第四話 そうして彼女はいなくなった
満天の星たちが静寂に浸っている中、地上では騒々しく鐘の音が響いていた。
スフラン王城から発令された警鐘は緊急事態を知らせるものだ。
城下に広がる煉瓦造りの街には、軽装な鎧を身につけた兵士たちが石畳の上をあちらこちらと駆け回っていた。
「おい! そっちに行ったぞ!」
「見失うな! 絶対に捕らえるんだ!」
兵士たちが首を上げて追う先には、屋根から屋根へと音もなく軽やかに飛び移っていく一つの小さな影があった。
騒ぎを聞きつけて町の通りに溢れ返る住民たちが障害となり、兵士たちは思うように歩を進めることができない。
ようやく人混みを抜けた兵士たちの遥か先に、走っていた荷馬車へ屋根から飛び乗る逃亡者の姿があった。
荷馬車はそのまま王都から街道に出て、真っ暗闇の中へと消えて行った。
同時刻。スフラン王城の最上階にある煌びやかな装飾が施された一室で、マルクは頭を垂れていた。
「――以上が、検体識別名アイリスが覚醒して逃走するまでに至った経緯です」
世界の在り方を大きく塗り替えた厄災の元凶とされる少女、検体識別名アイリス。
五十年の眠りから目覚めた彼女は研究室から逃亡を図り、マルクはそれを阻止することに失敗していた。
「今回の件に関して、すべては私に責任があります。どんな処罰も受ける所存です」
形式的な謝罪を済ませたマルクは事の顛末を聞いていた人物からの反応を待つ。
「……面を上げよマルク」
おおらかで野太い声のままに前を向くと、如何にもな装飾の施された玉座に踏ん反り返っている男がいた。
見た者に凄みを感じさせる険しい顔つきをして如何にもな王冠を被り、白く太い眉毛と立派な口髭を蓄え、贅沢そうな毛皮のマントを羽織っている。
この如何にも王様な風貌をしている彼こそ、栄えあるフランシス王国第十四代目の王、フランシス・フランクその人である。
「……ところで……昼飯はまだかのう?」
訂正しよう。
彼は如何にもお爺ちゃんである。
肩を落としてげんなりとするマルクに、お爺ちゃんの側に立っていた女が高飛車に嫌味ったらしく言い放つ。
「陛下はつい先程までご就寝なされていたのです。それがマルク博士、貴方の所為で叩き起こされてしまい寝ぼけていらっしゃるようなので、代わりにこの私から処罰を言い渡して差し上げますわ。有り難くよおく聴きなさい」
この蛙を睨む蛇のように鋭い目つきをしている女の名はサンドラ。彼女の長い金髪を後頭部で一纏めにして広い額を輝かせる様は、このフランシス王国で見事な政治手腕を振るい宰相の地位まで昇り詰めた躍進を物語っているように思わせる。
宰相ではあるが、フランク王がお爺ちゃん状態なので今現在この王国の実権を握っているのは彼女ということになるのだろう。
色々と黒い噂が尽きない彼女にはできるだけ関わらないことが得策だ。
「マルク博士、貴方への処罰は……残念ながらありません」
「……処罰が、ない?」
そんな訳がない。処罰がないなんてことはありえない。
僕が逃亡を阻止できなかった少女はこの世界を破滅寸前まで追い詰めた事件の犯人かも知れないんだ。
眠っていながらそれほどの影響を及ぼした力を持つ少女が目覚めた今、その影響力は未知数だ。今度こそ本当に世界を破滅させる可能性は非常に高い。
そんな少女を逃した僕は、誰がどう判断すれば処罰はないだなんてことが言えるんだ。
「……何を、企んでいるんですか?」
必ず何か裏の思惑があるに違いない。
マルクはサンドラを睨み返しながら率直に疑問を投げつける。
受け取ったサンドラは小馬鹿にしたように鼻を鳴らして返す。
「何も企んでなどいませんよ。私は」
「……私は?」
マルクのおうむ返しに、サンドラはくいっと親指である人物を差しながら続ける。
「そこに立っている騎士団長が、貴方が起こした失態のすべての責任を被り、件の検体を必ず捕らえると約束したからです」
今まで意図的に視界へ入らないようにしていた男の名を聞いたマルクは、ついに彼と相見えてしまう。
その一瞬しか向けなかったはずの視線を感じ取った騎士団長と呼ばれる男は、ニッと白い歯を覗かせて軽快に調子良く喋りだした。
「おっ、ようやくこっちを見てくれたな。お前さんを笑わせようとずっと変顔してたのに、こっちをちっとも見てくれないもんだから嫌われちまったのかと思ったぜ?」
燃え上がる炎のように赤い髪と瞳の男の名はアラン。フランシス王国騎士団の団長を務めており、剣を扱わせれば王国一の実力と実績を持っている男だ。
また、笑ってはいけない状況にいる誰かを笑わせずにはいられないという迷惑極まりない愉快な性格の持ち主でもある。
今こうしている間にも、首元まで伸びる髪を器用に鼻の中に入れて口を尖らせ胡散臭い泥棒みたいな顔をしていた。
……ふざけた奴ではあるが、一国の騎士団長を任されるだけの実力と実績のある男だ。
昔から掴み所のない奴だとは思っていたが、今日ほどそう思ったことはなかった。
「……アラン、お前はいったい何を考えているんだ? 責任を被ると簡単に言うが、その意味がちゃんと理解できているのか?」
「ん? そりゃあ理解してるさ。お前さんと俺は友人だろ? だから困ってるときお前さんを助けるのは当然なことだ」
「違う! 僕はそういうことを言っているんじゃあない!! 僕が言いたいのは――」
珍しくマルクが感情を露わにしているとパンッとサンドラが手を叩いて場を支配した。
「マルク博士。それ以上はここではない場所でお願いします……陛下がもう駄目みたいなので」
フランク王は眠気の限界がやってきたのか頭をかくん、かくんと振っていた。
お爺ちゃんは早寝早起きなのである。
そうして二人は玉座の間を後にして、マルクはアランに思うまま問うた。
「……王様、必要だったか?」
「そりゃあお前さん……いらなかったろ」
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