表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/20

生き残った者たち


霧の谷は、静かすぎた。


音が吸われる。

声も、足音も、呼吸も。


生きている気配だけが、

じわじわと削られていく場所だった。


リナは、盾を構えたまま、足を止めていた。


前に出ない。だが、下がらない。

それだけで、太腿の裏が震えている。


盾は重い。

構えているだけで、腕が痺れる。

女の身体には、あきらかに過剰な重量。


それでも下ろさない。

下ろした瞬間、

戦線が一段、後ろにずれる。


その一段が、

誰かの死になることを、

彼女はもう知っている。


「……深呼吸しろ」

剣士が小さく言った。


だが、その声は自分自身に向いていた。


全員、分かっている。

ここは、一度壊れた場所だ。


再挑戦という言葉は、

ここではただの記録用語に過ぎない。


実際には、

「同じ地獄に、もう一度立つ」

という意味だ。


霧が動く。

魔物が出る前兆。


リナは、盾の縁を少しだけ下げた。

視界を確保するためだ。


その瞬間、

肩にかかる重量が一気に増す。


(重い)


腕が、上がらない。だが、下げない。


魔物が現れる。

数は、記録通り。

配置も、同じ。


まるで、壊滅の再生映像だ。


剣士が踏み込む。


その動きを、

リナは“止めない”。


止めると、前に出る理由が消えるからだ。


代わりに、半歩だけ、前に出る。


盾が、剣士の肩口に被さる位置。


魔物の一撃。


盾で受ける。


衝撃が、

腕から肩へ、

背骨へ、

そのまま落ちてくる。


息が詰まる。

歯を食いしばる。


「《ヒール》」


自分に。


回復量は小さい。

だが今は、“倒れないための猶予”で十分だ。


魔物が、もう一撃。


今度は、

盾の外側を掠める。


腕が、弾かれる。


一瞬、

盾の角度が崩れる。


リナは、

無理やり踏ん張る。


太腿が、悲鳴を上げる。


(まだ)


(ここで崩れたら、終わる)


「《プロテクトウォール》」


声は、掠れていた。


効果は薄い。

全体防御バフ。

だが、

衝撃が“少しだけ”逃げる。


その少しが、生と死の差になる。


剣士が斬る。

魔術師が撃つ。


一体、倒れる。


だが、戦線は楽にならない。

むしろ、

一体減ったことで、

残りの圧が集中する。


魔物が、リナを“押し出そう”とする。


殺す気ではない。

どかす。


それだけでいいと、

本能が理解している。


盾が、押される。

足が、滑る。

地面が、湿っている。

膝が沈む。


(まずい)


リナは、

盾を前に出さなかった。


代わりに、身体ごと前に乗せる。


重さで、止める。


痛みが、肋骨に走る。


息が、浅くなる。


「《ヒール》」


また、自分に。

回復は、追いつかない。


それでも、倒れる速度は遅くなる。


それでいい。


戦線維持とは、

“勝つこと”じゃない。


崩壊を遅らせ続けることだ。


剣士が、

一瞬、踏み込みすぎる。


その瞬間、

リナの判断が走る。


前に出る。


盾を、

剣士の前に差し込む。


魔物の爪が、

盾を叩く。


視界が揺れる。

腕が、完全に痺れる。

もう、上がらない。


それでも、

下げない。


「……っ」


声にならない声が漏れる。


魔術師の詠唱が、通る。


最後の一体が、崩れる。


沈黙。


リナは、

数秒、動けなかった。


盾を下ろすと、腕が落ちる。


感覚が、ない。


それでも、立っている。


誰も、倒れていない。


剣士が、剣を下ろす。


膝が、震えている。


「……生きてるな」


それは、

勝利宣言ではなかった。


確認だった。


魔術師が、

霧の向こうを見る。


「前も……ここで……」

言葉が、続かない。


全員が、

過去の壊滅を思い出している。


そして、

今も立っていることを、

身体で理解している。


リナは、

盾を見下ろした。


傷だらけ。

凹みだらけ。


自分の身体も、同じだ。


痛みが、遅れて戻ってくる。


だが、

誰も倒れなかった。


剣士が、静かに言う。


「これが……

 異端の盾か」


リナは、首を横に振った。


「違います」


「私は、

 一番、殴られただけです」


その言葉は、

謙遜でも、否定でもない。

事実だった。


そしてその事実こそが、

この世界では、

最も価値がある。


霧の谷は、変わらない。


だが、

生き残った者たちは、確実に変わった。


前に立つ盾の意味を、

身体で知ったからだ。


リナは、震える腕で盾を持ち直す。


後ろには、立たない。


それが、

この世界で生き残るための、

唯一の型だから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ