綺麗だけじゃない吾輩
「花の命は短い。恋せよ乙女」
人間どもは、実に風情のあることを言う。
花が咲いている間に恋をしろ。
美しいものは、散る前に味わえ。
そういう意味なのだろう。
なるほど。
花の美しさと、恋の儚さを重ねたわけか。
人間どもにしては、なかなか洒落たことを言う。
だが、少々見方が浅い。
吾輩は植物である。
そして、花だけが吾輩ではない。
吾輩は、花を咲かせる。
色鮮やかな花を咲かせる。
香りのよい花を咲かせる。
人間どもは、花が咲くと吾輩のもとへ集まってくる。
綺麗だ。
美しい。
見事だ。
そう言って、吾輩を眺める。
中には、花を摘んでいく者もいる。
まあ、それはよい。
咲いた花を楽しむのも、人間どもの役目なのだろう。
しかし、花が散るとどうだ。
途端に興味を失う。
花びらが落ちれば、もう終わり。
枯れた。
死んだ。
そう思うらしい。
まったく、気が早い。
花が散ったからといって、吾輩の命まで終わったわけではない。
むしろ、そこから始まるものもある。
花が散ったあとには、実をつける。
実の中には、種ができる。
種は地面に落ち、やがて新たな命になる。
花が散ることは、終わりではない。
次へつなげるための変化なのだ。
それに、吾輩は花を咲かせるまでにも、長い時間を過ごしている。
土の中で根を張る。
水を吸う。
葉を広げる。
太陽の光を受ける。
風に耐える。
雨に耐える。
暑さにも、寒さにも耐える。
そうして少しずつ、力を蓄えていく。
誰にも見られない時間のほうが、ずっと長い。
花が咲いている時間など、その積み重ねの一部にすぎない。
人間どもは、目に見えるものを好む。
花。
色。
香り。
形。
だが、土の中で伸びる根には、あまり興味を持たない。
葉が光を受けていることも、茎が水を運んでいることも、普段は考えない。
吾輩が倒れぬように根を張っていることも。
次の花を咲かせるために、力を蓄えていることも。
人間どもは、花だけを見て吾輩を語る。
綺麗だ。
儚い。
短い命だ。
だが、吾輩は綺麗なだけではない。
土の中で、見えぬところで、生きている。
動けぬからこそ、そこに根を張る。
逃げられぬからこそ、風雨に耐える。
歩けぬからこそ、季節の変化を受け入れる。
暑ければ葉を広げる。
寒くなれば、活動を抑える。
雨が降れば水を蓄える。
日が差せば、その力を受け取る。
吾輩は、何もしていないわけではない。
ただ、動かずに生きているだけだ。
人間どもは、すぐに結果を求める。
種を植えれば、すぐに芽が出ると思う。
芽が出れば、すぐに花が咲くと思う。
花が咲けば、すぐに実がなると思う。
だが、命というものは、そんなに急には進まない。
見えないところで、時間をかける。
根を張り、力を蓄える。
そうして、ようやく表に姿を現す。
人間どもが「綺麗だ」と言う花は、突然現れたものではない。
長い時間の積み重ねによって、ようやく咲いたものなのだ。
だから、花の命が短いことを嘆く必要はない。
短い時間であっても、そこに至るまでの時間は長い。
咲いている間だけが、吾輩の命ではない。
散ったあとも、吾輩は生きている。
葉を残し、根を残し、種を残す。
次の季節へ向けて、また力を蓄えている。
「花の命は短い。恋せよ乙女」
それはそれで、よい言葉なのだろう。
短い時間を惜しみ、美しいものを愛でる。
恋をするのも、きっと大切なことだ。
だが、花が散ったあとも、人生は続く。
恋が終わったあとも、命は続く。
失ったものがあっても、そこから何かが残ることはある。
花が散ったあとに、実が残るように。
実が落ちたあとに、種が残るように。
終わりに見えるものが、次の始まりになることもあるのだ。
だから、人間どもよ。
花が咲いている時だけ、吾輩を見ないでもらいたい。
花が散ったあとも。
葉を広げている時も。
根を張っている時も。
何も変化がないように見える時も。
吾輩は、確かに生きている。
花の咲く時間は短い。
だが、人間どもが見ていない時間のほうが、ずっと長い。
根を張り、葉を広げ、力を蓄える。
その積み重ねがあって、ようやく花は咲くのだ。
見事な花だけを見て、吾輩を語らないでもらいたい。
少なくとも、吾輩はそう思っている。




