A級任務
支部ギルドの掲示板に、赤い封蝋が打たれた紙が貼られたのは、朝一番だった。
それは依頼ではなかった。
募集でもなかった。
「通達」。
その二文字が、紙の一番上に刻まれている。
リナは、遠目でそれを見た瞬間に理解してしまった。
これは、断れない類の仕事だ。
掲示板の前に立つ冒険者の数が、いつもより少ない。
声も、笑いもない。
誰も近づかず、ただ距離を取って眺めている。
《本部級ギルド案件》
《A級任務》
その文字だけで、空気が変わる。
A級。
それは「強い者が行く仕事」ではない。
「失敗が許されない仕事」だ。
リナは、無意識のうちに肩をすくめていた。
鎧越しでも分かる。
背中に、冷たいものが落ちた感覚。
内容を読む。
《対象地域:旧戦域・黒紋断層帯》
《任務内容:進行阻止および封鎖維持》
《優先事項:時間稼ぎ》
殲滅、ではない。
討伐、でもない。
時間稼ぎ。
その言葉が、重く腹に落ちる。
つまりこれは、
「勝たなくていい代わりに、倒れるな」という任務だ。
リナの喉が、無意識に鳴った。
後ろで誰かが、低い声で言う。
「……行けば、戻れない場所だな」
振り返ると、今回の同行予定者たちが集まっていた。
B級の前衛。
A級に昇格したばかりの指揮役。
後方支援の魔術師。
全員、経験者だ。
それでも、顔色は硬い。
指揮役が口を開く。
「今回の任務は、失敗=被害拡大だ」
淡々とした口調。
だが、その裏にある意味は、全員が分かっている。
「撤退基準はない」
その一言で、場が静まり返った。
撤退できない。
つまり、立ち続けるしかない。
リナは、自分の盾に視線を落とした。
持ち上げる。
腕に、ずしりとした重さが来る。
分かっていたはずの重量なのに、今日は違う。
これを持って、どれだけの時間、立たされるのか。
盾の内側に、汗が溜まる。
手のひらが、少し湿る。
「……大丈夫か?」
隣の前衛が、小さく声をかけてきた。
リナは、反射的に頷いた。
「はい」
その返事は、半分だけ本当だった。
大丈夫かどうかは、分からない。
だが、立つことはできる。
今は、それだけでいい。
移動中、誰も多くを喋らなかった。
馬車の揺れ。
武具が擦れる音。
呼吸の音。
リナは、自分の身体感覚に意識を向けていた。
足の位置。
重心。
盾を構えた時の肩への負荷。
女性としての身体は、長時間の緊張に向いていない。
それは事実だ。
筋力も、持久力も、前衛の男たちより劣る。
傷が残る確率も高い。
それでも――
「倒れるよりは、立っていた方がいい」
その考えが、もう揺れない。
黒紋断層帯が見えてきた。
空が、暗い。
雲ではない。
大地そのものが、光を拒んでいる。
地面に刻まれた古い戦痕。
魔力が枯れ、癒えなかった土地。
ここは、何度も「封じられ」、
そのたびに失敗してきた場所だ。
誰かが、ぽつりと言う。
「……嫌な気配だ」
リナも、同じことを感じていた。
胸の奥が、じわじわと重くなる。
呼吸が、浅くなる。
まだ敵は見えない。
まだ戦闘は始まっていない。
それでも、分かる。
ここは――
「生き残れるかどうか」を試される場所だ。
指揮役が、最後に確認する。
「この任務で、英雄はいらない」
その言葉に、誰も異を唱えない。
リナは、盾を構え直した。
腕が、少し震える。
それを、深呼吸で抑える。
自分は、強くない。
速くもない。
派手でもない。
ただ、立つ。
間に合う位置に。
それだけが、ここに来た理由だ。
やがて、遠くで何かが動いた。
まだ形は見えない。
だが、確実に――
地獄は、こちらへ歩いてきている。




