16, 眠る天使
太陽の位置が大分低くなった頃、キャンピングカーは私と二匹の聖霊獣たちを乗せて黒山の麓まで辿り着いた。見上げると火山岩や暗色の鉱物に覆われた黒い表面は、傾き始めた日の光を浴びて紫や赤褐色に反射し、美しい陰影を作り出していた。
近くで見る黒山は、神秘的というよりはどこか異質で畏敬の念を抱かせる。遠くから見た時と違って、その様はこれ以上先に進むことを阻んでいるような気さえした。
『こっちじゃ』
真っ先にキャンピングカーから飛び出たシルマは私の目線から外れない高さを保ちながら岩山に近づき、振り向き様に私とベガを誘導した。
シルマの案内によって私とベガは静寂を湛え、ゴツゴツとした黒い岩が剥き出しになった山に近づいて行く。目の前にそびえる黒山は首が痛くなるほど見上げても頂上を拝むことができない。その巨大さはまるで自分の存在が豆粒ほどに小さいことを認識させる。
数分程、シルマの後に着いていくと岩壁の一部に大きな裂け目の様に口を開けている場所が現れた。ひんやりと漏れ出る空気が頬を掠める。ここがシルマが言っていた霊洞の入り口だろう。地球では洞窟と言われていた場所と大きな違いがない様に思える。
この中に私の従兄レイトが眠っているのよね。
入るのを躊躇しそうになる自分にレイトを助けなければならないという使命を思い出させ気合を入れる。
『この奥にレイトが結界に護られたまま眠りについておるのじゃ。小さな霊元石を道筋に並べておるから、レーナの血を引くアマネにはその光が見えるじゃろう』
薄暗い入り口に足を踏み入れると、シルマの言葉の通り道の先にはポツポツと緑色の光が等間隔で道案内をするように奥の方まで続いているのが見えた。その光を見て真っ暗闇じゃないことにほっと息を撫で下ろす。
シルマの後に続きその光を辿る。
霊元石は空気に漂うマナエネルギーに反応して暗闇では光って見えると言う。でも、そう見えるのはレーナ一族の血を受け継ぐ者だけで、他の人間には只の緑色の石にしか見えないそうだ。
洞窟……霊洞の壁には無数の細かな模様のように自然が生み出したアートが刻まれている。嘗て水が流れ、岩肌を切り取った跡のようだ。時々、ひゅうっと風が通り過ぎる音が聞こえて冷たい空気が肌を掠めていく。ぶるりと身体が震え、「上着を着てくればよかった」と鳥肌が立つ腕を擦った。ジーパンにシャツ、それに薄手のカーディガンいう出で立ちに全身が震える。
子供の頃、学校の遠足で洞窟に入った時、夏だというのにかなり寒かったことを思い出した。
「異世界でも洞窟の中は寒いのね。すっかり忘れていたわ』
『すまぬな、アマネ。すっかり失念しておったわ。我ら聖霊獣には暑さも寒さも感じぬが人の身体にはちとこの中は堪えるかも知れぬな』
シルマが申し訳なさそうに零す。
『アマネ、暫し待たれよ。すぐに戻ってくるからな』
ベガはそう言って、あっという間にその場から姿を消したと思ったら、数分後ライトダウンをキャンピングカーから持って来てくれた。私が念の為と思い、キャンピングカーに積んでいたものだ。
なかなか気が利く聖霊獣である。
「ベガ、ありがとう!」
銀色のもふもふの身体をギュッと抱きしめ、ベガに感謝する。
『何、吾輩は其方の保護聖霊獣であるのだ。当然のことをしたまでだ』
そう言いながらも、ベガはとても嬉しそうにもふもふの尻尾を振っていた。
ライトダウンを着込むとさっきまでの寒さが随分とましになった。
足下に散らばっている小石や砂が歩を進める度に軽い音を立て、洞窟内に微かに響く。人が踏み込む事がない場所だということを実感し、ベガとシルマがいることに心強さを感じた。
更に奥に進み暫くすると、少し開けた場所に辿り着いた。それ程広くはない。大体六畳くらいの空間だろうか。ここまで歩いてきた道と違ってかなり明るく見えた。
すぐにその原因を探ると岩の裂け目から僅かな光が差し込み、霊洞内の一部を照らし出していることが分かった。光の下にはなにやらクリスタルの様な物が置かれていた。クリスタルは僅かに薄緑色の光を纏っているように見える。
『レイトがここに眠っておる』
シルマがクリスタルの前まで飛んでいきこちらを振り向くと静かな声でそう言った。私はゆっくりとクリスタルに近づいて行く。徐々にその形が明らかになり私の目にその全形が映った。
クリスタルの前に立ち、見下ろしたまま私は言葉を失った。光がクリスタルを通して優しく反射し、少年の顔を柔らかく照らしている。
私はクリスタルの前で膝を落とすと表面にそっと手を触れながら上から覗き込んだ。
緑がかった銀色の髪の幼い少年が瞳を閉じたままクリスタルに覆われていたのだ。唇は微かに開き、両手は胸の上でそっと重ねられている。小さな指が薄い花弁のように繊細に見えその姿に胸が苦しくなった。
今にも目を開くのではないかと錯覚をおこしそうなほど穏やかな表情だ。もしも、本当に天使がいるのなら彼の様な姿に違いないと思えるほどに美しい少年なのに彼の背負った運命を思うと憐憫の気持ちが湧き出てきた。
シルマはレイトが殺されそうになったせいで結界が発動したと言っていた。
なぜこんな幼い少年が殺されそうになったのか?
なぜ百年もの間この子は結界の中でたった一人眠り続けなければならなかったのか?
シルマ以外にこの子を護る者はいなかったのか?
母親は? 周りの大人達は?
様々な思いが憤慨と共に心の奥底から湧き上がる。
この子は愛されていた? 大切にされていた? 幸せだった?
その疑問の答えは目の前にある。本当に愛され、大切にされていたのだったとしたらそもそも結界は発動しなかっただろう。
あまりにもこの少年が哀れで、この世界の理不尽さと自分がこれまで経験してきた理不尽さが重なる。どの世界でも子供は大人に翻弄されるものだ。
私が叔父の家で受けた冷遇なんてこの子に比べたらたいしたことでは無かったのかも知れない。私は叔父の家に身を寄せた時は既に十三才にになっていたし、ましてや命の危険など無かったのだから。
まだ二才だったレイトに訪れた過酷な運命に悔しさとやるせなさが心に込み上げる。護りの結界が発動されるまでの三年間、レイトはどんな思いで一人で生きていかなければならなかったのか……瞳からは次から次へと滴が落ち地面を濡らしていった。
『アマネ、落ち着け。先ずはレイトの結界を解除するのだ』
ベガの言葉で我に返った。
『そうじゃ、アマネ。レイトを救えるのはお主だけじゃ。あの女がレーナから盗んだ霊元石もレイトを運ぶときに一緒に奪い返しておる。それを使えばレイトの目が覚めるじゃろう』
「シルマ……」
そうだ、私にはできることがある。いいえ、レイトは私にしか救えない。
私は自分自身にそう言い聞かせた。シルマはクリスタルの横にある革袋を私に手渡す。
『その中に霊元石が入っておる。一番大きい物を使うのじゃ』
一番大きい霊元石……革袋の中には大小様々な霊元石が数十個入っていた。
私はシルマの言うとおりその中から一番大きな霊元石を手に取った。キャンピングカーに設置されていた物と同じ位の大きさの物だ。
私はゆっくりと呼吸を整えると、左手で霊元石を握りレイトが眠るクリスタルの上に右手を翳したのだった。
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