あの頃、僕は無敵だった。
あの頃、僕は無敵だった。
母さんがつまみを左手で掴み、背中を丸めながら、トースターの中を凝視している。スルメの少し焦げた匂いがリビングに広がって、夏の夜が始まった気がした。母さんがトースターを覗く日は、僕は枝豆と餃子を食べることになる。
アルミホイルの上に乗せたスルメが、焼けていくのを見守りながら、なぜか誇らしげに
「目を離すと、ダメなのよ」と母さんが麦茶を注ぐ僕に向かって言った。髪を一つに結んで、焼ける頃合いを見守る眼差しは、試合に臨む選手みたいに真剣だ。「目を離したすきに、すぐに丸まって硬くなるのよ」と、また誇らしげに、今度はトースターに向かって言った。
雨上がりの夏の夜は涼しい。照り返してくる日差しが、小さいながらに何より苦手な僕には、過ごしやすい時間だった。母さんは、ベランダにサッカーの監督が座っていそうな深緑の椅子を置き、リビングから漏れる光でミステリー小説を読みながら、夏の始まりにいつもビールを飲んだ。蚊にさされて痒くなるのが嫌で念入りに虫除けスプレーを塗っていると「いつか一緒に飲みたいわ」と網戸の裏から声が聞こえてきたから「あと13年もあるよ」と答えたら、「そんなのすぐよ」とまた返ってきた。これが僕の平凡な日常。
校門をくぐって、上履きを下駄箱に入れた瞬間から、挨拶し合う同じクラスの奴らに目もくれず、まっすぐに図書室に向かうような子供だった。でも、帰れば母さんが居てくれたし、本を読むことも好きだったから。何より、同級生が知らないような知識を持っている自分が大きく思えて、誇らしかったから。平気だった。むしろ、こんな自分が好きだった。
通っていた学校は、L 字型の形をしていて、直線部分の中間には、各階に広場のようなスペースがあった。そこで各々、縄跳びやフラフープをして過ごすのだ。ピアノも置いてあったから、卒業式が近くなると『旅たちの日に』が聞こえてきたりする。朝はみんなが一番元気な時間だったから、笑い声も一際大きかった。
図書館は突き当たりにあったものだから、広場の横を僕はいつも全速力で横切っていた。今でも僕の足が速いのは、毎朝この1本を本気で走っていたからかもしれない。
ダッシュする僕を嘲笑する声が耳をかすめたけど、全然気にならなかった。とにかく速く図書室に辿りつこうとしたのは、一人でいることが恥ずかしかったからではなく、友達がいないというだけで異物として扱ってくる奴らの思考が、ドロドロと頭に流れ込んでくる感覚に耐えられなかったからだ。図書室までの数メートルは、校庭を3周するよりも長く感じた。
朝の図書室は、司書さんすら居ない静かな場所だ。当番の先生が、生徒が来る前に学校中の鍵を開けて回る。電気を付けるのは、毎朝図書室に通う僕の役目だった。
パチンと音を鳴らして、朝なのに薄暗く、日当たりが悪い空間が、パッと明るくなる瞬間は、神様になった気分だった。
かび臭い、体よりも2回りも大きな、お尻がうんと沈む椅子に座って、偉人たちの伝記シリーズを読むのを日課としていた。
偉人たちの偉業に唸ったり、今ではありえないような死に方に怯えたりしながら読むのは楽しかった。マリーアントワネットなんて、ギロチンという首をぶった切る器具で処刑されたらしい。女王様だったのに。
不謹慎だったかもしれないが、現実味を持たない昔の出来事は、見てはならないものを目撃しているようで僕をワクワクさせた。もし僕がフランスに生まれていたら、貴族だったのだろうか。できれば、パンを食べられる身分がいい。ルイ16世のような、ロールパンが左右の耳上に2つずつ付いている髪型は嫌だな。貴族はカツラなのか。夏は暑かっただろうな。それも嫌だな。
頭の中に空想のシャボン玉が浮かんでは弾けて、またスゥっと膨らんで。平成に、日本に、この世界に、生まれなかった別世界の僕のイメージが次々増えていく。
一冊の半分まで読んだあたりで、朝の会を知らせるチャイムがなる。その合図を聞いてから、ゆっくり本を閉じて、かび臭い椅子を名残惜しくさすり、本をもとの位置に丁寧に戻し、窓からジャングルジムを眺めて、背伸びをしてから教室に向かうことにしていた。
こんな毎日を送っているから、僕は夏が来てもこなくても、真っ白な肌をしていた。
「今日は何を読んだの?」と毎日母さんは学校から帰ってきた僕に聞いてくれる。母さんは小説を読む人だったけど、僕のように伝記とか科学の本とか、いわゆる知識を得るための本を読まない人だったから、僕が新しい知識を毎日仕入れて喜んでいるのを不思議そうに見ていた。付け焼き刃の薄い表面の知識を、博士のように身振り手振りで語ると、とても驚いてから、賢いねえと褒めてくれる。
「マリーアントワネット読んだ」
「ああ、ケーキを食べればいいじゃないって言った人ね」
返事をしながら、蒸し器の蓋を閉じる。いつも通りのおやつの匂いだ。
「母さんもパンよりケーキが良いな」
「毎日ケーキは飽きちゃうよ」
夢がないなあ、と笑う母さんは、母さんじゃないみたいだ。僕よりも、ずっと幼く見えた。
「この前はエジソンで、その前はヘレンケラーね。次は誰かしら。楽しみだわ」と目を細めて柔らかい目で僕を見る。学校にこの目を僕に向けてくれる人はいない。
「母さんは今日何してたの?」
僕が何時に家に帰ってきても、母さんはいつも家に居てくれる。「お前、本が友達かよ」と、馬鹿な同級生に言われても母さんの「おかえり」を聞くだけで身体中が緩くなって、掛けられた汚い言葉なんて勝手に削ぎ落ちて、全部受け止められている気持ちになった。僕は無敵だ、と本気で信じていた。
「ぼんやりしてたかな。何をしていたのか忘れちゃったわ」
「前に読んでたミステリー小説は、もう読み終わったの?」
「どうだったかな」と節目がちにつぶやいてから「蒸しパンできたよ」と顔を上げて言った。
母さんは暇さえあれば、ミステリー小説を読んでいた。もしかしたら展開が予想できるようになったのかもしれない。死体が見つかり、謎を解いて、犯人を追い詰める。確かに、毎回骨組みが同じであれば、詳細が違っても、結末の予想がついてしまう。それは、面白くないかもしれないな。僕も最近、伝記シリーズに初めて読んだ時ほどの心の動きを感じなくなっていた。今もページをめくりながら偉人の人生に想いを馳せるのは楽しいけれど、初めての時の興奮と比べると、どうしても物足りなく感じた。最後は必ず、主人公である偉人は死んでしまう。既に死んでいるから偉人なのだが、先が一つだと知っているものを、心から読みたいとは感じなくなっていた。
蒸しパンに口の中の水分を奪われながら、そういうところはミステリーも伝記も似ていると、思い耽っていたら、ズボンの上が食べかすだらけになっていた。母さんに気づかれないように机の下で、こっそり床に払い落とす。
「どうして、蒸しパンにニンジンを入れるの?普通レーズンとかチョコらしいよ」
「体に良いみたいよ。ビタミン何とかって。まだ小学生なんだから、体を大きくするために、おやつでも栄養を取らなきゃね」
「えーそれだったら、蒸しパンよりケーキが良いよ」
ニンジンが入っている蒸しパンはあんまり甘くなくて、ふんわりした丸い味に野菜の苦味が微かに混じる、美味しいというよりも体に良い味がしていた。
「そんなこと言わないで」と困った笑顔を浮かべて、かちゃかちゃ大きな音を立てながら蒸し器を洗い始めた。音を立てて洗うのは母さんが怒る前の合図だったから、焦って「ニンジンが入ってても、別に良いけどさ」と付け加えたけど、蛇口から勢いよく出る水と食器に当たって弾ける音で、母さんには届いてないみたいだった。
こんなことも思い出した。
田んぼ道を本を読みながら下校していたら、ランドセルに大きな塊が当たったのを感じた。体が小さかった僕には大きな衝撃で、首が前後に揺れた。驚いて振り向く前に「おい、チビ」と後ろから野太い声がする。
見ると、いじめっ子と評判の5年生、確か名前は大門、が得意げな顔で立っていた。左手に土の塊を持っている。田植え前の耕された田んぼから、肥料が混ざった土を丸めて持っていたのだ。この時期の田んぼの土は、小学生には激臭と言って良い程だった。背負っていたランドセルの土の汚れとその糞の臭いから、塊を利き手で投げつけてきたことは、一目瞭然だ。
恰幅の良い坊主頭のそいつの背後には、子分のようにぴったりと張り付いた2人が、どこか不安げに、でもそんな不安を認めたくないように、大きな態度で腰に手を当てて立っている。
言葉を探しても、他に表現が見当たらないため、ストレートな物言いになるが、この3人はシンプルにクソガキだった。
「おいガリ勉、だっせーな」
「友達いねえだろ」
「ってかくっさー」
お前らの手も臭いだろうよ。薄っぺらい友情を見せてくれるな。と言い返してやろうと思ったが、時間の無駄だと思い、ランドセルの土を払い落として、そのまま歩き出した。当時の僕は、何事もなかったように、振舞うことが一番ことを荒げないと信じていた。
泣き出すと予想していたいじめっ子たちは、無表情のまま、何も言わずに歩き始めた僕に拍子抜けした。小さくて色も白いから、すぐに泣いてメソメソすると思っていたのだろう。そして、いじめた相手からおそらく初めて無視されたことへの戸惑いから、より怒り始めた。
「無視すんじゃねえ」
今度は左手に持っていた土を、右手に持ち替えて投げてきた。コントロールが良いのかもしれない。いじめっ子の肥料玉、というか糞玉は、ランドセルにまたヒットした。小学生五年生で大した腕である。
「そろそろ泣くんじゃねー?」と背後から子分たちの声がする。
大人しいはずの僕にも限界が近かった。僕が何をしたっていうんだ。せめて普通の土にしてくれ。お前らの手も臭いだろ。そんなこともわからない馬鹿なのか。
様々な言葉が胸をグルグルまわり、どうにかこいつらを落ち込ませる言葉はないのか。頭の中を探し回った。
「ショックで動けないのかよ。だっせー」
うるさいうるさいうるさい。ほっといてくれ。僕がいないところでやっててくれ。お前らの世界に僕を登場させないでくれ。お前らとなんて友達にならなくて良い。知り合いもごめんだ。
爆発しそうな感情が渦巻いて、喉元から校庭を体育で走らされた後のような血の味がしてきた。何かこいつらを黙らせる一言はないのか。
そんな幼い僕が、必死こいて、引っ張り出してきた精一杯の言葉が
「うるせーこの低脳どもが!」
だった。
この言葉は今でもはっきり覚えている。低脳なんて言葉どこで覚えてきたのだろうか。おそらく図書室だろうが。僕が、父の血を色濃く引いていることがわかってしまう瞬間だった。
いじめっ子たちは3人とも「低脳」という触れてこなかった言葉と、大人しそうな僕から発せられた大きな音に理解が追いつかず、石のように固まってしまった。
ランドセルに土が残っていないか念入りに確認してから、玄関のドアを強く引いて、靴も揃えず、リビングに走った。
リビングに踏み入れた瞬間、スピードを殺して、何もなかった雰囲気を装う。その日は、おやつの匂いがしなかった。今思うと、おやつの蒸しパンが出てこなくなってしばらく経っていた。幼い僕は、そのことに気づけていなかった。
「おかえり」とソファで横になっている母さんが声をかけてくれた。寝ていたみたいだ。
抱きついて泣きながら「糞玉を投げられたんだ」といえばよかったのに、僕の何かがそうさせなかった。ソファまで駆け寄って、すました顔で「ただいま」と言うことに努めた。それでも「おかえり」を聞いたから、大丈夫になった気がした。
「今日は何を読んだの?」
「ヘレン・ケラー」
「ああ、目も見えなくて耳も聞こえないのに、とても賢い人よね」
いつも通りの返事を聞いて、やっぱり僕は無敵だと思った。
異変は徐々に近づいてきた。
「母さんのこと、今日からえみちゃんって呼びなさい」
珍しく、母さんが命令形で僕に言った。
珍しいどころか、母さんと十一年一緒に居て、初めてのことだったかもしれない。それほど子供に指図しないような人だった。今日は母さんが、僕が帰ってくる時間に起きている日だった。それも、珍しかった。
しかも、食卓に両手を突いて、顔を突き出して言った。母さんの眼に光が入っていなくて怖かった。
夏休みが終わる、一週間前の日の事だった。セミはまだ鳴いていた。
僕は、好物のチーズ入りハンバーグを口いっぱいに詰め込んで、添えてあるブロッコリーをフォークで刺してから「別に良いけど」と言った気がする。
今思うと、チーズ入りハンバーグは、母さんの一大決心を息子に伝えるための願掛けだったのかもしれない。
「よろしい」と母さんは笑顔で言うと、食卓に突いていた手を腰の後ろに回し、エプロンの蝶々結びの紐を引っ張った。腰に巻くタイプだったから、床にハラリと落ちてしまった。落ちた瞬間、エプロンはただの物体になってしまった気がした。
母さんは、床に落ちたそれを、乱暴に掴み取り、マンションであることを忘れているのかと思うほどの足音を立て、キッチンに向かったかと思うと、それをゴミ箱に力一杯投げ込んだ。卵の殻や玉ねぎの皮も入っているゴミ箱に。
「これで良いんだわ、きっと」
パコッと間抜けな音を立てて、蓋が閉じた。投げ込んだエプロンは、僕が家庭科の授業で作ったプレゼントだった。
「どうしたの?」と僕が聞く間もなく寝室に向かっていく母の背中を、間抜けな顔で見ていたと思う。口の中のものを噛むのに必死だったから、起きた出来事に追いてかれて、母さんがいなくなった空間に取り残されてしまった。テレビからの声を言語として聞き取れない。とりあえず、ブロッコリーを一つ口に入れてみた。
母さんは、多分「えみちゃんと呼びなさい」と僕に言った。「えみ」と言うのは母の名前である。「葉山えみ」が母のフルネームだった。母さんの声を巻き戻して、もう一度振り返る。えみだから「えみちゃん」・・。ちゃん?
とりあえずブロッコリーをもう一つ口に詰め込んだ。もう口の中に空間はなく、緑が口からはみ出していた。ブロッコリーの茎ってあんまり上手くないな。どうして茎まで食べる必要があるんだろう。
「えみちゃん?」
何度口に出しても、口の動きに違和感があった。えみちゃんを発音しながら、母の顔を思い浮かべても噛み合わない。頭が音を拒否して、目の奥がクラクラする。何度もえみちゃん、えみちゃん、と呟いていたら、皿まわりにブロッコリーだろう、緑の粒がいっぱい落ちていた。
「やべえ、怒られる」
落ちた粒を一箇所にまとめてティッシュで包んだ。捨てようとゴミ箱を蓋をあげると、僕が作ったゴミが入っていた。
さっき、田んぼに落とされた時に土の中に埋まってしまった白いスニーカー。もう白ってわからないねと、無意味に靴に向かって呟いた。家に土を持ち込んでしまわないように、肩からランドセルを降ろして確認する。
「ただいま」
えみちゃんはいつも通り、ソファで横になっていた。幾何学模様のクッションを抱き抱えて、真っ直ぐ天井に顔を向けている。
皮のソファの中で眠るえみちゃんは、家ではない、遠いどこかで寝ているように見えた。深く深く沈んでいって、戻ってこれない沼の底へ。手を伸ばしても届かない暗いところへ。ソファの座面が徐々にえみちゃんの重さで沈んでいって、穴のような光が届かない暗い場所に行ってしまうのではないかと、僕の足元も崩れ落ちていきそうだった。
そっと、えみちゃんの口元に手をかざして、息が吹きかかるのを確認した。一定のリズムで微かな風が手のひらに吹きかかる。えみちゃんと呼ぶようになってから、僕は毎日確認するようになった。何だか、とても怖かったのだ。
皮のソファは、えみちゃんが数年前に「使われた形跡が積み重なるのが良いのよ」と言って購入したものだ。その頃ソファは、えみちゃんにとって座るための場所だった。
ハリがあって艶々していたソファは、えみちゃんが言った通り、使った形跡が積み重なって、皮がパリパリひび割れて、乾燥したような触り心地になり、くたびれた見た目になっている。
「帰ってたのね」
「ただいま、調子はどう?」
「雨だから、何もする気が起きないわ」
「そっか、無理しないでね」
冷蔵庫の上段から爪先立ちで、今日の夕飯までの繋ぎを選ぶ。チョコクロワッサンを引っ張ったら、メロンパンが落ちてきて頭に当たった。
でもチョコクロワッサンを食べることにした。
綺麗に整えられた包装がビリビリに破けてしまう事が怖かったから、毎回丁寧にあけ口を左右に引っ張って、できるだけ袋に書いてある「チョコレート」の文字が半分に分かれないように開けようとした。
勉強机に向かって、スーパーの甘くて、わかりやすい味の菓子パンを一口かじった。はっきりと甘さを主張する味もすごく好きだったけど、なぜか食べると喉元が熱く、血の味がしてくる事が多かった。それでも僕は毎日菓子パンを食べた。詰め込んで詰め込んで、不穏な感覚が入る空白ができなければ良いと思っていた。
上級生に田んぼに落とされることも、登校すれば真っ先に図書室に行くことも、友達がゼロから増えないことも、外での自分は何も変わらないのに、えみちゃんが、家の中が、僕の内側が、日常の形を保たなくなり、みるみる変わっていった。
僕が僕であること許してくれる支柱となっていた物たちがどんどん腐っていく気がした。僕の絵を成していたパズルのピースが、徐々に絵から剥がれ落ちていくようだった。
僕は、一人では僕の形を保ち続けられないいことを知った。柱を失った僕は、脆く弱く、崩壊しないことを祈るだけの枠になった。外でも家でもずっと不安が後ろを付き纏うようになった。
図書室に走る僕を、惨めだという声が聞こえる。今まで聞こえてこなかった声が聞こえ始めた。
僕が本当に変なやつだったなら、気にならなかっただろう。周りの人と感覚がずれていたのなら、どんなに良かっただろう。
でも僕は変な奴ではなかった。残念なことに、至って普通の人間だった。つまらないことに、かなり常識的な人間だった。突拍子もないようなことを言って大人を困らせたり、学校で暴れたり、そんなことは絶対にしない。周りにレーダーを張り巡らせ、何か触れようものなら全力で怯えた。
ただ、少し大人しく、友達がいないだけの子供だった。(隣のクラスにはカエルを食べるやつや、昼休みの間に学校を脱走するやつだっていた!)
小学五年生にもなって、友達の家に遊びに行ったことがないのは変だと同じクラスの女子が言っていた。外で遊ぶことを好まず、休み時間にずっと図書室にいるのは心配だと、担任が言っていた。個人の自由だと反論したら、可愛げがないとため息をつかれた。(太陽を浴びることは成長過程でとても大切らしい)夏でも冬でも真っ白な僕の肌を見て、暗くてキモいと誰かが言っていた。無口、根暗、キモい、ダサい、可愛げがない。
担任も同じクラスの女子も男子も、周りにいる全員が、僕に様々なラベルを貼り、それを周りと共有している気がしてならなかった。そして、僕はそのラベルを否定できなかった。これまでも、何度も言われたことのある言葉だった。以前の僕であれば、その言葉を無傷で跳ね返すことができた。他人と重ならない自分を誇りに思い、言葉を投げかけてくる奴らを見下していた。無意味な、意味を持たないはずだった言葉が、己の内側の核をまっすぐに射抜く力を持つようになっていた。
向き合わなければいけない変化が起き続けていることを幼い僕は、ぼんやりと、言葉にできないながらも理解していた。理解していたけれど、変化が起きている事を認知する以上のことができなかった。変化を受け止めるかどうかの次元に僕はいなかった。
ただただ、口に入れるものが変わってしまったことを感じながら、蒸しパンの味と比べないようにするのに必死だった。もう、読んだ本の話を聞いてくれる人はどこにもいなかった。
少しずつ、少しずつ、壊れていく日常が、もしかすれば日常ではなく、取り戻すことのできない特別な日々だったのではないかと、日常が完全な終わりを迎えた時に僕はやっと気がついたのだ。