第3話
驚いた。
まさか、あの公園以外で彼女に出会うなんて。
別に彼女を付けていたわけではない。まあ、彼女の姿を見るために公園に通うのもすでに犯罪っぽい気はするけど、でも後をつけるとかそういうことはしていないし、誓ってあの公園以外で彼女に会おうとしたことはない。
だからそれは本当にただの偶然。
日課である散歩をしていたら道の先にあの子がいるのが見えた。今まで何回か目があったときもそうだけど、あの子はビクッて震えて固まったように動かなくなってしまった。
どうするのが正解かなんてわからなかったけど、いきなり道を引き返したりするのもどうかと迷っているうちに彼女の前まで来てしまった。
何もする気はないけれど、だからといってこのまま立ち去るのはどうなんだろうなんて思って会釈をしてみた。
すれ違う瞬間、フワッと石鹸のようないい匂いがして、すごいドキドキした。
それがなんだか気恥ずかしくて、思わず速歩きになってしまった。
その日は大分はかどった。何がはかどったかと言えばもちろん仕事である。他に何がはかどるというのだろうか。
初めて恋を知ってからというものの僕の描く漫画の評判は少しずつ上がってきている。
デビューしてから十年以上経つのに一度もヒット作がない僕だが、連載を落とさず必ず締切に間に合うようにしてきたおかげで編集部での評判はいい方だ。
読者からの人気だって別に悪いわけではない。……人気があるかと言われたら、それも微妙だけど。
そんな僕の漫画だけど、最近はちょっとずつ人気が上がっているのだ。
編集さんからも『もしかして恋でもしました?』なんて冗談みたいに聞いてきたけど、あれは完全に察している。
さすがに相手が小学生だってことまでは気付いていないだろう。もし気づいていたらエスパーだ。
今の担当さんは話しやすいのはいいんだけど、色々と疲れる人なんだよな。
まあ、仕事のことはいい。
問題はあの子のことだ。
初めてすれ違う距離まで近づいてしまった。
真近で見る彼女はとても可愛くて、今思い出してもドキドキしてしまう。それだけに、あんなふうに怯えさせてしまったのが申し訳ない。
やはり、僕みたいなおじさんが好きになっていい相手じゃない。
もう、あの公園に近づくのはやめよう。
あのときすれ違った道も歩かないほうがいいな。おそらくあの子の通学路なんだろう。
あの日以来、一度もあの笑顔が見られていない。やはり僕の存在があの子の笑顔を曇らせているんだろう。これ以上あの娘に怖い思いをさせたくない。
……いや、うん。すごい今更だとは思うけどね。
せめて最後に見る顔は、僕が恋をしたあの笑顔がよかったな……。
それからは以前と変わらない日々が続いていった。
まだ少し切ない気持ちが残っているけれど、いつか時間が癒やしてくれる。この気持ちも思い出として昇華される日が来る。
それまでこの気持ちを大切にしていこう。
とは言っても日課の散歩をやめるつもりはない。
あの公園や通学路に近づかないだけで散歩は続けている。これは僕の健康やネタ探しといった重要なものだからやめることはできない。
第一散歩をやめたって買い物だなんだと出かける機会はあるんだ。まさか引きこもり生活をするわけにもいかないし、これはどうしようもない。
まあ、僕から近づかなければ出会うようなこともないさ。
そう、思っていたんだけど……。
「……」
「あの、どいてもらっていいかな……?」
「……」
「そこに立っていられると通れないんだけど」
「……」
「なんで横を通ろうとすると道を塞いでくるの……?」
「……」
一体全体僕が何をしたっていうんだ。
あの子からしてみれば僕はただの不審者。そこまでの知識があるかはわからないけど、ロリコンの変態野郎のはずだ。
自分で言ってて傷つくけど……。
それなのにどうして僕の前にいるんだろう……?
出会ったのは偶然かもしれないけど、だとしたら今こうして睨まれているのはなぜ?
全く身に覚えがない。
「……なの?」
「え、なに? ごめん、よく聞こえなかった」
「おじさんは何なの? 変質者かと思ってたけど、わたしが一人でいるときも何もしてこなかった。それどころか、あれ以来一度も見かけない。もう本当意味分かんない。ずっとおじさんのことばっかり考えちゃって嫌になる。わたしはアイツのせいでひどい目にあってておじさんみたいな変質者に関わってらんないのに。もうどうしたらいいかわかんないんだよ……。それなのに、ずっとずっとおじさんのこと考えてたせいで頭ん中ぐちゃぐちゃになって、そしたらあの声を思い出して……もう本当わけわかんない」
「え、いや、あの、ご、ごめん。よくわからないけど嫌な思いをさせちゃったことは謝るよ。もう君には近付かない。これでいいかな?」
「全っ然、よくない! おじさんってアレでしょ。不審者なんでしょ。わたしにエッチなことしようって考えて声かけてきたんでしょ?! なのになんで何もしないの?!」
「ちょ、待って、声大きいから。もっと静かに、ね? あと、女の子がそういうことを口にするものじゃないよ」
あまりにも激しい剣幕に後ずさりしてしまう。
というか、この子の口からエッチなんて言葉が出るなんて。
顔が熱い。
変なことを考えてしまいそうなのでギュッと目を閉じる。
「だから! なんで! そうなの?! ……もう意味分かんないよ。おじさんは何がしたいの? なんでわたしに声をかけたの……?」
声をかけた……?
あ! あのときか。
「……あれは、君が泣いていたから」
「泣いてたら何? 襲いやすいとでも思ったの?」
「違うよ。ただ心配だっただけで……」
「っ! なんで心配なんてするの? おじさんに心配される理由なんてないんだけど」
「それは……君が好きだから」
……待て。今、なんて言った。
『君が好きだから』?
ああぁあぁぁぁっ、僕一体何を言ってるんだーーーーっ?!
ほら彼女もポカンとしてる。こんな事いきなり言われてもびっくりするだけだろう?!
いや、それ以前にこんな不審者に声をかけられても気持ち悪いだけだ。
その証拠に顔を真っ赤にしてプルプルと怒りに震えている。
「ごめん! 今のはつい口をついて出てしまっただけなんだ。こんな事言うつもりはなかったんだけど思わず。だから今のは聞かなかったことにして欲しい。それじゃあ!」
言うだけ言って、一目散にその場を走り去った。
男としてどうかと思うけど、それ以外に選択肢があるか?