レンの困惑
レンside
「アンナ、大丈夫か?
……ジュリアンに、何か酷いことをされているんだろう?」
俺の問いかけに、アンナは一瞬だけ視線を伏せ、困ったように首を振った。
「そ、そんな……私の口からは、とても……ぐすっ……」
涙を堪えるように唇を噛むその仕草に、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
――ああ、なんて健気なんだ。
それに比べて、あいつは……。
(ジュリアン……俺のアンナに、よくもそんな仕打ちを)
苛立ちが込み上げる一方で、アンナの存在だけが俺の心を癒してくれる。
はぁ……本当に、どうしてジュリアンが俺の婚約者なんかなんだ。
そう思った瞬間だった。
「なぁ、アンナ嬢。
本当に、ジュリアン嬢に虐げられてるのか?」
場の空気を切り裂くように、ケイゴが口を挟んだ。
……今、何と言った?
アンナの肩がわずかに震え、俺の眉がぴくりと跳ねる。
「ケイゴ様……それは、どういう意味でしょうか?」
アンナは震える声でそう言いながらも、必死に気丈を装っている。
ケイゴは腕を組み、じっとアンナを見据えた。
空気が、張り詰める。
「わ、わたくしは……嘘など、言っておりませんわ!!」
どこか不自然なその反応に、僅かな違和感を覚えつつも――
「ケイゴ!
なぜ俺のアンナを責める!?」
思わず声を荒げていた。
するとケイゴは、呆れたように溜息を吐いた。
「……なぁレン、
“俺のアンナ”って言葉の重さ、分かって言ってるか?」
「何だと?」
「お前の婚約者は、ジュリアンだろ。
この女に骨抜きにされて、正気失ってんじゃねーよ」
――何を言っている?
アンナは傷ついたのだろう。
俺の服の裾をぎゅっと掴み、潤んだ瞳で見上げてくる。
……可愛い。
その姿を見た瞬間、ケイゴへの怒りが一気に膨れ上がった。
「ケイゴ、幼馴染ということで今まで許してきたが……
アンナを侮辱するのなら、もう容赦はしない」
ケイゴは口角をわずかに上げ、乾いた笑みを浮かべる。
その時、アンナが一歩前に出た。
「ケイゴ様……もしかして、姉に何かされましたの?
レン様の右腕であるケイゴ様を味方につけようと、策略を……
ああ、姉の毒牙にかかってしまわれたのですね……」
――そうだ。
きっと、ジュリアンが裏で糸を引いている。
俺の大切な友人をも、手にかけるなんて……。
「はぁ?何言ってんだ?
その思考回路、普通に頭おかしいだろ」
……最悪だ。
女遊びには困らず、常に余裕を崩さなかったケイゴが、
あいつに骨抜きにされるなんて。
気づけなかった俺の不覚だ。
肩を落とす俺を、アンナがそっと支えてくれる。
――やはり、俺の隣に相応しいのはジュリアンじゃない。
アンナだ。
そんな俺を、ケイゴは冷め切った目で見つめていた。
「……はぁ。
ここまで馬鹿だとはな。
レン、悪いが俺はジュリアン嬢に惚れてもいないし、
何もされてない」
それだけ言い残し、ケイゴは背を向けた。
その後、何時間も続いた言い争いの末――
ケイゴは、俺の専属護衛を辞めたいと申し出てきた。
どうしてだ?……俺のせいなのか?
いや、違う。
――ジュリアンのせいだ。
怒りで腸が煮えくり返り、俺は彼女の元へと向かった。
抗議するために。
だが――
そこに立っていたのは、俺の知る“ジュリアン”ではなかった。
「…………ジュリアン、なのか?」
派手な化粧は消え、
魔女のように濃かった目元も、今は影すらない。
きつく巻かれたドリルのような髪は、柔らかく波打ち、清楚にまとめられている。
――まるで、聖女のようだった。
一瞬、言葉を失った俺に、彼女は微笑みかける。
「おはようございます、レン様。
昨日、父からお話があったと思いますが……
私たちの婚約破棄の件、了承いたしました」
婚約、破棄……?
「今までレン様のお手を煩わせてしまい、申し訳ございませんでした。
妹・アンナとのご婚約、心よりお祝い申し上げます」
「……な、何のことだ?」
「レン様が、私よりもアンナとの婚約を望んでいると伺いまして。
私から父に申し出ましたの」
何も、聞いていない。
「俺は……何も……」
「そうでしたか?
ですが、これでお二人の縁を妨げる者はいなくなりましたわね」
にこやかに、そう告げるジュリアン。
……嬉しくないわけじゃない。
だが――
あまりにも、あっさりしすぎている。
お前は……
俺のことが、好きだったんじゃないのか?




