2 おはよう、世界
夢だと思っていた。
『ダリシオ・ロノドフ。貴様の罪を暴かせてもらおう』
しがない社会人の自分が愛読していた、小説の一文だった。彼は、その言葉を『夢』で何度も何度も聞いてきた。
『ふん、罪など笑わせる。神の使いである僕に、罪があると?』
『貴様はサンタリア中枢に敵国の使者を招いた。機密文書の横流しに関与……王族、並びに貴族令嬢に対して毒を盛り、殺害した罪に問われている』
今となれば、王族殺しの疑いがある状態で生かされている辺り、娯楽小説らしいな、とも思う。客観的な自分の言葉に鼻で笑った。
第二王子によって、多くの罪が暴かれた。
それでも、自分は……ダリシオは動かなかった。
『何と言おうが、僕は神の使いだ』
『……その傲慢さ、貴様を、誰が神の使いと言うか!』
『さすが王子殿下』
『神殿からよこされただけの存在とは違う』
貴族たちは同調するように囁いた。いくら神の色をまとっていても、もう、ダリシオのことを神の使いと見てくれる者はいなかった。弱みを出せば群がるのが、貴族という生き物だとダリシオは理解している。劣勢に、やや眉を寄せた瞬間――ダリシオは血を吐いた。
『は……』
地面から現れた黒い棘が、縫い留めるようにダリシオを捕らえた。目を見開けば、驚愕に動けなくなる貴族たちがうつった。遅れて、聞こえてくる叫び声。
『は、ふはは……神に見捨てられるとはな』
ダリシオが血を吐きながら言った。視界の端で、真っ黒に染まった髪が揺れた。禁色である薄青色の髪を、ダリシオは剥奪された。
第二王子は『し、神罰が下った……』と放心気味に言った。黒い棘は一つ、二つと増えていき、串刺しになった中でダリシオは思う。
――また、道を外した。予定調和だとして……も、割に……。
途切れた思いを抱えて、意識は浮上する。いつもなら『三文小説のような夢だな』で終わるのだが、その時は違った。
愛読していた小説の内容が、今世の脳内で繰り返されてきた意味。このタイミングで『前世の記憶』を思い出した意味。全ての夢は、繋がっていたのだ。
*
シルクのような手触りの布が自身を包み込んでいる。最悪の目覚めかと思ったが、現状はそこまで悪くなさそうだ……なんて考えながら、視線を上げる。
自分を抱えていたのは、金糸のごとき髪を持った男だった。ぴったりとした厚手の服。その上には質の良い布が巻き付けられており、前世でいうところのギリシャやローマを思い浮かべる服装をしている。
「おや、目が覚めたようで」
「……」
こちらを観察する目に鋭さはないが、代わりにドロリとしたものを抱えていそうな、薄気味悪い空色の目。とはいえ、その目が自分を害することはないと、前世読んでいた小説で知っているので、彼は「はじめまして」と答えた。
「ええ、はじめまして。突然ですが、貴方は神殿で保護されることになりました」
男の言葉も、おおよそ予想通りだった。続けて「神殿の長をしています、セルリアンと申します」なんて名乗ってくる。
「貴方に名前はありますか?」
「……ダリシオ」
何も考えず、彼は小説と同じ名前を口にした。セルリアンは笑みを深めると、ダリシオの頭を撫でる。満足のいく答えだったようだ。
いつくしむような手は、神殿の長らしいなと思った。しかし、その手は自分の髪が薄青色だから置かれている。そう考えれば複雑な気持ちにもなった。
「ここはどこですか」
「神殿への近道ですよ」
確か、人身売買の市場と、神殿は地下道で繋がっているのだったか。知っているのは神殿を管理しているロノドフという一族だけ。ダリシオが「神殿に行くのですか」と聞いたら、頷かれた。夢ではロノドフという姓を名乗っていた。故に、いずれは貴族として生きていくのだろうが、今はその時ではないということだろうか。疑問に思いながら、目を擦った。
一定で揺れるセルリアンの歩幅に眠気がする。
「おやすみなさい、ダリシオ」
「……」
「ええ、目が覚めれば、貴方の世界が広がっているでしょう。神の使いである貴方だけの世界が」
むしばむような言葉を最後に、ダリシオの意識は落ちた。
まどろみの中、男女の言い合っている声が聞こえてくる。
「神殿の長としての自覚はなくって?」
「神殿の長だからこそ、哀れな子供を拾い上げたのだよ?」
「……一族を路頭に迷わせる気かしら?」
「ン?」
「その、理解していなさそうな声を出さないでくださる?」
「ああ、すまないね」
「……」
セルリアンの反省の色が見えない言葉に、黒髪の女性は喋らなくなった。それをこっそりと眺めていたダリシオは、小さく息を漏らす。
辺りは夜の静けさに包まれており、セルリアンと彼女の他にも人がいるようだ。しかし、会話に割って入るつもりはないらしい。
ツンと澄ました彼女の態度は、認めないという意思なのだろう。だが、当のセルリアンは意にも介さず言う。
「神の色をまとっている子が、神殿ではないところに行く方が問題では?」
「……そのぼろ雑巾は、本当に神の使いなのかしら」
「事実は神と……本人のみぞ知るところではないかい?」
ぎゅっと脇の辺りを握り締められ、驚いた拍子に目を瞬いた。視界を持ち上げると、嘘くさい空色の目がこちらを射抜いているのが見える。
――寝たふりはバレていたか。
「ここは……」
「神殿さ」
セルリアンの視線を追っていけば、月明かりに照らされた白い建物が見えた。無数の柱で支えられた、タイル張りの壁。確かに神殿と呼ぶのに相応しい、美しさを持っている。ダリシオが圧倒されていれば、視界の端で黒髪が揺れ動いた。
「……」
ウェーブが掛かった髪を指先で巻くような仕草を見せる彼女を、ダリシオは知っている。あの一族の中でも、最後までダリシオを受け入れてくれなかった。最後までダリシオを罵倒し続けた存在。
「彼女は私の妻に当たる。さあ、ヒルネス。新しい我が子に挨拶を」
微笑むセルリアン相手に、彼女は溜め息をもらした。そのまま、振り上げた手でダリシオの頬を叩く。
「っい」
「あら、守らないのね?」
「可愛い子には旅をさせたいだろう?」
叩かれたことには、遅れて気がついた。ある程度の予想はしていた。ヒルネスは人を傷つけることを躊躇わないし、セルリアンが庇うとは思えない。それでも、僅かに存在した期待を砕かれたような感覚には陥った。
「ヒルネス、きみに頼みたいんだ」
「わたくしは……認めません」
彼女に何を頼むつもりだったのか、目だけで訴えれば、セルリアンは「貴方の世話を焼くものを探していてね」と何気ない顔で言った。この男、嫌がられても仕方がないことを頼んでいる自覚がないようだ。
「んー私の監督下に置くとしても、時間が取れないんだ」
「……捨ててきてくださいまし」
「きみが断るなら、姉上にでも頼もうかな?」
実の姉を頼ると言ったセルリアンに、ヒルネスは正気を疑うような目を向けた。最終的に折れたのはヒルネス。折れたというより、諦めたという方が正しいか。
「好きにして頂戴」
ふっと顔をそむけた彼女は、使用人によって用意された馬車に乗り込んだ。セルリアンは置いていかれたようだ。
「……彼女も困惑しているだけで、いずれダリシオを認めるでしょう」
セルリアンは、困ったように言った。
小説の中の自分は、この言葉を信じていたのだろうか。しかし、ヒルネスは認めることをしない。それを知っているダリシオは、馬車の消えた方角に目を向ける。
異を唱え続けても、ヒルネスに未来はない。ならば、それを変えるところから始めてみるのはどうだろうか。ダリシオが死なないためにも、常識を持った大人は必要。
「遅くなりましたが……ようこそ、サンタリア首都神殿へ。神殿の長である私が、貴方を歓迎いたしましょう」
彼の目をみる。月明かりで照らされた嘘くさい空色の目だが、この時ばかりは本当のことを言っているように見えた。




