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始まりは一人の男からであった。
英陸軍特殊部隊の隊員で少佐だったジョン・ロックフォードは部隊から退き、二〇〇七年には軍需企業、ロックフォード社を立ち上げた。
ロックフォード社は無人兵器から生活必需品まで、ありとあらゆる商品を製造する巨大企業で、二〇一〇年に始まった人間兵器問題で、先導して対応したのが一因となり、民間からの支持を得ることも出来た。
しかし、二〇一五年、ジョン・ロックフォードは未知の病『デーモン・フィーバー』を発症、会社を率いる役はその息子、スタンリー・ロックフォードに任されることとなる。
スタンリーによる会社の統制が始まることとなった。
※
「ここがロックフォードの邸宅だ」
イヴァンが運転し、陽が助手席に乗った清掃業者『クリーン・ハート』の白色のバンは、邸宅街に入って、すぐのところにある立派な豪邸の前で停車した。
「すごい家ですね」
「あぁ」
玄関にある立派な門から続く通り道を抜けた先に、ロックフォード邸はあった。
建築して三十年は経過したと聞くが、手入れを欠かさないのか、新築同然に優雅で綺麗な建物であった。
バンが門に近づくと、センサーが反応し、鉄格子の門が開いた。
アプローチを通り、玄関の手前にある噴水の横にバンが停まった。
「作戦については覚えているな?」
イヴァンが隣にいる陽に聞く。
「えぇ……まぁ」
陽はそう言って、先刻イヴァンから渡されたカメラを取り出した。板チョコの一欠片ほどの大きさがある、白いバッヂタイプのカメラだ。
陽はそれを、清掃業者の制服についてある、胸ポケットにつけた
「よし、出るぞ」
イヴァンはそう言って、ドアを開け、バンの外に出た。陽も後に続く。
夜の月明かりの中、イヴァンと陽は正面玄関に向かった。
「ところで、イヴァンさん」
玄関に向かう途中で、陽はふと疑問に思ったことを聞くことにした。
「ん? どうした?」
「そのペンダントは何なんです?」
陽はイヴァンが四六時中つけている、胸のロケットが気になるようだった。
「いいタイミングで聞いてくれるな、この野郎……。まぁ説明はまたの機会にだ」
イヴァンが少し不機嫌そうな顔になったので、陽はそれ以上詮索しないことにした。
玄関の前に辿り着き、インターホンを鳴らすと、しばらくしてドアが開き、顔がシワだらけの老人の執事らしき人物が出てきた。
「清掃業者『クリーン・ハート』のアレクセイ・ベルドリッチです」
イヴァンが用意していた偽名で自己紹介をした。
「田渕蓮です」
同じく陽も偽名で名乗る。
「よくお越しいただきました。さぁ、中へ」
その執事……ベンジャミンはニコッと微笑むと、ドアを引き、イヴァンと陽を通した。
「事前にお話した通り、本日は下見となります。当宅の大きさだと、お時間を三十分ほど頂きますが、よろしいでしょうか?」
イヴァンがベンジャミンに問う。
「はい、構いませんよ。広いですので迷子にならないように」
「お気遣いなく」
ベンジャミンが発したジョークに、イヴァンが軽く笑いながら答えた。しかし、それが作り笑いであることには、陽もわかっていた。
「じゃあ行こう、タブチ」
「は、はい、アレクセイ……さん?」
イヴァンに呼ばれ、陽は慌ててついて行った。
※
二人がエントランスホールの階段を上がり、すぐ手前のドアに入っていったのを目視したベンジャミンは、早歩きになりながら、エントランスホールの南東の食堂に通じるドアを開けた。
田渕蓮と名乗ったあの青年に見覚えがあったのだ。たしかロックフォード社の機密情報データベースに不正アクセスを繰り返した、宇佐美陽とか言うハッカーの――
思考している間に曲がり角から曲がってきたメイドに気づくことが出来ず、ベンジャミンは彼女にぶつかってしまった。
メイドは転び、尻餅をついた。
「おぉ、シェリー。すまないね」
ベンジャミンは即座にシェリーの手を取り、立たせてあげた。
「いえ、こちらの方こそ……。そんなに慌ててどうしました? ベン」
メイド服のスカート越しに、汚れを叩いて払いながらシェリーは聞いた。
「いや……。そうだシェリー、君に頼みがある」
ベンジャミンは思い出したように言う。
シェリーは何だろう、と疑問そうに小首を傾げた。
※
「しかし、本当に豪邸って感じで部屋が多くありますよね」
陽はポリエステル製の地面の廊下を歩きつつ、こぼした。
「そうだな」
イヴァンが適当に相槌を打つ。
作戦行動中なので、私語は厳禁である。二人のこのやり取りも、猿芝居であるが、実際この豪邸には色々なドアが並んでいた。
そういえばなんで自分は昨日までお尋ね者なのに、よりにもよってこういう作戦に参加させられているのだろう? と陽は疑問に思った。
普通に警察にお尋ね者になったならまだしも、相手は他でもないロックフォードだ。そしてその社長の邸宅に、自分は顔を何も隠さず、清掃業者の制服を着ているだけの格好で歩きまわっている。
「陽」
イヴァンが率いる、ゼロの他の隊員でも役はつとまったはずだ。
「陽……!」
イヴァンが声を潜めつつも、自分を本名で呼んでいることに気がつき、陽はぎょっとして思考を中断した。
「はい! 何でしょうか、イヴァ……じゃなかったアレクセイさん!」
声を落としているとはいえ、作戦行動中なのに正気か? と陽は本気で思ったが……。
「今はその呼び方はいい。だが声はデカくするな」
一体何なんです? と陽は聞く。
「振り返るなよ? ……後ろから誰かが迫ってきている」
気配など何もなかったのに。陽は反射的に後ろを振り返ろうとするが、振り返るな、と静かながらも怒気を孕んだ声でイヴァンは言った。
「まさか……バレました?」
陽は次第に青ざめていきつつ言う。
「わからん……。万が一の時は俺が対応する。冷静になれよ? それと、変なマネはするな。もう、すぐそこまでそいつは迫ってきている。これ以上は何もしゃべるなよ」
イヴァンは早口でそう言いながら歩いた。
「あの……」
後ろから声がかけられる。陽は心臓が早鐘を打つのを感じながら、おそるおそる振り返った。
そこにいたのはメイドの格好をした少女であった。フリルで彩られたエプロンに、ヘッドドレスには黒い花が飾られてある。小柄な少女であった。
陽はそのメイドの少女を知っていた。
「よろしければ、案内をしてもよろしいでしょうか?」
陽が出会った時のまんまの、機械的で淡白な口調であった。
「君は……」
少し驚きながら陽が呟く。
メイドの少女も同じだったらしく、「あなたは……」と言った。
イヴァンは陽と少女を交互に見つつ、「知っているのか?」と陽に尋ねる。
「前にロックフォード社にナノを打ちに行った時に、この子にぶつかってしまって……」
陽はここで話すべきかどうか迷ったが、イヴァンが何とかしてくれると言う甘えもあり、素直に話すことにした。
「あのときはすみませんでした」
陽がお詫びをする。
「いえ、こちらこそ」
メイドもペコリと頭を下げた。
その後に、「あ、それと……クロユキの花!」とメイドは言った。
陽は「え?」と疑問の声をあげる。
メイドはヘッドドレスから花を外し、陽に向けた。
香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。
「この花? この花がどうかしたの?」
陽は聞く。隣にいるイヴァンの、メイド……正しくはメイドの持っている花を見る、鋭い目線には気が付かなかった。
「ブラックスノー。クロユキの花です!」
陽はやっとメイドが何のことを言っているのかがわかり、
「へぇー、そうなんだ。クロユキっていう花なのかぁ」
「そう」
メイドはコクリ、と頷いた。
「いい匂いだね!」
陽が笑顔で言う。
「はい!」
メイドもはにかんだ笑顔になった。
「わたし、シェリー。シェリー・チェインズです」
シェリーが自己紹介をする。
「僕は、うさ――」
「そこまでにしておけ、タブチ」
イヴァンの厳しい声で陽は現実に引き戻された。
陽は慌てて、すみませんと言った。
「申し訳ありませんでした」
シェリーも謝った。
「あなたには言ってませんよ」
イヴァンはニコッと笑いながらそう言い、
「案内をよろしくお願いします。ミス・チェインズ」
と促した。
「はい。では、ついて来てください」
シェリーが先頭に立ち、イヴァンと陽はその後ろを歩いて行った。
※
ベンジャミンは、食堂の奥にある隠し部屋の監視モニターを見ていた。
モニターに映っているのは、イヴァンと陽、そして陽と話すシェリーであった。
ベンジャミンを驚かせたのは、陽と話していたシェリーが控えめながらも、笑顔を浮かべていることだった。
「シェリーが笑っている……?」
どんな話をしているのか、とベンジャミンは監視カメラについてあるマイク機能をオンにした。
(――までにしておけ、タブチ)
(すみません)
(申し訳ありませんでした)
(貴方には言ってませんよ。案内をよろしくお願いします、ミス・チェインズ)
(はい。では、ついて来てください)
話が終わったところらしい。
ベンジャミンは少し残念に思いつつも、その後も館内にいくつもセットされているカメラを切り替えながら、三人を追うことにした。
歩き出して間もなく、陽が手を挙げる。
(ちょっと僕トイレ!)
(お手洗いなら、そこの階段を二つ下って、すぐ手前が一番近いでしょう)
シェリーが軽く案内をする。
(サンキュー、シェリー!)
(待て、タブチ。あんまり時間はないんだ。俺はチェインズさんと見まわるから、お前は、エントランスに戻っていろ)
イヴァンが辟易した様子で、言った。
陽は階段に向かいつつ、手を上げて返事をした。
ベンジャミンはイヴァンのことはシェリーに任せると考え、カメラを切り替え、陽を追うことにした。
※
「うーん、なんだか最近トイレが近いなぁ」
独り言ち、地下一階のトイレを出た陽は、階段に戻ることにした。
歩いていると、階段の手前のドアが半開きになっていることに気がついた。
ドアからは一筋の光も漏れでておらず、中の冷気が離れたところまで漂ってくるようだった。
「なんだ、あの部屋……」
陽は湧き出てくる好奇心から、その部屋に向かった。
ドアを開けると、一番奥に照明が一つだけの、暗い部屋に入る。
照明に照らされていたのは、病人の寝ているベッドであった。
陽にも聞いたことがあった。
ロックフォード社の社長にしてスタンリーの父親、ジョン・ロックフォードは治療法の見つからない奇病を発症し、寝室で寝たきりの生活になっている、と。
実際、そのベッドには、ジョンと思しき人物が寝ていた。
顔が醜く皺だらけとなっており、その体からは色々なチューブや、器具が繋がっていた。
その顔を見て、まるで魔人だな、と陽は思った。
陽はその老人の顔に触ろうとする。
不意打ちだった。
老人がシーツから手を出してきて、陽の手首を掴んだ。
「誰だ……、お前は……」
老人がしゃがれた声で言う。
「ぼ、僕は……!」
陽は腕を引っ張り抜こうとするが、老人は病人とは思えない力で陽の腕を離そうとはしなかった。
「ジョン様、お止しください」
ドアの方から鋭い声が響き、ジョンは手をパッと離した。
陽は手首をさすりつつ、ドアの方を見る。先刻の執事がそこには居た。
「ふん、なんだ。ベンジャミンか」
ジョンは閉じていた、まぶたを開き、ドアの方を見た。
心の中にまで入ってくるような、真っ赤な瞳であった。
「この人、なんなんです!?」
陽が慌てた声で言う。
「ジョン・ロックフォード様、この館の主でございます」
ベンジャミンが説明すると、ジョンは「昔はな」と付け加えた。
「今は倅に任せっきりで、私はこのザマだ……」
そう言って自嘲気味に笑う。
「この坊主は?」
ジョンが眉を吊り上げ、ベンジャミンに言った。
この赤い瞳は誤魔化す事はできない。陽はそう感じていた。
「僕は――」
「彼は田渕蓮。清掃業者の者です。道に迷ってここに来たんでしょう」
ベンジャミンが陽の言葉を遮る形で言った。
「……部屋に使用人以外は入れるな」
「はい、すぐに出します」
ベンジャミンは陽の肩を叩き、さぁと言った。
陽は踵を返すと、ドアに向かって歩いて行った。後ろにはベンジャミンが陽に追従する形で歩いているのがわかった。陽は一度だけ、ジョンの方を振り返ると、ドアを開け、部屋から出て行った。
※
「三十分など、あっという間だったな」
そう言いながらエントランスホールに戻ってきたイヴァンは、どこか満ち足りた表情でいた。
「楽しんでませんか? あんた……」
陽が呆れて言う。
「はっは、まぁ、いい冒険にはなったでしょう」
ベンジャミンが朗らかに笑い、シェリーに目配せした。
シェリーはちょっと寂しそうな顔をして、ヘッドドレスに付いている花を弄っていた。
「では、また大晦日に来ますので、よろしくお願いします」
イヴァンはそう言って、踵を返そうとした。その時だった。
ガチャと、正面玄関のドアが開き、イヴァンはそこから入ってきた人物に向き合っていた。
「おや、これは……」
全ての物を見下しているような猫撫で声でその人物は、声を発した。
「お帰りなさい、スタン様」
「お帰りなさいませ、スタンリー様」
ベンジャミンとシェリーがそう言って、スタンリー・ロックフォードにお辞儀をしていた。
「あぁ、ただいま」
スタンリーはそう言うと、硬直している陽と冷静な顔持ちのままのイヴァンの方を向いた。
「彼らは誰かな?」




