10, 初めて出会う異世界生物
サイドウィンドウの向こうに降り立ったその生き物はファンタジー物語の定番のあの生き物だ。
「竜……よね。でも思ったよりも小さいわね……」
私は窓に齧り付き、緑銀の美しい竜を凝視した。
多分、このキャンピングカーから数メートル程しか離れていないと思うが、その竜はベガと同じ位の大きさしかないように見える。
もう既に私の中ではここは異世界だと決定づけているので今更竜が現れようと動じない。
近づいても大丈夫なのだろうか? 物語の中では竜は最強で危険な生き物だと描写されていることもあるし、反対に賢くて友好的だと描写されていることもある。
果たしてこの世界の竜はどちらなのだろうか?
『シルマ……』
私が暫く考え倦ねいていると、ベガが小さく呟いて外に駆け出して行った。
ベガが緑銀の竜に近づいて行くのを見て、きっと賢くて友好的な竜なのだと判断し、私もベガの後に続く。
『ベガ……やはりお主であった。今までどこにいた? 探したぞ』
『この世界では無い別の世界だ』
『別の世界……? まさか、異界越えしたのか? だからこの百年もの間、お主の気配がこの世界から消えたのか? それはちと長すぎはせぬか?』
『百年? シルマ、何を言っているんだ? 吾輩がこの世界から消えたのは二十年前だぞ』
私はベガと緑銀竜の話に耳を欹てた。彼らの話を聞くとどうやら竜の名前は「シルマ」ということが分かった。
それよりも、シルマという竜が言った言葉が気になった。
百年? ベガこの世界を後にしてから百年? ということはお母さんもベガと一緒に地球に来たのだからお母さんがこの世界を後にしたのは百年前ということになる。
どう考えてもおかしいよね。
ベガはともかくお母さんは普通の人間だ。百年も経てば生きていない……かも知れない。あれ? お母さんって異世界人だけど普通の人間だよね。
いや、お母さんが普通の人間じゃなかったらその子供である私だって普通の人間じゃない可能性がある。そもそもこの世界の普通の人間の定義って何?
思考がどんどんエスカレートして哲学的になってきた。今はそれどころではない。取り敢えずベガとシルマの会話から情報を取得しよう。
『もしかして、この世界と地球の時間の流れに差異があるのか……?』
私が目の前の二匹の聖霊獣に再び目を止めると、ベガがハッとしたように言葉を洩らした。
差異って……どういうこと? 地球の二十年間はこの世界の百年間にあたるということ?
と言うことは、この世界と地球の間に五倍も時間の流れに差があるということよね。
ベガの話が本当なら地球ではお母さんがこの世界に召喚されてから五年経過していたけど、この世界からすると二十五年経ったことになるわ。
えっ? と言うことはお母さんってもしかしてお婆さん……と呼ばれるまでは行かないだろうけど思ったよりも年をとっているかも知れない……
やだ、どうしよう……
『ん? その娘はクレハに似ているがクレハではないな。うむ、もしかしてクレハと血の繋がりがある者か?』
『ああ、其方が察しの通りクレハの娘だ』
最悪の事態を予測していたら、小さな緑銀竜と銀色の柴犬の視線を感じた。
「あの、アマネといいます。初めまして、ベガのお友達のシルマさん」
悪い考えを頭から追い出し、私はできるだけ愛想の良い笑顔を作って私を見つめる美しい緑銀竜シルマに挨拶をした。
『そうか、アマネと言うのか? 妾のことはシルマと呼ぶがいい。敬称はいらぬ。それで? クレハはどうしたのじゃ? その地球と言う場所にいたのじゃろう? 地球では二十年間ほどしか経過していないのならクレハもまだ存命であろう』
「それが……五年前……ここでは二十五年前になるのかな……にこの世界に召喚されたんです。たぶん……だから、もっと年を取っていると思います……」
そう考えるとお母さんはもう私のことを忘れているかも知れない。ハッ、まさか新しい家庭を築いて愛する旦那さんがいて、私の妹か弟がいるのかも……いや、両方かも……そしたら私がいなくても寂しくないわよね。新しい家族に恵まれて幸せなら私が邪魔になってしまうかも知れない……どうしよう、お母さんを探すのはお母さんにとって迷惑になるのでは……?
涙がでそうになるのを堪えるように私は下唇を噛んだ。
『アマネ、考えすぎだ。前から思っていたが其方は思い込みが激しすぎる。それにクレハは結界に守られている可能性が高い。守護聖霊獣である吾輩が呼びかけても反応がないのだからな。だとしたらクレハは年を取らない。だから、きっと召喚された時のままだ。だからアマネと年が近くなって姉妹に見えるだろうな』
ベガの言葉に私はハッとした。
そうか……あの時お母さんは三三才だった。いま一八才の私とは一五才差。もしお母さんがあのまま年を取っていないのだとしたら、私達親子は年の離れた姉妹だとしてもおかしくない。ましてやお母さんは実年齢よりもかなり若く見られていたのだから。
『そうじゃな、それに、結界が発動しなかったとしても、レーナ一族は歳を取るのが遅いのじゃ。たとえ二十五年の月日が経とうと見た目はそれ程変わらないじゃろう』
へぇ、そうなんだぁ。レーナ
それはそうと、今気になることをベガは言っていた。
「ベガ? 守護聖霊獣は離れていても主人と意思疎通ができるってこと?」
『その通りだ、言ってなかったか?』
「聞いてないわよ!」
『そうか、それは悪かったな』
悪びれもせず謝るベガに溜息を吐いた。この分だと他にも私に話してないことがありそうだ。
……ん? と言うことは、ベガは私の守護聖霊獣でもあるから私と離れていても意思疎通ができると言うことで合っているかしら?
『うむ、察しがいいな、天音。そう言うことになる』
私の心の声に当たり前の様に答えるベガにもう突っ込むのも面倒になってきた。
チラリとベガに目を向けると小さな柴犬の姿が目に入り、「もう可愛いからいいや」と言う気持ちになってしまう。
人間に限らず可愛いと得である。
『それでシルマ、あれからどうなった? ……其方だけなのか? 吾輩の気配を辿って来たのだろう? あれから百年経った今、この世界はどうなっている?』
『ハナもクナト、それにタクトも死んだ。妾は守れなかったのだ。主人であったハナを……妾はハナにレイトを託された……だと言うのにレイトは……』
ベガの問いにシルマは歯切れ悪く答えた。
それにしてもベガとシルマの会話が全然見えない……
「ベガ、レイトってさっきベガが話してくれた私の従兄だと言うレイト? 彼がどうかしたの? 分かるように説明してくれるかしら?」
私は二人の会話の中に無理矢理割り込んだ。
『ああ、そうだな。レイトと言うのは君の従兄にあたる者だ。つまり、クレハの兄タクトの息子である』
やっぱり私の従兄のレイトのことなのね。 お母さんのお兄さんの息子の。
そのレイトが百年経った今でも生きている?
とすると、もしかして…………
「シルマ、そのレイトって人は私のお母さんの様にクラメイル帝国に囚われて結界に守られているってこと?」
『アマネの言うとおり、レイトは結界に守られてはいるがクラメイル帝国に囚われているわけではない。レイトが殺されそうになった時、結界が発動し妾がその場所から他の場所に保護したのじゃ』
『シルマ、レイトはタクトと共に逃げ仰せたのではなかったのか? なぜハナやクナト、それにタクトまで死んだんだ? なぜそんなことになったんだ?』
『ベガ、分かった。お主がこの世界を離れた後のことを話そう』
苦渋に満ちた表情を滲ませながら、シルマは百年前に起こった出来事を話し始めたのだった。