31, 戦場の爪痕
「あら? シルマの姿が見えないわね。どこへ行ったのかしら? もしかしてベガの後に着いて行ったわけじゃないわよね」
私は呟きながらキョロキョロと辺りを見回す。
「え? シルマなら……」
「あっ、虫? 蚊かしら? 異世界にも蚊がいるのかしら? レイトが刺されたら大変だわ」
レイトの声を遮る様に小さな影が目の前を舞うのを捕らえた瞬間、両手を素早く合わせる。
パチン! 乾いた音が車内に響いた。
「もう、逃しちゃったわ」
「えっと、アマネ、それって」
レイトが何か言いかけたみたいだったけど、それよりも私は目の前を飛んでいる蚊が気になっていた。
異世界の蚊も動物の血を吸うのかしら? 刺されると腫れて痒くなったりするのかしら?
と考えてふと気がついた。
あら、そう言えば蚊にしては蚊特有の羽音がしないわね。本当に蚊かしら?
『アマネ! 何をするのじゃ! 危うく潰されるところじゃったわい! まあ、聖霊獣の妾はそれでも死ぬことはないのじゃが』
首を傾げていると、突然目の前に現れた虫……? がしゃべった。
目を凝らして虫の正体を改めて確認する。
「え? シルマ? 何でそんなに小さくなっているの?」
目の前を飛んでいる虫は、よく見ると虫ではなく銀緑の竜だった。
『お主が、小さくて可愛いと言ったのじゃろうが!』
「言ったけど、小さいのにも限度があるわよ。それじゃあ虫にしか見えないわ」
『さっき、お主はベガとレイトを見て可愛さに頬を緩めておったではないか?』
どうやらシルマは二人に嫉妬していたらしい。それにしてもなぜこんなに可愛さにこだわるのだろうか?
「アマネのせいだよ」
私の心を読んだらしいレイトが指摘する。
「私のせい?」
「うん、だってアマネはいつも可愛いと言って嬉しそうに笑っているでしょ? だから、可愛いのはとっても良いことで愛される条件なんだって僕もシルマもベガも思っているんだよ」
「え? そうなの? レイトも? でも、愛されるための条件なんてないのよ。人も動物も植物だってどの世界でも無条件で愛されるべきなんだから。って言ってもそれってお母さんの受け売りなんだけどね。私だって全ての人を愛することなんてできないし……」
「とにかく、シルマ、手のひらサイズが一番可愛いと思うの。だから、そこまで小さくならなくていいのよ。シルマはどんなサイズでも可愛いと思うわ。それに、私たちの中ではシルマが一番賢いじゃない?」
『うむ、そうじゃな。この中では妾が一番賢いのは当然じゃがな』
何とか機嫌を直したシルマは、一瞬光ると手のひらサイズに戻った。
うん、これで虫と間違って潰してしまうこともないだろう。
『アマネ、塀の奥にマナト……レーナの血を受け継ぐ者達が住んでおったぞ。危険はないからこちらに来るのだ。今、モエギという少女が迎えに行った』
ホッとしたところでベガの声が私の頭の中に届いた。ベガが言っていた通り、離れていても守護聖霊獣とその主人は意思疎通ができるのだと実感した。
「シルマ、レイト、ベガから連絡が入ったわ」
『そのようじゃな。妾にも聞こえたぞ』
「うん、僕も聞こえたよ」
そうだった。この二人は私の考えが聞こえるのだった。だとしたら、ベガが放った念話が聞こえるのも当然だろう。
「じゃあ、行きましょう」
私たちはキャンピングカーを降りて先に見える今にも朽ちそうな木製の塀に向かう。
近づいていくと小さな門が開いており、そこに七〜八才くらいのシンプルな深緑色のワンピースを着た少女の姿が見えた。二つに結えた茶色がかった金髪、翠緑の瞳。ちょっと痩せすぎな気がするけど、美少女と言えるだろう。
少女の足元には、額の真ん中に角を生やした銀色の大きいハムスターがちょこんと座っている。
えっ、何? このハムスター、ハムスターにしては大きいけど私を見つめるクリクリした深緑の瞳が超かわいいんですけど!
それに女の子もおメメぱっちりで可愛い……お人形さんみたいだ……この子なら女の子だしレイトに拒否されたドレスが似合うに違いない。
チラリとそんなことを考えていたら、レイトが私の服を軽く引っ張った。
どうやらレイトに心の声を聞かれてしまった様だ。ハッとして目の前に立つ少女とハムスターがじっと私たちを見ている。
こほんと咳払いをして妄想を振り払う。
「えっと……あなたがモエギちゃんね」
私はできるだけ柔らかな笑顔を携えて何事もなかったかの様に声をかけた。
「はい、モエギです。それで、この子は父さんの聖霊獣のシャウラ」
モエギちゃんはどうやらお父さんと一緒らしい。母親はどうしたのかしら? 一緒ではないの?
まあ、それは後で聞けばいいか。
「私はアマネ。それでこの子がレイトで、こっちがレイトの守護聖霊獣のシルマよ」
「まあ、レイト様……とてもお可愛らしい……それにシルマ様は竜なんですね。竜なんて初めて見たわ」
モエギちゃんの言葉に「そうなんです。うちの子可愛いんです」と言いそうになるのを何とか堪えて、ベガの待つ場所に案内してもらう。
「アマネ様、こちらです」
「えっと、様はいらないわよ」
私は少女の恭しい態度にちょっと戸惑った。様呼びなんて未だかつてされたことがない。
「でも……クレハ様の娘さんだと聞きました。でしたらアマネ様です」
少女は小首を傾げ、戸惑った様に言った。呼び方を変える様子はないらしい。
まあ、ここで言い合っても仕方がないので今は甘んじて受け入れることにした。
地下へ続く扉を開くモエギちゃんを黙って見つめ、この少女とその家族は隠れる様にしてここに住んでいるのだと察した。扉の前に立ち周りを見渡すと、崩れかけた古い廃屋や瓦礫がそこら中に散らばっているのが見える。
かつてこの地で争いごとが起こったかの様だ。いや、きっと実際に起こったのだろう。もしかしたらここは戦場だったのかも知れない。
緩やかな丘に点在する石造りの建築物の残骸と土に埋もれかけた城壁がその戦いの激しさを物語っていた。少し遠くを見ると小さな土の塚や人為的に掘られた堀の痕跡が目に入る。
遠くにそびえる風化した砦の跡は、幾度もの攻撃に耐えた証を刻み時を超えて心に響く。
目を瞑ると無数の兵士たちがこの地で繰り広げた熾烈な戦いが蘇ってくる様だ。剣や槍の金属音、叫び声、燃え盛る炎や煙の匂い、大地が吸い込んだ血の香り……静寂の中で壮絶な戦場の記憶がこの地に溶け込んでいる様な気がした。
一陣の風が頬を撫でると、微かに緑の息吹の香りがした。その香りを辿る様に目を走らせるとある一角に小さな畑が見える。
レーナの血を引く者がこの地を蘇らせようとしている様に感じ、自分もその血を引いていることに誇らしく思う私だった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。




