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梟の懐疑  作者: 蛸屋 匿
第一章 神殿
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3 狂信者

「姉上を夜に起こすのは良くない」そう言ったセルリアンの手で、神殿内の客室まで連れていかれる。道中、彼の姉について教えてもらった。セルリアンより一歳上のサフィヤは、貴族籍を捨て、神殿戦士として生きているそうだ。


「姉上は冷静な人だから、手を上げたりはしないはずさ。そうすることで、相手がどうなるかよく分かっている」


 セルリアンは、冷たい手でダリシオの頬を触った。元はと言えば、この男が止めなかったから、頬が赤くなったのだが……追及したところで無意味なことなのだろう。


「きっと、姉上はダリシオのことをいたく気にいるさ」


 その言葉に疑心を抱きつつ、客室の寝台に寝転がる。


「寝れそうにないなら、私がついていますが……」

「いや、大丈夫です」


 意地を張って言ったつもりだったが……実際に疲れていたのか、はたまた子供の体だからなのか、ダリシオはすぐに眠り落ちた。

 いつもなら見るはずの夢を、見なくなったことに気づかないまま。

 翌日、起き上がったダリシオの視界に金糸のごとき髪がうつった。一瞬、セルリアンのものかと思ったが、違うようだ。

 朝の光にあてられて、風と共に揺れる毛先。視線を上にずらしてみると、まつ毛に縁どられたエメラルド色の目がこちらを射抜いていた。セルリアンと似た顔つきなのに、気持ち悪さがない。ただ、鋭さのある目に、体が自然とこわばった。


「姉上、ダリシオを怖がらせないでください」


 緊迫した空間に、のんきな声が入る。入室してきたセルリアンは、入り口付近で固まる女性……セルリアンの姉であるサフィヤに笑いかけた。


「……すまない」


 彼女が視線を逸らせば、剣呑さは一瞬でなくなる。それに安心感を覚えながら、セルリアンに目を向けた。気に入ってくれると聞いていたのだが……。


「ご紹介いたしますね。こちらはオークションで売られていたところを私が保護しました、神の使いであるダリシオです」

「いくら」

「ン?」

「いくらで買い取ったのか、聞いている」


 サフィヤは詰めるように、セルリアンの目を見た。

 ロノドフ家は女性の方が強い家なのか、と心のどこかで嗤いつつ、軽く「そんな、彼の前でする話ではないでしょう?」と言い逃れたセルリアンに、どうしようもない者を見たような目を向ける。

 神殿に着いてから、神殿長の威厳を一つも見ていない気がする。


「まあいい。お初にお目にかかる、神の使い様」


 かぶりを振った彼女は、ダリシオのことをあえて『神の使い』と呼んだ。


「……はじめまして」

「私は、神殿戦士のまとめ役をしてる。今はただのサフィヤと言う」


 胸に手を当て、腰をやや折り曲げた彼女からは気品を感じられた。ダリシオも挨拶をしようと思い、そういえば寝台に寝転がったままなことに気づく。降りようとしたら、サフィヤがコンパスのように長い脚で近づいてきた。


「まだ安静に。私が見る限り、神の使い様は栄養不足のようです」

「……」


 自分の体調を心配されるとは思わず、同時に心配されるほどか……と思ったダリシオは、自分の頬を触った。骨の感触が近いぐらい痩せこけている。このままでは、風邪にかかっただけで死ぬな。そんな確信を得つつ、ダリシオは眉間にしわを寄せた。


「神の使い様、大丈夫ですか?」

「……何故、僕のことを神の使いと呼ぶのですか」


 困ったような目で見上げ――後悔した。そこにあったサフィヤの目は、セルリアンと同じようだった。彼女はウットリした顔で僕の髪を撫でつける。


「貴方の持つ、その髪色。それは神の持っていた色と同じ」


 嬉々として語る姿は、どう見たって正常じゃない。

 最初は普通の人物である可能性を考えていたのだが、そんなことは無さそうだ。

 ――小説の中でも、ダリシオに傾倒していたな。

 思い出してしまった事実にげんなりしていたら、セルリアンが咳払いした。


「姉上、神の使いであることを対外的に発表するつもりはまだありません。ですので、今のうちにダリシオと呼ぶ練習をしてみてはどうでしょう?」


 セルリアンの助け舟に頷いた。小説の通り進めば、最終的に神と同じ『薄青色の髪』は剥奪されるのだ、むしろ呼んでほしくないぐらい。

 弟であるセルリアンの言葉に、サフィヤは再度、胸に手を当てる。


「ダリシオ様……本日より、貴方の身の回りを整える。何かあれば、私に伝えてください」


 彼女の礼は、やはり気品がある。それなのに、二度目はセルリアンと同じ類の薄気味悪さを感じ取ったのは、彼女の狂気を垣間見たあとだからなのだろうか。


 与えられた室内は決して広くない。しかし、調度品は見るからに高級そうだ。セルリアンの話を聞く限り、ダリシオは今日からこの部屋で暮らすらしい。


「挨拶も済んだところですし、僕は執務に戻りますね」

「……分かった」


 サフィヤがうなずいたのを確認すると、セルリアンは部屋を後にした。

 ――将来に不安しかないな。

 改めて、目の前にいる女性を観察する。金色の髪に、エメラルド色の目を持った背の高い女性だ。その性格は物静か、かと思えば妄信的に神を信じている。いわば『狂信者』のような存在。身長はセルリアンより少し高く見えるぐらい。服装は……今まで見てきた人物と同じように、中に厚手の服を着て、その上から布を巻いている。それがこの世界における一般的な服なのだろう。


「まずは、身を清めたいところですが。先ほど言ったように、ダリシオ様のお体からは栄養不足が見られます。ですので、湯船に浸かるのではなく、拭く程度に……」


 サフィヤの言葉と共に、青年が部屋に入ってきた。手には水の入った桶と、軟かそうな布がある。


「私が直々に世話をするのは、色々と不都合がある。故に代わりの者を用意しました」

「……」


 青年は一礼をすると、ダリシオに濡れタオルを当てる。


「……」

「……ありがとうございます」


 彼は一言も喋らなかったが、布を握る手が震えている。

 ――やせ細った奴隷の世話を押し付けられたことに怒りでも覚えているのか?

 そんなことを考えつつ、久しぶりのさっぱりした感覚に歓喜した。

 欲を言えば、ゆっくり湯船に浸かれる環境が欲しいところだが……先ほど会話に出たということは、近い未来、風呂に浸かることもできるだろう。慌てる必要はない。

 最終的に断罪されるダリシオだが、今はその時じゃない。ならば、それまでの時間を有効活用するべきだ。

 そして、生き延びるためなら……現状を大きく変えても構わない。この世界は、予定調和が起きてしまうような世界だから。

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