1
幸せはどうやったら来るのだろう? 星海芽衣が物心ついた時からの疑問だった。
大好きなカエルグッズを買うこと? 違う。
好物のチョコレートケーキを食べること? 違う。
趣味の映画を見ること? 違う。
幼なじみの陽や悠と一緒に過ごすこと? たぶん違う。
それとも、お金持ちになること? ぜったい違う。
そんな事を思いながら、芽衣は高校生にまで成長した。
高校に入ったある時、課題で作文が出された。
書くテーマと文字数は完結さえしていれば自由で、ある男子は『どうすれば俺はモテるのか?』とか言う題名の文章を書いていて、ある女子は『厳選! 街のスイーツ批評!』と自由をいいことにやりたい放題な作文を書いていた。
そんな中で芽衣は『幸せの法則』という文章を書いた。
『幸せの法則。一年C組、星海芽衣。
幸せってなんだろう? 私は幼少期からそれがずっと頭に引っかかっている。
大好きなものを手に入れることでもないし、美味しいものを食べるのでもないし、趣味でもない、友人でもない、お金でもない。
じゃあ何だ? 私は生まれてから「これが幸せだ」なんて感じたことは一度もない。
幼なじみの陽は相変わらず馬鹿だし、父親の勝はいつもだらし無いし、母親の佐代子もいつもきゃぴきゃぴしているし、……つまり人ではない。
食べ物を美味しいと感じても、その味がいつまでも続くわけがない。
趣味を嗜んでも、長続きはしない。
お金は使えばなくなる。
では何だろう? そう思って私は母に「お母さん、幸せってどうやったらなれるの?」と聞いてみた。
すると、母は笑いながら、「芽衣、幸せはね、掴み取るモノでも、呼び寄せるモノでもないのよ! ただ感じ取るモノなのよ」と言っていた。
幸せを感じる……。言葉で言うと簡単そうで聞こえがいいが、私にはまだわからない。
母も父と幸せそうだ。笑ったり喧嘩したりで。たぶん、この両親は双方が「この人といて幸せだな」と感じたから結婚して、そして私が生まれたんだろう。
私も幸せを感じたい。
だから私は探求し続ける。
その幸せを感じ、幸せの法則を見つけるまで……』
※
「芽衣! 降りてらっしゃい! 今日はハンバーグよ!」
自宅の自室でTシャツにジーンズの姿でトレーニングをしていた芽衣は、腕立ての状態から立ち上がると、
「はぁい! すぐ行く!」
と下の階の佐代子へ返事をした。
「ゴハンナノカ? デモ、マダトレーニングハツヅイテイル!」
計測機能も搭載しているケロビィは、芽衣の今までの腕立て伏せの回数を記録していた。
「ごめんね、ケロビィ。晩ご飯食べたら再開するから、よろしくね」
芽衣はそう言うと、着慣れたカーディガンを羽織り、階段へ向かった。
「メイノ、チュウトハンパオンナ!」
遠ざかっていくケロビィの声を黙殺し、階段を降りる。
食卓に行くとハンバーグの美味しそうな匂いが鼻をくすぐった。
食卓のテレビからニュース番組の音声が流れている。
勝は芽衣より一足先にご飯とビールにとりかかっていた。
芽衣は椅子に座りながら、いただきますを言うと、箸を進め出した。
口の中で咀嚼していると、テレビの画面が切り替わり、次のニュースが流れた。
「人間兵器の疑いを持つ、容疑者がレインボーブリッジから逃走した事件で――」
レインボーブリッジ? ここから結構近いじゃない。
芽衣は何気なくそう思っていたが、
「容疑者の男は宇佐美陽、二十歳。襲撃に紛れ、逃走した模様です」
その報道を聞いた瞬間、「ぶっ!」と口の中にある食べ物を吹き出していた。
「こら、芽衣! なんてはしたない!」
佐代子は注意するが、芽衣は今はそんなことはどうでも良かった。
「お母さん! 今の聞いた!?」
芽衣はごはんつぶを口の周りにつけながら、強い口調で言う。
「いや? ニュースのこと?」
佐代子は本当に知らないといった感じだ。
「お父さんは?」
芽衣は勝に視線を流す。
勝は嬉々としてハンバーグを食べながら、
「むぅ、佐代子の作るハンバーグは日に日に美味くなっていくのぅ……」
などと言う。
「まぁあなたったら!!」
佐代子はキャッと笑った。
幸せそうな二人から目を離し、芽衣は呆然としながらテレビに向き直った。
※
「なんなんですか! 本当に!!」
陽が狂乱気味に声を上げた。
イヴァンと名乗る男が家に突入してきてから一時間。少し前に来た、ガスマスクを装着しサブマシンガンやらで武装をしたイヴァンのお仲間らしき者たち三人は、更に荒れ果てた陽の部屋に勝手にあがり、勝手に冷蔵庫を開け、勝手に飲み食いをしだしていた。
「『なんなんだ』? 戦闘が終わったからご飯を食べてるに決まってるだろう?」
ガスマスクを外し、陽がいつぞやコンビニで買ったハンバーガーを頬張りつつ、やけに口調が男らしい女が言った。
どこかで聞いたことあるような声だ。陽は一瞬そう思ったが、そんなことは二の次三の次であった。
「ここ、僕の部屋ですよ!? 外人さんなのかなんなのか知りませんが、あなたたちの祖国には、勝手に人の部屋に入って、冷蔵庫を漁っていいようになってるんですか!」
陽は言い聞かせるようにゆっくりと怒りを孕んだ声で言い、最後に「それに土足で!」と入ってきた者たちの靴を履きっぱなしの足を指さしながら言った。
「うるさい子だな……。バーンズ、麻酔銃を持ってないか?」
三十代くらいの男が、バーンズと呼ばれた、図体は大きいのに表情に不安を滲ませながらフライドチキンをバリバリと食べている男に聞く。
「い、いえ……持ってきてはいません……。それより勝手にこんなの食べて大丈夫なのでしょうか?」
チキンをゴクリと飲み下しながらバーンズは言った。
どこから突っ込んでいいのかわからない陽は、はぁと息を吐いた。
「まぁいいじゃないか。彼らだって君を守るのに必死だったんだ」
陽の横に来たイヴァンはそう言う。
陽はイヴァンの方をジロッと睨み、
「だからと言って……」
言いかけて、今、イヴァンが言った言葉が頭に浮かんだ。
男らしい口調の女はどこかで聞いたことがあると先刻思ったが、ロックフォード社に連れて行かれる護送車に襲撃をかけ、陽と助けてくれた女の声と同じだった。
少し考え、納得する。
「そうか……。闇の企業の人体実験に使われるところだったのを、助けてくれたんだ……」
イヴァンはそういうことだ、と言い、「おい、アディソン!」と、三十代の男に声をかけた。
「レイはどこへ言った?」
「食事よりも寝たいんだとよ」
サンドイッチを頬張っているアディソンは食事を中断し、そう言って、再び食事に取り掛かりだした。
イヴァンはそうかと言い、今度は男口調の女へ声をかけた。
「ボンズ、あの状況からどうやって切り抜けたんだ?」
「バーンズがこの任務に持ち込んだ、新型爆弾でドカンだよ。人間兵器と言えどあの威力と規模ではな……。お前にもあの花火を見せたかったよ」
食事を終えたボンズはそう言うと、割り箸の袋に入っていた爪楊枝を取り出し、咥えた。
バーンズは照れ笑いを浮かべながら、
「さすがに街中や狭い場所では使えないシロモノですけどね」
と言って照れを誤魔化すように、すごい勢いでチキンを頬張った。
どんな会話をしているんだ、この人たちは。
陽がそう思っていた時であった。
不意に部屋のインターホンが鳴った。
「誰だ?」
イヴァンはそう言い、インターホンに早足で向かう。
陽はすかさずイヴァンを阻止しようと、インターホンに駆け寄るが、顎にずんとした衝撃が加わり、陽は上方向にふっ飛ばされ床に倒れていた。
顔を上げると、手のひらを上に掲げたイヴァンがいた。掌打で陽をノックダウンしたのだ。
乱暴なやつだ。陽は呻きながら軽く舌打ちをした。
「さて、誰かな?」
イヴァンはインターホンの画面を見る。
陽は遠目越しにその画面に映っている少女が芽衣だとわかった。
「女の子か……」
「ガールフレンドですよ! 名前は星海芽衣! 僕の将来の結婚相手です!」
陽はヤケクソになり、半分嘘の情報を発した。
イヴァンは、ふーんと返事をし、
「出ていいぞ、陽」
と促した。
陽は立ち上がり、インターホンに向かい、通話ボタンを押す。
「芽衣?」
(陽! 良かった無事なのね!?)
スピーカーから不安の声が発せられる。
「あぁ、今のところはね……」
陽はそう言ってチラッとイヴァンの方を見やった。
イヴァンは黙って腕を組みながら、通話を聞いている。
(ニュースで見たのよ! あんたが人間兵器って疑われて、護送車から逃走したって!)
「まぁ、色々とあってね。俺も正直混乱しているんだ……」
陽はそう言って、「でも、本当に俺は人間兵器じゃないぞ」と慌てて付け加えた。
(……この先、あんたどうするの? 逃げたからいまさら出頭してもタダじゃ許してくれないわよ?)
陽はイヴァンの方を見やった。イヴァンは拳を突き出すと、親指を上方向に立てた。
陽は再びインターホンに向き、
「大丈夫なんだ、それが……。確証はできないけれど力強い味方がいるんだ。どうせ他に術がないんだし、彼らに掛けてみてもいいのかな、って思ってさ」
画面の向こう側の芽衣は暫し、顔を伏せて黙っていた。
一分くらい経ち、芽衣は顔をあげる。
(陽、本当に大丈夫?)
本当はまだちっとも大丈夫ではないが、陽は無理矢理に苦笑を浮かべ、
「大丈夫だって! ナノの接種は受けたんだし、きっとロックフォードの畜生野郎どもにも話せばわかってくれるよ! そうだ、芽衣。周りの人たちにこう言いふらしなよ! 『あたしの幼なじみがロックフォード社の手違いで移送されたのよ!』って! そしたらきっとロックフォードの株は多少暴落して、俺には好都合だ!」
そう言って陽は「ははは」と爆笑した。
上手く誤魔化せているか怪しかったが、画面の向こうの芽衣は、
(あんたのそう言う脳天気なところ、時々羨ましく思うわ)
と言って、やっと安心した笑みを浮かべた。
「まぁとにかく、俺は大丈夫だから、芽衣も安心して年を越しなよ!」
陽はそう言って寂しげに笑ってみせた。
(わかったわ。心配してすっ飛んできたけれど、大丈夫そうでよかった、本当に。おやすみ、陽)
駄目だ、まだ行くな! そばに居てくれ!
陽は本当はそう叫びたかった。実際、今後ろに居る彼らを信じて良い保証はどこにもないのだ。あのイヴァンとかいう男は、CIAの人間兵器捜査チームのリーダーだと言っていたが……、陽には正直半信半疑であった。只者ではないことはうかがい知れるものの、本当にそれだけだ。だからと言ってうかつに外に出ると、ロックフォード社の監視が待ち受けている。そんな中で、唯一信じられる芽衣はとてもとても貴重なのだ。
自分の大切な幼なじみであり理解者。
「……おう、おやすみ」
陽はそう言ってインターホンの電源を切ってしまっていた。
「……健気な子じゃないか」
陽の隣に来たイヴァンがそんなことを言う。
「僕の大切な人なんです、彼女」
陽が放心状態でうわ言のようにそう呟いた。
陽はイヴァンに向き合い、
「あの、イヴァンさん。……ミスター・ハーンの方がいいかな?」
「変なところに拘るな? どっちでもいいぞ」
イヴァンが苦笑を浮かべてそう言う。
「じゃあイヴァンさんで。……あなた方は人間兵器を追って、捜査してるんですよね?」
「あぁ」
「あなた方に協力すれば、僕の潔白を証明するだけでなく、ロックフォードに一泡吹かせられますか?」
イヴァンは少し考える素振りを見せ、その後ににたりと笑い、
「お前の協力次第ではな」
と言った。
「……嫌な笑い方しますね」
陽はむっとしつつ言う。
「とんでもない! 我々のチームは少数派の精鋭ぞろいだが、コンピュータ・システムに詳しい奴は……いたか?」
イヴァンは後ろの隊員たちに向かって振り返る。
三人は揃って首を振った。それもリズムよく。
「……というわけだ。君には是非協力して貰いたいのだよ」
イヴァンは目を子供のように輝かせながら、陽の右手を両手で握った。その目の輝きたるや、先刻まで悪霊のような形相を浮かべていた時とはまるで違った。
「……そこまで迫られると」
「考えは変わったか?」
イヴァンは歓声混じりに言う。
「考えものですね!」
陽はそう言うと、イヴァンの手を振り払った。
「なんという捻くれ者だ。やっぱり麻酔弾かなんかを撃ち込んで、セーフハウスに連れて行って、CIA仕込みの洗脳を受けさせたほうがいいんじゃないか?」
アディソンは鼻で笑いながらそう言う。
決して本気なわけではない。
ただ、陽の顔を青ざめさせるには十分だった。
「や、やっぱり出て行ってくださいよ、あなた達! 僕は! 普通の! 大学生なの!」
ヒステリックにそう言う陽。
「おい! アディソン!」
対するイヴァンは、厳しい口調でアディソンに言い放つ。
アディソンは両手の掌を見せながら、
「なんだよ、イヴィー? これは冗談で――」
「それは最終手段だ!」
真顔でそう言うイヴァン。
アディソン、バーンズ、ボンズは、こいつ本気なのか? という顔を見せていた。
陽はというと、
「うわああああああ!! もう、やだやだやだ! 助けてぇぇぇ! 僕の部屋に変質者どもがいるよぉ!!」
年甲斐もなく大泣きしていた。
その時、イヴァンが先刻割った窓の外に赤い光が走った。
陽がピタリと泣き止む。
イヴァンら捜査チームの隊員はバッと窓の外を見、銃に手をかけた。
宇佐美陽、そこにいるのはわかっている、とスピーカー越しの男性の声が響いた。
「警察か……。ま、洗脳されるよりマシかも……」
妙に達観した表情でそう言う陽の頭に鈍い衝撃が奔った。
痛いと感じる暇もなく、陽の意識はそこで途切れていた。
※
イヴァンはPDWの銃床で陽の頭を殴りつけ、気絶させると、バーンズに「そいつを隠せ」と英語で命じた。
バーンズは陽を運び、ポルノ雑誌が数冊積んであったクローゼットの中に隠した。
「宇佐美陽! いい加減出てこい!」
外にいる警察は若干苛立ちが混じった声で叫ぶ。
イヴァンは割れた窓から両手を出し、警察に見えるようにした。
「見えたぞ! 奴だ!」
警察はそう言うが、窓からひょいと顔を出したイヴァンの顔を一目見、
「宇佐美陽じゃない!?」
と狼狽えた声を上げた。
「私は、CIA人間兵器調査チームのハーンだ! 宇佐美陽の身柄は我々が確保している!」
イヴァンは、CIAの身分証を取り出し、頭上に掲げながら声を張り上げた。
「現状、宇佐美は我々が取り調べている! そしてこれから先も、だ。ご引取願いたい!」
「そんなもの、信じられるか! ロックフォード社直々に捕獲命令が出ているんだぞ!」
イヴァンは頭を掻きながら、
「今回の件に関して言えば、誤認逮捕だ。宇佐美を調べたところ、彼の体内からナノが検出されないくらいしか、人間兵器の特徴が見受けられなかった。詳しくは我々が調べる」
「……了解した。ここから先は我々が踏み込むラインではない。撤収するぞ」
警察はそう言い残し、パトカーに乗り、去っていった。
「これからどうするつもりなんです?」
息を潜めていたバーンズが言う。
「デチャンスの指示を待とう。今回の任務はこいつを守ることだ。引き上げるぞ」
イヴァンはそう言って、思いついたかのようにメモ帳を取り出し、ペンを走らせた。
※
息苦しい。
陽が起きた時に最初に感じた感覚だった。
そして頭を動かすと、いきなり目の前が光り、陽は飛び起きた。
寝ぼけた頭で後ろを見ると、そこには開きっぱなしのクローゼットがあった。
もしかして俺、ここで寝ていたのか?
なんでこんなところで寝ていたのだろうか。そう考えるたびに頭に酷い頭痛が走る。
ふと、備え付けのテーブルの上にある紙が目に留まった。メモ用紙だ。
おそるおそる、紙を取ると、下手くそな字が羅列してあった。
『まど、やぶってごめん。けーさつは、おっぱらった。あんしんして、せーかつしていい。またくる。Ivan』
陽の頭に昨日の出来事がふつふつと蘇った。
同時にふつふつとした怒りが湧き上がってくる。
「もう来るんじゃねぇよ! アメリカの犬が!」
怒りのあまり、そう叫ぶものの、
「……つ。イタ……」
頭痛がひどくなるのは言うまでもなかった。
イヴァン・サーシェンカ・ハーン
所属:米中央情報局
性別:男性
年齢:21歳
人種:東欧系
髪の色:シルバー
目の色:ブルー
体格:中肉中背
生年月日:1999年2月15日
血液型:A型 POS




