前に立つ覚悟
メイス盾としての初任務は、D級だった。
だが、依頼内容は重い。
街道沿いの渓谷。
荷馬車の護衛。
魔物の数は少ない。
だが地形が悪い。
落石。
狭い道。
退路が限られている。
パーティは四人。
前衛一人。
斥候一人。
後方火力一人。
そして――
リナ。
職名:メイス盾。
集合地点で、
最初に視線が集まったのは、
彼女の盾だった。
大きい。
厚い。
金属の縁が、鈍く光っている。
「……え」
誰かが、声を漏らす。
「盾役、来てたっけ?」
前衛の男が、
名簿を見直す。
「いや……回復役って聞いてた」
リナは、何も言わない。
盾を下ろし、
静かに立つ。
その動きが、
少しぎこちない。
盾は、まだ身体に馴染んでいない。
構えれば、
肩が引かれる。
少し油断すると、
重心がずれる。
腕が、重い。
特に左。
握力が、
じわじわ削られていく感覚がある。
(……重い)
頭では分かっていた。
だが、実際に持つと違う。
骨に響く。
筋に残る。
女性の身体は、
こういう重さを、
前提に作られていない。
それでも――
リナは、
盾を下ろさない。
前衛の男が、
気まずそうに声をかける。
「……あんた、後ろで回復だよな?」
リナは、
一瞬だけ迷う。
どう言えばいいか。
説明すれば、
空気が変わる。
黙れば、
勘違いされる。
「……前に立ちます」
言った瞬間、
空気が凍る。
「は?」
「盾役?」
「いや、女の人だろ?」
悪意はない。
純粋な困惑だ。
リナは、
胸の奥で、
小さく息を吸う。
「怖いです」
正直に言う。
「重いです」
もう一つ。
「……でも、
倒れるより、
立ってる方がましなので」
前衛の男は、
言葉を失う。
斥候が、
小さく笑った。
「変わってるな」
火力役の魔術師が、
肩をすくめる。
「まあ……
盾が前にあるなら、
詠唱は楽だけど」
誰も、
「やめろ」とは言わなかった。
それだけで、
十分だった。
出発。
渓谷は、
思ったより狭い。
岩肌が近い。
音が反響する。
リナは、
歩幅を意識的に小さくする。
盾を構えたまま歩くと、
肩と腰が、
噛み合わなくなる。
少し油断すると、
胸当てが擦れる。
それが、
妙に意識を引き戻す。
(……私、前にいる)
その事実が、
身体感覚として、
ずっとある。
魔物が現れる。
小型。
二体。
前衛が、
一歩踏み出そうとする。
その前に、
リナが出た。
盾を、
正面に。
腕が、
悲鳴を上げる。
重い。
想像より、
ずっと。
魔物の爪が、
盾に当たる。
衝撃。
手首が、
跳ねる。
(……っ)
歯を食いしばる。
次の瞬間、
身体が覚えている動きで、
回復を流す。
《ヒール》
自分に。
前衛ではない。
自分だ。
それを見て、
前衛の男が、
息を呑む。
「……自分に?」
「立ちます」
短く答える。
二撃目。
今度は、
盾ごと、
押される。
足が、
半歩、
滑る。
(……まずい)
咄嗟に、
膝を少し落とす。
姿勢が低くなる。
重心が、
盾の内側に収まる。
その瞬間、
安定する。
「……っ!」
斥候が、
横から斬り込む。
魔術が飛ぶ。
一体目が倒れる。
二体目が、
逃げようとする。
リナは、
盾を下げない。
追わない。
ただ、
立ち続ける。
戦闘終了。
静寂。
腕が、
震えている。
力が抜けると、
急に重さが戻る。
盾を下ろすと、
肩が、
ずんと落ちる。
(……上がらない)
左腕が、
途中までしか上がらない。
痛みというより、
使い切った感覚。
前衛の男が、
近づいてくる。
「……あんた」
言葉を探している。
「怖くなかったか?」
リナは、
正直に頷く。
「怖かったです」
「……でも」
少し、
間を置く。
「前に立ってると、
誰が危ないか、
よく分かるので」
前衛は、
何も言えなくなる。
斥候が、
ぽつりと言う。
「……倒れてないな」
魔術師が、
小さく頷く。
「詠唱、
途切れなかった」
評価は、
まだ言葉にならない。
だが――
誰も、
「後ろに下がれ」とは言わなかった。
それだけで、
リナの胸は、
少しだけ軽くなる。
休憩。
岩に腰を下ろす。
盾を地面に置くと、
指が、
じんと痺れる。
手のひらを見る。
赤い。
皮が、
少し剥けている。
女性の手だ。
細くて、
柔らかくて、
本来は、
こんな重さを支えるものじゃない。
それでも――
リナは、
その手を、
そっと握る。
「……立てた」
誰に聞かせるでもなく、
呟く。
それが、
覚悟だった。
前に立つ覚悟。
そして――
殴られることを、
引き受ける覚悟。
任務は、
続く。
リナは、
盾を持ち上げる。
まだ、
不器用だ。
まだ、
重い。
それでも――
後ろには、
戻らなかった。




