日本学術会議のことを書いてみる
色々なご意見があるとは思いますが、経緯を含めて、『さぁみんなで考えよう』という問題提起になると幸いです(ご感想を受けて、ちょこちょこと追記しています)
「小説家になろう」で政治的なことを書くにはどうかなと思いつつ、わりと大きな話ではあるので、ちょっと書いてみたいと思います。
日本学術会議から推薦された会員の候補者の一部の任命が拒否されました。
日本学術会議は日本学術会議法に基づく法的な機関であり、そのメンバー(会員)の就任には下記の通り、法で定められています。
第七条 日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、こ
れを組織する。
2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
第十七条 日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者の
うちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦する
ものとする。
この7条2項による任命が、一般的に私達が意識する任命なのか、「形式的な任命」なのかという点が今回の争点となります。
これは推薦制に変わる法案を審議していた参議院文教委員会の昭和58年5月12日の議事録を見ると、政府の見解としては「形式的な任命」だったことが解ります(会議には当時の総理である中曽根さんも出席しています)
ここでは内閣総理大臣官房総務審議官の回答が明瞭です。
『実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右するということは考えておりません。確かに誤解を受けるのは、推薦制という言葉とそれから総理大臣の任命という言葉は結びついているものですから、中身をなかなか御理解できない方は、何か多数推薦されたうちから総理大臣がいい人を選ぶのじゃないか、そういう印象を与えているのじゃないかという感じが最近私もしてまいったのですが、仕組みをよく見ていただけばわかりますように、研連から出していただくのはちょうど二百十名ぴったりを出していただくということにしているわけでございます。それでそれを私の方に上げてまいりましたら、それを形式的に任命行為を行う。この点は、従来の場合には選挙によっていたために任命というのが必要がなかったのですが、こういう形の場合には形式的にはやむを得ません。そういうことで任命制を置いておりますが、これが実質的なものだというふうには私ども理解しておりません。』
続いて内閣総理大臣官房参事官の発言です。
『ただいま御審議いただいております法案の第七条第二項の規定に基づきまして内閣総理大臣が形式的な任命行為を行うということになるわけでございますが、この条文を読み上げますと、「会員は、第二十二条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣がこれを任命する。」こういう表現になっておりまして、ただいま総務審議官の方からお答え申し上げておりますように、二百十人の会員が研連から推薦されてまいりまして、それをそのとおり内閣総理大臣が形式的な発令行為を行うというふうにこの条文を私どもは解釈をしておるところでございます。この点につきましては、内閣法制局におきます法律案の審査のときにおきまして十分その点は詰めたところでございます。』
上記の通り、推薦制に変わる立法段階においては総理による任命は形式的であるという行政府の見解であり、その前提で昭和58年の法改正がなされているわけです。
令和2年10月2日の加藤官房長官の記者会見では、これが以下の通りとなります。
『推薦のやり方等が変更されてきている。そうした流れということは、まさに専門領域の業績のみにとらわれない、広い視野に立って、総合的・俯瞰的観点からの活動を進めていただくため、そうした改正がなされてきた。そうしたことを踏まえて、これまでもそうしたスタンスに立って任命してきた。今回、結果において推薦に比べて任命された人数が少なくなってきているということだ。』
『累次の改正の中で、総合的・俯瞰的観点から活動を進めていく、そうした会議体であるということに関して、政府として任命する立場として責任があるから、その責任を全うしていくということに尽きる。』
すなわち、『選挙制から推薦制に変える際、学問の独立性を担保すべく首相の任命は形式的なものだったんだけど、推薦方法が少し変わったから、推薦された人の中から首相が選んで任命する方式に変えておいたね』に、国会審議も閣議決定もなく変わったのです。
当然、法治国家ですので、法に基づいて運用が変わっていくことは問題ありません。
ですが、今回は立法前提であった「形式的な任命」が何ら審議されることなく、変更ができてしまう。時の権力者によって法の解釈を恣意的に行っても問題が無いという方向へ国が舵を切ろうとしていることが問題なのです。
もっと簡単に言うと、最初に決めたルールを変えるなら、ちゃんと関係者と協議の上、アナウンスしろよという話です。
これを許してしまうと、あらゆる法改正が止まります。
なにせ法改正の趣旨説明が、何十年かたつと勝手に変えられてしまうのですから。
そうなると、法の記載を書いていないことは出来ないようにするためにガチガチにする必要があります。これは弾力的な統治が不可能になり、誰も幸せになりません。
解釈変更はいいのです。
大きな変更であれば選挙により国民に問う事も可能です。
国会審議でもいいです。
あまり良くありませんが、最悪、閣議決定でも構いません。
ですが、勝手に解釈変更をすることを良しとすると、行政の権限がいたずらに大きくなります。
日本は自衛隊の存立を9条の解釈により成り立たせています。
解釈の余地をなくせば、自衛権も含めた日本は国際紛争を解決するための武力を放棄するしかなくなります(自衛権は当然あるとする解釈で自衛隊は存立しているのです。なお私は軍事力の保持および行使が憲法上規定されていないことは異常だと思っていますので、改憲すべきという考え方です)
解釈の変更を容易にすれば、極端な話、遠い将来、いわゆる反日と呼ばれる政権が誕生したら、即日、自衛隊は解散となります。
これでは統治の継続性は保てません。
一事が万事じゃないですが、今回、立法趣旨として確立していた概念が、いつの間にか解釈が変更されているという事態を許してしまうのは、国民にとって一つもメリットがありません。
正直、誰が任命拒否されたかなんて、その理由を含め、些末な問題なのです。
あまりこの問題の大きさ、怖さが理解できていない方に、少しでも届くといいのですが……
※※※
ご感想で任命を拒否できないことが、そもそもの問題点じゃないかという話をいただきましたが、推薦制度になったこと自体が当時、論議を呼んでいたようです(中1でしたが全く記憶にありません)。
ただ、ここでは委員会での答弁が行政側の裁量で一方的に変わってしまうことを問題視しており、日本学術会議が抱える問題とか、推薦制度の問題点については別軸の話として取り扱っておりません。
そして、学会じゃなくて会議だよと考えながら学会と書いていたバグ(恥)
ご指摘ありがとうございますm(_ _)m
※※※
さらにご感想ありがとうございます。
ご感想をもとに追記させていただきました。
平成16年の改正において選考方法に大きな変更がありました。
この結果、解釈のベースとなった条文が変わっており、解釈自体が変わるのではないかというお話をいただいております。
一応、法学部出身でありますが、30年以上までですし、不真面目な学生なので、条文変更後であっても解釈は変わらないとは言い切れないのですが、内容を追ってみても解釈が変わるとするのは、合理的ではないだろうと思っています。
任命に関わる条項は前述の通り第17条2項となります。
こちらは平成16年に以下の通りの改正がありました。
改正前:
会員は、第二十二条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣がこれを任命する。
改正後:
会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
また当時に選考方法についての改正がありました。
確かに推薦される会員の選考方法が変わっていますが、内閣総理大臣が任命することに変更はありませんでした。また当時の法律改正案要綱においても、解釈変更については触れられておりません。
よって、この段階で任命に関する解釈の変更がある場合は改正案要綱で触れられて当然であるべきであり、これがなされていないということは、初めからだまし討ち的な解釈変更をしようとしていたのか、法改正後の何らかの調整で内閣法制局と内閣の間でのやりとりがあったのかとしか思えないのです。
一方、よりクローズドな方法で選考方法が変わったのだから首相が任命する際の牽制として、任命を拒否する必要があるというのは理解が可能です。
ですが、第7条2項を独立して解釈した場合、「これを」が取れるだけで「任命」に関する解釈変更は政府内の裁量で可能というものなのか、行政法の詳しい方にきいてみたいところですね。
統治の継続性という観点から、解釈の変更はオープンであるべきですし、その内容の程度によっては「行政の裁量」「閣議決定」「国会での承認」「選挙で世論に問う」というハードルがあるべきではないかと私は思っております。
今回も平成16年の改正前に解釈を変更することが改正案要綱上に明確になっていれば、なんの問題もなかった話だとは思います(その段階で国会を通るわけですし、牽制機能として間違ってはいないので)法改正を受ける側の日本学術会議が、その認識がなかったということに違和感を強く感じます。
本件、決着をつけるためにも、なぜ、16年の法改正時に解釈の変更が必要になったのかを明確にした上で、新解釈について閣議決定をしてほしいものです。そして今後、このようなことがないように法改正などに伴い、条文の解釈変更が発生する場合は、改正案要綱上に明記の上、了承を取るようにするべきではないでしょうか。
※※※
さらにさらにご感想ありがとうございます。
エッセイのジャンルで一時的に日間2位になっていました……いや、この作品でランク入りは違うのですが……くそ、宣伝したい。
さて。ご感想を読んでふと思ったことをもう少し追記します。
日本は議員内閣制のため、「国会」と「内閣」を与党という形で、どうしても同一視してしまいがちです。このため三権分立における立法と行政が対立や牽制的な機能を持ちにくいというのが実情です。
今回の件は主権者たる国民、実際の運用上は国民の代表である国会(国の運用を決める立法府)から、内閣(行政府)はどこまで法解釈の裁量を持たされているかという話なのです。
当然、今回は行政の裁量の範囲じゃないかというご意見もあると思います。
私のように、昭和58年の答弁がある以上、平成16年の法改正の段階で国会において説明する必要があったと考える人もいると思います。
なぜ、「形式的な推薦」とする必要があるかは、「学問の自由」につながりますが、その推薦方法が日本学術会議内における独善的な推薦となるのであれば、「形式的」ではなくなるという新しい法解釈の説明を改正案の審議時にしなかったのか、一方で国会においても、独善的な推薦を問題視して日本学術会議内における自浄的な動きに期待せず、「任命を形式的なものとするな!」くらいの議論をしなかったのか。
これは内閣、国会双方の怠慢ですね。
ということで、どうだったのだろうと思って調べました。
平成16年3月19日および平成16年3月23日に衆議院の文部科学委員会で審議されており、3月19日の茂木総務大臣(当時)の答弁で「所轄がかわることによりましてこの日本学術会議に与えられた独立性に影響が出る、こういうことではないと理解しております」という答弁があったくらいですね。
また平成16年4月6日の参議院文部科学委員会においても茂木総務大臣は「独立性につきましては、先ほども申し上げましたように、法律的にも担保されているわけであります。そしてまた、中立性、公平性の問題、これは正に、政府としても、政府の中ではなくて独立した機関から求める政策提言としては中立なものがいい、公平なものがいい、こういう政府としてもニーズを持っている、そういう自覚を持って、日本学術会議の方からもいい提言をしていただきたい、こんなふうに考えております」という答弁をしています。
これをもって証拠だ! みたいな話にはならないとは思いますが、少なくとも政府側を含め、法案審議段階では任命に関する解釈変更は想定していないようにも見えます。なお、証拠とはならないというのは、どちらも任命の話ではなく、独立性に関する話の中での回答ですので、印象としての話でしかないのですが……
いずれにせよ改正時の議事録に残っている内容を見る限り、当時は誰も今回のような状況を想定しているようには見えませんでした。
そうなると話は戻って、結局はこれって内閣の裁量の範囲なの? そうじゃないの? という議論になる……まずは誰だから否認したとか、学問の自由がどうという話ではなく、そこからじゃないか……と思っているのです。
本文内における議事録はhttps://kokkai.ndl.go.jp/simple/detail?minId=109815077X00819830512 で全文参照可能です。
追記した平成16年の改正案要綱の資料は https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/siryo/__icsFiles/afieldfile/2013/08/16/1265937_002.pdf になります。
平成16年3月19日 衆議院 文部科学委員会の議事録
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=115905124X00720040323¤t=21
平成16年4月6日 参議院 文部科学委員会の議事録
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=115915104X00820040406¤t=1