15, アマネの力
キャンピングカーが走り出し、フロントガラスの向こう側にある先ほどと変わらない荒涼とした景色に目を向ける。所々に見える大地の上を走るひび割れは、長年の間雨が降らなかったせいに違いない。だというのに空には薄い雲が覆っている。風が吹くたびに乾いた土が細かく舞い上がる様子が見えた。
この辺の空はずっとこんなふうに曇っているのかしら? 雨が降りそうで降らない曇り空は地球でもよくあったから不思議じゃなけど、思わせぶりな空を見ているとスッキリしない。
せめて少しでも雨が降ればこの地も蘇るかも知れないのに……。
私は瞳を閉じると頭の中で、雨の音、地面を叩くしぶきを思い浮かべ大地を潤す様を想像する。恵みの雨が乾いた土に吸い込まれ次第に草木が蘇る様を……。
数分後、ぽつりぽつりという音が聞こえた。フロントガラスの方に目を向けると小さな水滴が一つまた一つと現れ、それらの滴はゆっくりと広がり他の滴と手を繋ぐように流れ落ちていくのが見えた。
静かな雨音は次第に勢いを増し、キャンピングカーの屋根や窓ガラスを叩きながらリズムを奏でるように車内に響いた。窓越しの風景は水のヴェールを通してぼやけ、荒野が薄茶色一色に滲んでいる様に見える。
いつの間にか雨を察知したワイパーが必死にフロントガラスを濡らす水滴を避けるように動いている。視界が一瞬だけクリアになるが、すぐに新しい滴がフロントガラスを叩きつける。
『なんと! これは何十年ぶりの雨じゃろうか……』
雨音の中でシルマの感嘆の声が頭に響いた。
「やっぱりこの辺りって、ずっと雨が降らなかったの?」
『そうじゃ、この辺りの地は大きな戦があった場所じゃ。昔、この場所は豊かな場所じゃった。あの黒山も嘗ては緑溢れる美しい場所じゃったのじゃよ。この辺りはマナエネルギーも豊富じゃったからのう。そのため、それを狙った国がここを我が物にしようと画策したのじゃ。大地が荒らされると次第に地表から滲み出るはずのマナエネルギーは人間の所業を戒める様に出なくなった。結局地を荒らしただけでこの地はもう誰のものでもなくなったのじゃ。人間とは何と愚かな……ますますマナエネルギーを無くす最悪の結果を招くとはの』
『なるほど、おかしいと思っておったのだ。いくら霊元湖を封鎖されていたとしてもマナエネルギーが少なすぎる。マナエネルギーは、山や大地からも滲み出てくるはずなのに。特に自然豊かで精霊が多く集う場所にはマナエネルギーが豊富なのだ。まさか、他にもこの様な場所が存在するのか?』
『存在する。この百年で人間達はマナエネルギーの奪い合いをしておったからの』
シルマの言葉でこの荒れた地の原因が分かった。
それにしても、何だろう? 少しクラクラする。
「ベガ、シルマ、私なんだか疲れちゃったみたい。ちょっとソファーに横になるわね」
『そうか、急な環境の変化で体に負担がかかったのかも知れぬな』
『そうじゃな、少し眠るが良い』
ソファーに横になると、フロントガラスを行ったり来たりするワイパーが目に入った。
自動運転なのにワイパーって必要かしら? と呑気なことを考える。
「でも、びっくりしたわ。雨が降ってこの乾いた大地が蘇ればいいのにって思っていたら本当に雨が降るんだもの」
『なんじゃと! ……数十年ぶりの突然の雨……アマネ、もしかしたらお主が授かった特殊能力は天役か……?』
何気なく呟いた言葉にシルマが大袈裟な程反応した。
『うむ、その可能性は大いにありうるな。確かにアマネは先ほどこの地に雨が降るように願っておったからな。急に疲れが出たのは無意識のうちに特殊能力を使ったせいかも知れぬな』
「特殊能力……天役……って何?」
私はシルマとベガの話している内容が良く分からず尋ねた。
『天役とは、天候を操る力じゃ。もしアマネの能力が天役ならえらいことじゃ。この能力を持つ者は百年前のレーナ一族にも存在していなかった。もし、アマネの能力が天役だとしたらその能力を持つ者が現れたのは千年ぶりくらいじゃないかのう……』
シルマが興奮気味に力説するが、私は今一つ実感が湧かない。
「え? でもさっきのは偶然じゃない? やだわ、私にそんな力があるわけないじゃない。ねぇ、ベガはどう思う?」
『ならば、この雨が止み青空が広がることを願ってみれば良いのではないか? アマネの願い通りになれば、アマネの能力が天役であることの証明になるだろう。いいか、願うときにはさっきの様に頭の中でその情景を想像し、心の底から願うのだぞ。その前に霊元石を使うのだ。体の中のマナエネルギーが枯渇しないためにな。まだ小さいのが残っておっただろう』
「……分かったわ、やってみる」
ベガの言葉に戸惑いながらも試してみようと思った。もしも、そんな力が私にあるのならこの世界のために何かできるかも知れない。
そんな思いが湧いてきたのだ。
私は起き上がり、ソファーに座ると小さな霊元石を手のひらに握った。
外に目を向けるとどんよりとした雲から降り続く雨は、さっきまでカラカラに乾いていた大地を潤し続けている。私は瞼を閉じ胸の前で手を組み、厚い雲が裂けるように光を通す様を頭に思い描く。
『アマネ、目を開けて祈るのじゃ』
「目を開けて?」
私は何でシルマがそう言ったのか分からなかったけど、空を見つめながらもう一度さっきと同じ様に思い描き、この空の色に青空が広がることを祈った。
数秒後、雨が次第に弱まり、灰色だった雲が割れて隙間から光が差した。
その様子はまるで宗教画のようで言葉を発することもわすれて見とれてしまった。私がさっきまで想像していたとおりの景色が反映されたように次第に空に青空が広がる。黒山の向こうには虹まで現れた。
『……翠緑の瞳に現れた金環……アマネ……やはりお主の力は天役の様じゃな』
「金環……? 何のこと?」
『アマネ、レーナの者が特殊能力を使う時、瞳の周りに金環が現れるのだ。今の其方の様にな』
「え? 私の様に?」
私はベガの言葉に鏡を取り出し自分の顔を写した。
地球にいた頃よりも鮮やかな翠緑の瞳……その瞳の周りは確かに金色に見える。金色は次第に消えていったが、鮮やかな翠緑の瞳はそのままだ。
そればかりか髪の毛も以前よりも緑色が濃くなているような気がする。以前は光が当たった時だけ僅かに緑が帯びている様に見えただけだったのに。
『地球よりも濃いマナの力を吸収して、レーナ一族の特徴に近付いて来ているのだろう』
私の心の疑問に答えるベガ。
私はもう一度空を見上げる。晴れ渡った青空はこの地に降りた時と全く違って同じ場所だとは思えないほどだ。
驚きのあまり言葉にできない。それは、ベガもシルマも同じだったようで暫く私達は虹が架かる黒山を見つめていた。
何分くらい経っただろうか?
未だに信じられない自分の力……まるで夢を見ている様で実感がない。
戸惑いが次第に私の中に広がるのを感じつつ、フロントガラスの向こう側を見つめる。キャンピングカーはさっきまでとは全く違う空の色が広がる風景を走り続けている。雨上がりの大地はたっぷりと水を含み今にもそこかしこから植物が芽吹いて来るような気がした。さっきよりも近づいた黒山はその姿をくっきりと現し、私たちの訪れを待ち受けているかの様だった。