青柳先輩はマザコン
「青柳先輩がマザコンって噂、あれって本当なんですか?」
理由もなく突然研究室で始まった飲み会で二年の高橋さゆみが突然そう聞いた。
「え、僕? そんな噂あるの?」
三年の青柳裕太が憮然とするなか、同じ学年の面々が俄かに色めき立って会話に参加してきた。
「こいつはね、マジでマザコンだよ!」
「月イチ実家帰ってるし」
「そうそう! 月一で母ちゃんが部屋に遊びに来て掃除して帰るしな!」
「いやそれって別にマザコンじゃなくない?」
青柳はポリポリと頭を掻いた。
「マザコンだろ~」
「確かに先輩方の証言を聞くとマザコンぽいですね」
高橋は「ふむ」と小難しそうな顔をした。高橋はあざとい。それにかなり恋愛には積極的だ。実は容姿が爽やかで真面目な青柳のことを狙っているのだが、アプローチする前に、マザコンという噂の真相を確かめておこうという魂胆だ。高橋はこのゼミで一番容姿が良いから、「あわよくば俺が」という男たちが、青柳の揚げ足を取ろうと、これに便乗して躍起になっているのだった。
「そうかなぁ。そんなつもりはないんだけど」
「でもほら、母ちゃんと二人で出掛けたりもするじゃん」
「えっ何それ聞きたいです」
「え~いやまぁ、買い物とか行くだけだよ」
青柳は困ったように言う。
「えぇ、お母さんと買い物?」
「うん……まぁ付き合わされて」
「いや俺、母ちゃんと二人で買い物とか絶対嫌だわ」
「だよなぁ俺も」
「いや、そんなベタベタはしてないよ。ただたまに買い物一緒にして、ご飯食べて帰ってくるってだけで」
「いやないわ~」
「それにほら、誕生日とか母の日もブランドのアクセサリーとかあげてるじゃん」
「えっお母さんにジュエリー!?」
「え~あれも、母さんが『欲しい』っていうからあげてるだけで……そんな高いものじゃないよ。ネックレスとか、キーホルダーとか」
「母ちゃんにはネックレスあげないって。彼女なら分かるけどさぁ」
「確かにあんまり聞かないですよね」
「それにお前、母ちゃんみたいな人と結婚したいって言ってたじゃん」
「うーん、まぁそうだけど……」
「えぇ、そうなんですか!? それはちょっと嫌かも……」
高橋が露骨に嫌そうな顔をしたから、男どもは色めき立った。一人ライバルが減った。もしかして、これで自分たちにもチャンスが到来するかもしれないと、誰もが少し浮ついた気分に染まり始めた。
「結婚したいって……先輩は、お母さんのどういうところが好きなんですか」
高橋が、もはや汚物を見るかのような目線を青柳に投げかける。青柳は少し考えてから、ゆっくりと喋り始めた。
「うんん、どうしてって……一人暮らしをしてみたら、今まで母さんがしてくれてた家事とか、思った以上に大変なことだったんだなって分かったし。まぁうちの母さん料理とかあんまり上手じゃないんだけど、今まで全部やってくれてたんだなってすごく感謝してるし。それに、息子にベタベタしてる感じの人だと思ったかもしれないけど、全然そうでもなくて。母さん歯科医なんだけど、仕事頑張ってるのも、学費とか全部払ってくれてるものも尊敬してるし、父さんが脱サラしたいって言った時も、『しばらく私が稼ぐから任せな』って感じで、親だけど格好いいなって思ったし。多趣味でいつも出掛けてて楽しそうにしてるのも好きだし、結構さばさばしてるっていうか、俺が落ち込んでたりしても、背中叩いて送り出してくれるような感じなんだよね。そういうところが好きかな。それに」
青柳はコテンと首をかしげて、困ったような顔で笑った。
「単純に疑問だけど、皆はお母さんの事好きじゃないの? 僕は好きだよ。そりゃうるさいなとか、鬱陶しいって思うときもあるけど……でも基本的にはやっぱり大好きだよ。違う?」
青柳の言葉に、一同は静まり返った。
「まぁ……好きではあるよね」
「好きは好きだよね。普通言わないってだけで」
「だよね。俺も本当のところはけっこう好きではあるけど」
男どものテンションは一瞬にしてお通夜同然に鎮火されている。
「えっお前らもマザコンかよ。マザコンは良くないぞ~」
「田中」
「ん?」
「そんな事言ってるけどお前も母ちゃん好きだろ、な?」
「……いやだから俺は」
「田中! どうでもいいから今は意地張らずに『好き』って言っとけ」
友人の小声の忠告の意味が分からないまま、田中は困惑している。
「んぁ? まぁ……俺も好き……かな?」
「青柳先輩」
高橋は、じっと青柳の目を見つめて言った。
「青柳先輩って、めちゃくちゃいい人ですね」
「えっそうかな? 普通の事じゃない?」
白い歯を見せて照れ笑いした青柳に、その場にいた男ども全員が嫉妬した。