発車を待つ。
「ツンデレ……つんでれ」
イヴァンは、まるで何かに憑かれたかのように、その言葉を呪文のように唱えていた。
二人が今いる車両には、子供から大人まで、色々な年齢層の客が座っていた。
「車内販売です。オススメは鯖の味噌煮弁当ですよ! いかがでしょうか?」
客室乗務員が、弁当や菓子などを乗せたカートを押してやってくる。
「じゃあそれを二つください」
芽衣がそう言って、弁当を二つ受け取り、代金を払った。
「ほら、イヴァンさん。お弁当ですよ、お弁当! あたしからのおごりで――」
芽衣イヴァンに向き、弁当を手渡そうとしたところで、
「つんつん」
とイヴァンは効果音を言い、芽衣の脇腹を小突いていた。
「あひゃぁ!」
芽衣が弁当を落としそうになりかける。
芽衣はイヴァンをキッと睨み、
「い、いきなりなにやってんですか! イヴァンさん!」
と咎めた。
「いやぁ……」
後頭部に手を当て、照れてみせるイヴァン。
その後、真顔に戻り、
「これが『ツンデレ』ってやつなのか?」
と迫真な様子で言った。
「……あのですね、イヴァンさん。もしかしてからかっています?」
芽衣は眉間に人差し指を当てて聞く。
「いや? 全然?」
イヴァンは飄々とした様子で言った。
「いや、からかってますよね?」
「違うぞ」
「殴りますよ?」
芽衣は拳を作り言った。
「意味がわからん!」
逆ギレするイヴァン。
「で、あなたはアメリカのどこから来たんです?」
気を取り直し、芽衣はイヴァンに聞いた。
「ワシントン辺りからかなぁ」
イヴァンは正直に言った。
「ワシントン! もしかして結構お金持ちだったり?」
芽衣が驚きながら尋ねる。
「うーん、そうだけど違うぞ。……ここだけの話、いいか?」
イヴァンは深刻そうに言った。
なんです? と芽衣が先を促した。
「もし俺が、CIAの諜報員だと言ったら、君は信じないか?」
その言葉を聞いた瞬間、芽衣は瞳に涙を浮かべ、大笑いをしていた。
イヴァンが不愉快そうに顔を顰める。
「し、しーあいえー! CIAってなに? ジェームズ・ボンド?」
なんだか間違っている気がするが、それでも芽衣は腹を抱えて笑った。
「ほら、やっぱり信じないじゃないか」
イヴァンはむくれつつ言う。
「いいえ? あなたがあの時、このケロビィを無人兵器と間違えて撃とうとしたのはその職業病だったりするのかな? と考えれば、辻褄が合いますよ!」
イヴァンは芽衣の座席の下に収まっているケロビィを覗き見た。ケロビィは大人しかった。
「じゃあ何が可笑しいのさ?」
今度はイヴァンが眉間に指を当てつつ聞く。
「いえ、陽の奴、CIAに追われるほど、なんか悪い事したのかなぁ、と思いまして、ね」
芽衣は涙を指で拭いながら答えた。
イヴァンは少し考える素振りを見せ、芽衣の知らなかった陽の裏の顔について話しだした。
※
「……そんなの! そんなのあたし聞いてない!」
芽衣はヒステリックにそう言った。
「信じられないかもしれないが、事実だ……」
芽衣はそう言い聞かせるイヴァンを呆然と見、次に頭を抱えだした。
「……あたし! 幼なじみで長い付き合いだったあたし! そんなこと何も知らなかった!」
芽衣は今度は悲しみから来る涙を目に浮かべつつ言う。
「……いや、陽は別に悪気があって隠していたことじゃ――」
「そんなの関係ない!!」
イヴァンの言葉を遮る形で、芽衣が怒鳴る。
イヴァンは体をビクッとさせた。
「あいつ、最近何か変だと思ってたの……。いつもいつも、あたしは一緒に居た……。なのに、なのに……あたしは……」
芽衣はそう言って泣き出す。
芽衣は、隠し事をしていた陽だけではなく、気が付かなかった自分についても怒っていた。
良く言えば健気な少女、悪く言えば自分にも他人にも厳しい芽衣は、その事実が悔しくて堪らなかった。だから泣いた。
「芽衣、よく聞いてくれ」
イヴァンは強い口調で発する。その後で、優しい声になり、芽衣をこう諭した。
「彼は君を巻き込ませまいと、黙っていたのだと思うぞ」
芽衣はイヴァンを見た。イヴァンは先ほどまでのお惚けた様子はなく、極めて真剣な表情であった。
芽衣は、なんだかムカつく。
「最近陽と出会ったばかりのイヴァンさんに何が――」
「わかるさ」
イヴァンは力強い声で言う。
そしてこう続ける。
「あのな、男ってのは面倒な生き物でな……。口よりも行動が先に出てしまう部分があるんだよ」
「……俺もそうだからわかるのさ。男は複雑なのか単純なのかよくわからないんだ。だから、嘘もつくし、その嘘がすぐにバレる行動もする。だがね、……これは原始的な本能なんだろうな。『他人を巻き込む』ってのは男にとっちゃあタブー中のタブーなんだ」
イヴァンは手を差し出し、芽衣の手を握った。芽衣は驚きの表情でイヴァンを見つめる。
「彼を……陽を、わかっちゃやれんか? あいつも君を想って、行動した結果なんだ。そして、今、責めている自分も赦せ。そうでもしないと、頭がおかしくなっちまう」
「イヴァンさん……」
イヴァンはもう一方の手で芽衣の両目の涙を拭った。
「惚れた男の傍でぐらい、笑っていろ。もう誰にも涙は見せるな。泣きたきゃ……トイレで、一人で泣け」
そう言って、イヴァンは優しく笑った。
「……はい、そうします」
芽衣は鼻を啜りながら返事をした。
「おう! さてと、芽衣。それじゃあ俺の質問にも答えてくれんか?」
「なんなりと」
芽衣は肯定の返事を出す。
「ツンデレって……なんだ?」
※
「うーん、ツンデレですか? 特定の人に素直になれず、ついキツく当たってしまうような人を指す言葉なんですよ」
新幹線が発車した頃、芽衣がツンデレについて説明をすると、イヴァンは「ほお?」と頷いた。
「まぁ時にツンツン、時にデレデレって感じでね。例えば――」
「べ、別にあんたの為にやったわけじゃないんだからね? 変な勘違いしないでよね?」
芽衣が腕を組み、顔をプイッとそっぽ向き、言った。
「とか!」
そして、車内販売から開封してなかった弁当の包みをつまみ、
「ほら、あんたのためのお弁当よ。その……朝の残りが余っただけなんだから!」
顔を赤らめて芽衣は言った。
そして哀れな彼女は気づいた。
その時、その車両の空気が死んでいたことに。
腰の曲がった老人も、親と子も、カップルも、オタクっぽい客も、全ての視線が芽衣に注がれていた。
「ママ、あの人何してんのー?」
「しっ! 見ちゃいけません!」
子供の声と、注意をする親の声が車内に虚しく響いた。
芽衣は当然のことながら、恥ずかしくなり、イヴァンに助けの視線を寄越したが、イヴァンはというと、
「へぇー、そうなのか」
と素直に納得していた。
※
芽衣は座席に備え付けさせてある、折りたたみのテーブルに顔を突っ伏し、
「死にたい……」
と言った。
「どうしてだ?」
イヴァンが弁当にがっつく手前で聞く。
「イヴァンさんは知らなくていーの……。とにかく死にたい」
そう言って溜息をつく芽衣。
「き、君たち……」
不意にそう声をかけられ、芽衣は顔を上げ、座席横の通路の方を見る。イヴァンも食事を中断し、その方を向いていた。
前方から見て、一番奥の座席に座っていた、オタクっぽい客がそこにはいた。
「イヴァンさん、知り合いですか?」
芽衣が聞く。
イヴァンは、いいや? と返事を返した。
「さ、さっき、ツンデレについて話していたよね? 僕もツンデレが好きなんだ……でへ」
オタクはニキビ面の顔を歪め、笑った。実に気持ちが悪い。
「教えてくれるのか!」
イヴァンが食いつく。
「うん、良かったらこの袋、あげる……」
そう言って、所謂『萌えキャラクター』が書かれた、ポリ製の袋を差し出してきた。
「色んなツンデレキャラの本が、そこには入ってるよ……。ちょっとエロいやつだけど……でゅへ……」
オタクは更に顔を歪めた。キモい。
「おう、ありがとうな。早速、読んでみるよ」
イヴァンはそう言って袋を受け取った。
オタクは、
「これで……あの外人を使って、念願の野望である、萌えエロ文化を世界に広めることができるぞ……でゅへ……でゅへ……」
などと言いながら、席に戻っていった。
イヴァンは中身を取り出すと、マンガ本をパラパラとめくった。はじめは興味深そうに見ていたその顔が、徐々にしかめっ面に変化していった。
イヴァンは本をパタンと閉じ、芽衣を見た。
芽衣はなんだろう、とイヴァンを見つめ返す。
「なぁ芽衣? 俺、日本語を完全にマスターしたわけじゃないからな。その……字とかセリフとかを読んでくれないか?」
――そして再び羞恥の時が訪れる。
「これなんて読むんだ? 芽衣」
イヴァンが聞く。
「破廉恥!」
芽衣が答えた。
「じゃあ、これは?」
イヴァンがページを指差し、言った。
「蜜壺!」
芽衣が赤くなりながら答えた。
「これは、セリフっぽいな……。なんて読むんだ?」
「優しく、してね?」
「じゃあこのセリフはなんと言ってる!?」
「らっめぇぇぇぇ! そこは違う穴なのぉ!!」
「……死にたい」
芽衣はすっかり虚ろな目になり、テーブルに頭を預け、よだれを垂らしていた。
「はは、じゃあ死ね」
イヴァンがズバッと言う。
「やっぱりからかってますよね!? イヴァンさん!」
芽衣ががばっと起き上がり、叫んだ。
そんなやり取りをしている内に、新幹線は東京駅へと近づいていた。




