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帰宅したスタンリー・ロックフォードに出くわして、陽は暫し頭が混乱した。
予想できなかったわけではない。
ただ、このタイミングでこういうことがあっていいのだろうか? と言う思いと、相手は他ならぬロックフォード社の幹部なのでさすがに自分の顔くらいは知っているだろう、という焦りがあった。
顔を斜め上に上げ、イヴァンの顔を見上げる。イヴァンはポーカーフェイスのままでスタンリーを見ていた。
「清掃業者、クリーン・ハートのベルドリッチさんとタブチさんです」
ベンジャミンが紹介する。
「ほう、クリーン・ハートと言えば清掃業者の中でも大手じゃないか」
スタンリーはそう言い、イヴァンと陽を見合わせた。
「どうも」
イヴァンが軽く頭を下げた。陽もそれに習う。
スタンリーは薄く笑い、
「せっかく来たんだし、お茶でもどうかな? おふた方」
「いえ、せっかくですけれども、もう時間が時間ですし私たちはこれで――」
「いやいや、私も掃除の件について気になっている箇所はいくつかあるんだ。これは私のお願いだよ。お茶を、どうかな?」
傲慢にも、イヴァンの言葉を遮る形でスタンリーは言った。
「……えぇ、わかりました。お客様のお願いであれば、いただきます」
イヴァンは渋々了承した。
「ありがとうベルドリッチさん。シェリー! 茶をお持ちしろ」
※
ロックフォード邸の一階にある応接間で、陽とイヴァンがそれぞれ一人用のソファに腰を掛けていた。向かい側にはスタンリーが座っている。スタンリーの背後にはベンジャミンが真正面を向いて立っていた。
「この家は二人の使用人では、掃除しきれないほど広くてね。他のメイドを雇うことも考えたんだが、私は召使いに金は掛けたくはない主義でね。あのように、書斎なんてホコリまみれだ」
「なるほど……。わかりました。普段、見落としているところは私どもに任せてください。具体的にはどの部屋を対象にしましょう?」
スタンリーは、うむ、と頷きつつ、中央のテーブル上にあるメモ帳を自分の方に引き寄せ、ペンを走らせた。
書き終わると、イヴァンの方にメモを差し出す。
応接間のドアが開き、ティーカップが三つ乗った盆を抱えたシェリーが入ってきた。
スタンリーの横を通り過ぎようとした刹那、スタンリーが横に足をずらし、シェリーは転んでいた。盆がシェリーの手から離れ、床に三つのティーカップが中に入っている黄金色の液体をぶちまけながら転がった。
「おっと、すまんシェリー!」
スタンリーが笑みを口元に浮かべながら、謝る。
明らかにわざとだ。そう認識した陽は、ソファから身を乗り出し「ちょっと、あんた!」と怒声を放っていた。
スタンリーが陽の方を見、くく、と喉を震わせる。
「いや、失礼。私は生まれついて、こうして人を弄ぶのが好きでね」
だからと言って、と陽は食いつこうとする。
「よさないか」
イヴァンが陽を制止する。
スタンリーが陽からイヴァンへと、交互に見、ふぅと息をついた。
「親父の遺伝さ。直そうにも遺伝子レベルで刻まれたモノは直せない。だからこんなことが出来るの、さ!」
スタンリーは、カーペットに零れた紅茶の後始末をしている、シェリーの尻を軽く蹴った。
「あんたいい加減に!」
席を立ち上がろうとした陽の手首をイヴァンが掴む。見えない力が働き、陽はソファに戻された。
その隙をつきスタンリーは、テーブルを乗り出し、イヴァンの懐にあるロケットペンダントを摘み、蓋を開いていた。
イヴァンと同じ銀髪の少女の写真が、そこにあった。
「この少女……。いや、この少女によく似た娘を、私は知っているぞ」
スタンリーはそう言って、瞳をギラギラと輝かせた。
イヴァンが無表情のままスタンリーを見る。
「七年前のことだ……。私は戦場を見学に行く、物好きだった。東欧の街で、少女を見たのは、私が無人兵器を引き連れて、街に来た時だった。その街は焼き払う予定でな」
ベンジャミンが「スタン様」と呼ぶが、スタンリーには聞こえてなかった。
「焼き払う前、ふと民家に立ち寄ってみると、その少女が居た。武装した我々を見ると、恐怖で目を見開かせた」
イヴァンがスタンリーを睨む。
スタンリーはそんなイヴァンの視線など眼中にないように、ロケットを見ながら話し続ける。
「私の母に似た、意思の強い少女だった。当然、抵抗はしたさ。だが私にとってはそれもたまらなかった……!」
「スタン様!」
そう呼ぶベンジャミンの声などお構いなく、スタンリーは続ける。性的に興奮した、獣の目をしていた。
「彼女を裸にひん剥き、そして――」
「スタンリー!!」
ベンジャミンの怒声により、スタンリーは現実に引き戻された。
ペンダントから手を離し、ベンジャミンの方を振り返る。
「なんだ? ベンジャミン」
「そろそろお時間でございます。お二人を帰してはいかがでしょう?」
ベンジャミンが、大声を出したのを恥じるかのように、声を低くして言う。
「あぁ、わかったよ。それとその名で呼ぶな。お前は使い人だろう」
「はい、失礼しました。スタン様」
ベンジャミンが左胸に右手を当て、お辞儀をする。
イヴァンは立ち上がった。陽もスタンリーを睨んだまま立ち上がる。
「では、また年末に。ベルドリッチさん」
スタンリーがニヤッと口を歪めながら言った。
※
「あいつ……! 嫌な感じだ!」
正面玄関を出て早々、陽は青筋を額に浮かべながら肩を怒らせ歩いていた。
「あのニヤケ面で耳に響く声! 使用人を奴隷としか見ていない態度! ロックフォードを潰す理由がまた一つ増えましたよ。ね? イヴァンさん」
イヴァンは黙ってバンに向かって歩いていた。
「イヴァンさん?」
呼ばれていることに気がついたイヴァンは、ハッとすると、
「いや悪い。考え事をしていてね」
「あなたらしくもない」
陽が意外そうに言った。
陽はバンに近づくと、助手席に乗る。
イヴァンは運転席側のドアを開けたまま、ロックフォード邸を見ていた。
「どうしました? 早く乗って下さいよ。外は寒いんですから」
イヴァンは陽の方を見ると、
「お前は一人で戻れ」
「はぁ? 何言ってんですか。ロックフォード邸の内部を盗撮する任務は完了したんでしょう?」
「ちょっと野暮用を片付けてくる。普通車免許くらいは持ってるだろう?」
「えぇ、まぁ持ってますけど……」
「じゃあ決まりだ。さっきの六本木の公園で十五分後、また会おう」
イヴァンはそう言い残し、バンのドアを閉めた。
陽は渋々、運転席に座りバンを発車させる。
門をくぐる直前、バックミラーを見ると、ロックフォード邸の裏手に回りこむイヴァンが見えた。
※
「あの青年……、宇佐美陽とか言うんだったな?」
イヴァンと陽が帰った後、応接間のソファに座り込みながらスタンリーが聞く。
「左様でございます。厳重なロックフォード・データベースのセキュリティを破ったハッカー……」
ベンジャミンは窓の外を見つつ返答した。『クリーン・ハート』のバンが門から出て行く様子が上から見てとれた。
「奴のナノは無効にしたはずだぞ? たしか成田空港でチェックに引っ掛かり、そして移送中に逃走した……」
スタンリーはそこまで言って、フッと笑う。
ベンジャミンが訝しげにスタンリーを見た。
「宇佐美……、宇佐美か。たしかロックフォード社のラボにも同じ名字の夫婦がいたな。俺の記憶が正しければ、あの二人の間には息子と娘もいた」
スタンリーはソファから立ち上がった。
「いいだろう、宇佐美のナノをまた有効化しておけ」
「なんですと?」
ベンジャミンが思わず聞き返す。
スタンリーはベンジャミンに向かってニヤッと笑った。
「奴に興味がわいたのさ。俺も刺激に飢えていたところでな。奴がどこまで来れるか、今から楽しみだ」
スタンリーはそこまで言うと、口の中がカラカラに渇いていることに気がついた。
「飲み物がほしいな。シェリー!」
そう声を張り上げるものの、シェリーからの返事はなかった。
※
公園の駐車場に着いた陽は、パーキングスペースにバンを停めると、車を降りた。
公園には人は誰も見当たらない。
駐車場を抜けると、手前にあるベンチに腰を下ろし、来る途中に寄ったコンビニで買った煙草の封を切り、一本銜え、百円ライターで火をつけた。
寒さからくる白い息と、煙草の主流煙の混じった気体が陽の口から吐き出される。
半分まで吸うと、座っているベンチの前の駐車場に一台の黒いポルシェが、凄まじいスピードで入ってきて、陽の停めたバンの横に駐車した。
その中から銀髪の青年が出てくる。
「イヴァンさん?」
陽は煙草を地面に落とし踏み消すと、イヴァンの方へ駆け寄っていった。
「すまない、待たせたか?」
イヴァンが聞く。
「いえ、僕もさっき来たところですが……。それより、この車どうしたんです?」
「それより、トランクを見てくれ。ないとは思うが、あいつが逃げ出していないかどうか、確認を頼む」
あいつ? 逃げ出す? と陽は疑問に思いながらも、トランクに回りこみ、開け、中を見た。
メイドの少女がそこにいた。口は縄で縛られ、手足にもそれが施された状態で体をくの字に曲げながらトランクに収まっていた。
シェリーは閉じていた瞼を開くと、縛られているのにも関わらず、相変わらずドライな視線で陽を見た。
陽は、トランクをそっと閉じた。きっと今見たのは幻だ。もう一度このトランクを開けば別の何かを見ることになるだろう。そうに違いない。
そう思って、またトランクを開く。
シェリーがこっちを見たまま、縛られていた。
「このメイドさんには色々秘密がお有りのようだったからな。ちょっと誘拐してきたよ」
陽の隣に来たイヴァンが説明する。
陽はガタガタと震えた後、後ろを向き、しゃがみ込み、両手で頭を抱えた。
「どうした? 陽」
「ど……」
陽が震える声を出す。
「ど?」
陽は立ち上がり、空に向かってこう叫んでいた。
「どうしたじゃねぇよぉぉぉ!!!」
夜の公園に陽の叫び声が木霊した。




