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バンをクリーン・ハートの業者に返し、代金を支払った後、陽とイヴァンの乗った黒いポルシェはセーフハウスに向かっていた。
陽はと言うと、助手席の肘掛けで頬杖をつき、むすっと膨れていた。
「なぁ、陽。悪かったよ」
無言の空間に耐え切れなくなったのか、イヴァンはそう発した。
陽はイヴァンを横目でじろっと睨み、
「僕に謝って済む問題じゃありませんよ」
と恐ろしいぐらい静かな声で言う。
陽は振り返り、ポルシェの後部座席にいるシェリーを見た。シェリーはまだ口と手足が縛られたままで、座席に寝かせられた状態で目を瞑り、夢の世界に入っている。
「ロックフォードのメイド……と車をパクってきて、一体どうするつもりなんですか?」
陽はイヴァンにそう聞いた後、「スタンリー・ロックフォードに宣戦布告するようなものでしょ?」と付け加える。
「実はそうなんだ。この子をパクったのは宣戦布告なんだよ」
「ふざけてる場合では――」
「俺は本気さ。なんで君を、顔も何も細工せず、さっきの任務に狩り出したかわかるか? 後戻り出来なくさせるためだ。君がロックフォードを潰すと言った以上、俺らについていかせるためだ。君はもう俺たち『ゼロ』の一員なんだからな」
イヴァンは表情を変えずドライに言ってのけた。
「騙したんですね」
陽が怒りに震える。
「まぁ、それが理由の全てではないがね」
そんなことは陽にはどうでも良かった。
世界最大の企業に敵対する以上、後戻りはできないことは陽にもわかっていた。
ただ、イヴァンのやり方がどうしようもなく気に入らなかっただけである。
「どうして事前に言ってくれなかったんだ……」
「言ったところで、君は素直に応じてくれる人間だとは思えないからな」
イヴァンのその一言に、陽は憤った。
「ここで降ろして下さい」
セーフハウスの手前の貧相な住宅街で陽は言った。
車が停まる。
「以前からずっとあなたに感じていた違和感、その正体が今わかりました。あなたの小馬鹿にした態度。それが気に入りません」
「おい陽、落ち着いて聞いてくれ」
イヴァンは弁解をしようと強い口調で言うが、陽は車をさっと降りた。
「君の力が必要なんだよ」
助手席側のウインドウを開けつつ、イヴァンは必死に引きとめようとした。
陽は財布を取り出し、名刺を引き抜くと半開きになったウインドウから車の中に滑り込ませた。
「知り合いのネットワークセキュリティ会社です。僕よりはいささか劣るでしょうが、ないよりはマシかと」
イヴァンは名刺を拾い上げると、何を言っても無駄だと判断したのか、ハンドルを握り、車を発進させた。
車が過ぎ去る直前、陽ははっきりと見た。後部座席にいるシェリーが目を開け、寂しそうな視線でこっちを見ていることに。
その視線が目に焼き付くものだから、陽はこう毒づくしかなかった。
「……なんだよ、くそっ」
※
「それで? ハッカーの坊やには逃げられ、ロックフォードのメイドを拉致してどうするんだ?」
パイプ椅子に逆座りしたボンズはイヴァンにそう尋ねた。
セーフハウスの二階にある書斎で、シェリーは両手を後ろに縛られ、地べたに足を崩した状態……所謂『お姉さん座り』で座らされていた。
その周りにはイヴァン、アディソン、ボンズが囲むようにしてシェリーを見ている。
「この少女は、クロユキの花を持ち歩いていた。そして、俺が妙に気になるのは」
イヴァンはシェリーの目の高さまでしゃがむと、おもむろにヒップホルスターから拳銃を抜き、シェリーに向かって撃った。
シェリーの顔の真横に弾道が通りぬけ、後ろの壁に穴が開いた。シェリーの髪が数本、宙にひらひらと舞う。
「イヴァン、何を!?」
アディソンは驚愕する。ボンズも珍しく、口に両手を当て、イヴァンの突然の行動に驚いていた。
「見ろよ」
イヴァンはそう言い、拳銃でシェリーを指した。アディソンとボンズがシェリーの方へ向く。
シェリーは、顔の真横に銃弾をかすめてもなお、微動だにしていなかった。表情一つも変えず、ただ冷淡な眼差しであらぬ方向を見ている。
「この子はロックフォードに踏まれ蹴られしても、まったく、ただの一つも、表情を変えなかった。普通はどんなに無気力な人間でも痛みとか、怒りや驚きとかが表情には出るはずだ」
「イヴィー……」
アディソンがイヴァンの顔を覗き見る。
イヴァンはフッと笑い、
「まぁレイに言わせれば『不感人間』ってところだな」
そう言って、立ち上がる。
「チョー腹減ったし、俺はメシを食べてくるよ。アディソン、ボンズ、この子を頼んだ」
イヴァンは言いながら、書斎の出口に向かう。
「ハッカーのガキはどうするんだ?」
アディソンのその問いに、
「飯を食ってからでもいいだろう?」
そう返事をしてイヴァンは書斎から出て行った。
「どうする気なんだ。あいつは」
アディソンがボンズの方を向く。
ボンズは、さぁ? と肩をすくめて見せながら、シェリーの方を向いた。
まったく気がついていなかった。
シェリーがどこからか取り出したナイフで手を縛っている綱を切り、今まさにボンズに向かって飛びつこうとしていることに。
シェリーが上から突き上げるように、ボンズに向かってナイフを振る。
後退し、間一髪でボンズはそれを避ける。
「こいつ!」
アディソンがベレッタ拳銃を抜く。
しかし、シェリーは早かった。
シェリーはアディソンのベレッタを握っている、右手の手首を空手チョップで叩いた。
アディソンの手からベレッタが離れ、シェリーはそれを奪い、瞬く間に分解する。
銃をよほど熟知していないとできない、驚異的な早さの分解であった。
シェリーは呆気にとられたアディソンのみぞおちに拳を突き出す。
アディソンが倒れると、その後ろに奇妙な形をした銃を構えるボンズの姿をシェリーは認識した。
ボンズが引き金を引くと、ワイヤー付きの注射針が射出され、シェリーの胸に刺さった。
ボンズがもう一度引き金を引く。すると、電流がシェリーの体に流し込まれた。
それでも、シェリーは何も感じていない様子だった。それどころか、表情一つも変えようとしない。
「馬鹿な!? 五〇〇ボルトだぞ!」
普通の人間ならば、即座に気を失う数値だ。なのに、このどこにでもいそうな小柄な少女は平然としている。
シェリーは胸に刺さった注射針を抜き、それを床に落とした。
ボンズは電撃銃を落とした。
正気の沙汰じゃない。ボンズはそう思った。
それはあの夜、彼女の仲間であるレイ・マクドネルが思ったことと同じであった。
シェリーはナイフを構え、そして地面を蹴った。
ボンズは死を覚悟した。
その時、走るシェリーのすぐ後ろに、迫る影があった。
イヴァンは、シェリーを羽交い締めにすると、首にペン型の注射器を打った。
そこでシェリーの目が初めて驚愕に見開かれ、イヴァンの腕を振り払おうと必死にもがく。
初めは勢いが良かったその腕も、少しすると力をなくしていき、シェリーは目を閉じてがくんと項垂れた。
「こいつは化け物か」
ボンズが、アディソンに駆け寄りその肩を抱えつつ、言う。
「さぁな。だが」
イヴァンはカラになった注射器を見せつつ、
「象でもすぐぶっ倒れる鎮静剤だ。でもこいつは気絶するのに一分はかかった」
そしてその注射器を地面に落とすと、倒れているシェリーに跪き、メイド服のスカートをたくし上げる。足首にコンバットナイフ用の鞘が巻かれてあった。
「メイドがこんな物騒なもんを常備してるはずがないぜ」
そう言って、イヴァンは立ち上がり、ボンズに向き直る。
「こいつの身ぐるみを、下着以外ぜんぶ剥げ。拘束具も必要になってくる。一階に用意しておけ」




