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不器用な彼と、オレンジ色の帰り道

作者: 影野 紡
掲載日:2026/05/12

彼と出会ったのは、親族の葬儀のときだった。遠い親戚にあたるらしいが、その日が初対面だった。


いわゆるイケメンではない。けれど、よく笑い、よく喋る、妙に人懐こい人だった。


帰り、家まで送ってくれた。彼の車は、排気ガスが入り込んでくるようなポンコツの軽四で、窓を少し開けながら走ったのを覚えている。


数日後、彼はふらりと現れた。手には、家庭菜園で採れたという土のついた芋。


「多くできすぎてさ」


そんな一言から、私たちの交際は始まった。


最初のデートも、特別なものじゃなかった。近くのスーパーで買い物をして、ご両親の不在の時、彼の実家の台所を借りて芋を茹でた。


「塩だけでいいから」


そう言って、彼は得意げに鍋をのぞき込んでいた。


出来上がった芋は、少し硬くて、少し甘かった。二人で笑いながら食べた。


それからも、彼はよく何かを持ってきた。トマト、きゅうり、時々失敗した大根。どれも形は不揃いで、土がついていて、でもちゃんと美味しかった。


ある日、またあの軽四で迎えに来た。相変わらず、少しだけ排気ガスの匂いがする。


「そろそろ買い替えたら?」


そう言うと、彼は少しだけ考えてから笑った。


「うーん、もうちょっとこいつと走りたいんだよな」


窓を開けて走る風は、あのときと同じだった。


私はふと思った。ああ、この人となら、特別じゃない毎日を、ちゃんと好きでいられるかもしれない。


彼は運転しながら言った。


「次はさ、さつまいも、うまく育てるから」


「また芋?」


「いいだろ、好きになれよ」


私は笑って、うなずいた。


たぶんもう、とっくに好きになっている。


デートは、たいてい繁華街の映画館だった。流行りの映画を観て、帰りにカフェでおしゃべりをする。


彼との会話は、不思議と心が静かになる。特別なことを言っているわけじゃないのに、ただ一緒にいるだけで、気持ちがほどけていく。


まるで、精神安定剤みたいな人だった。


彼も私も実家暮らしで、私はよく彼の家にも遊びに行った。車を買い替えた彼は、決まって高速道路を使い家まで送ってくれた。


オレンジ色の街灯が、等間隔に続いていく。その光はどこか現実離れしていて、まるでUFOを導く灯りみたいだった。


ぼんやりと窓の外を見ながら、思う。


このまま、どこか遠くへ——宇宙にでも、連れていかれるんじゃないかって。


もちろん、そんなことは起こらない。いつも通り、見慣れた出口で降りて、見慣れた道に戻る。


それでもいいと思えた。彼となら、この帰り道さえ、少しだけ特別に感じられたから。


ドライブデートの時、突然彼に「運転してみない?」と言われた。何年か前に免許は取ったものの、ほとんど運転していない。いわゆるペーパードライバーだった。


少し迷ったけれど、せっかくだからとハンドルを握った。


そして——その不安は、すぐに的中した。


カーブで、思ったよりスピードが落ちていなかった。曲がりきれないかもしれない、と思った瞬間、心臓が跳ねた。


対向車の運転手が、体をよけるように動いたのが見えた。横を見ると、彼もドアに寄るようにして身を引いている。


——終わった、と思った。


けれど、車はなんとかカーブを抜けた。何事もなかったかのように、道路はまっすぐ続いていた。


しばらく、二人とも無言だった。


やがて彼が、ふっと笑った。


「今の、ちょっと宇宙行きかけたな」


その一言で、張りつめていたものが一気にほどけた。私も思わず笑ってしまう。


「やっぱり運転、向いてないかも」


そう言うと、彼は首を振った。


「いや、大丈夫。俺が隣にいるときだけにしてくれる。」


冗談みたいな言い方だったけれど、少しだけ優しく聞こえた。


結局、そのあとすぐに運転を代わってもらった。助手席に座ると、やっぱり少し安心する。


窓の外には、あのオレンジ色の街灯が続いていた。


今度は、自分で運転することはなさそうだな、と思いながら、それでも悪くないな、とも思った。


隣に彼がいるなら——たぶん、どこへでも行ける。


彼と付き合って、もうすぐ二年が経とうとしていた。けれど、彼からプロポーズらしい言葉は一度もなかった。


しびれを切らした私は、ある日ふと口にした。


「ねえ、いつ結婚するの?」


冗談のような、でも半分は本気の言葉だった。


彼は一瞬きょとんとして、それから困ったように笑った。


それをきっかけに話が進んで——……と言いたいところだけれど、現実はそう簡単ではなかった。


遠いとはいえ親戚同士。案の定、両方の親から反対された。


気づけば、親族会議のようなものまで開かれていた。まるで自分たちの知らないところで、人生が議題に上がっているみたいだった。


それでも——


最終的には「どうせ止めても無駄だろう」という、少しあきれたような結論に落ち着いた。


祝福、とは少し違うけれど。それでも私たちは、結婚することになった。


結婚してからも、私たちの生活はあまり変わらなかった。


相変わらず彼は、形の悪い野菜を持って帰ってくるし、私はそれを少し文句を言いながら料理する。


休日には映画を観て、帰りにカフェに寄る。特別なことは何もない、ありふれた毎日。


ただひとつ変わったのは、その「ありふれた」が、少しだけ愛おしくなったことくらいだった。


ある日の帰り道。久しぶりに、高速道路を走った。


オレンジ色の街灯が、規則正しく続いていく。あの頃と同じ光。


助手席でぼんやり眺めながら、ふと思い出す。


——このまま宇宙へ行くんじゃないか、なんて考えていたこと。


隣を見ると、彼がいつも通りの顔でハンドルを握っている。少しだけ古びた車の中で、穏やかな時間が流れていた。


たぶん、宇宙には行かない。これからもずっと、この道を走って、同じように帰っていく。


それでもいいと思った。


あの頃思い描いていた「どこか遠く」よりも、今こうして隣にいるこの時間の方が、ずっと確かなものに思えたから。


車は、やがて見慣れた出口に差しかかる。彼はいつものようにウインカーを出した。


私は小さく息をついて、少しだけ笑う。


——ああ、ちゃんと帰ってきた。


あの時、宇宙に行きかけた私たちは、二人でここに帰ってきた。


オレンジ色の灯りは、これからもきっと続いていく。その先に、また同じような夜があって、同じように笑っている私たちがいる。


たぶん私たちは、これからも少しずつ、同じ景色を好きになっていく。

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