第三話 そうして理解する
大陸にある五大国の一つ。
フランシス王国の王都スフランが月明かりに照らされる頃、スフラン王城の地下にある研究室で一人の男が佇んでいた。
「五十年前の厄災……」
薄暗い研究室の一角で独り言を漏らす白衣の男は、眼鏡のレンズを拭きながら続ける。
「そして、空から降ってきた少女……」
黒縁の眼鏡を掛け、鮮明になった視界に映る少女を見据えた。
「この資料通りなら、君は世界を破滅させにきたとしか思えないが……」
机の上に散らばる資料を手に取り、記されている内容を精読する。
五十年前の厄災が起きる直前に空から降ってきたという謎の少女。
彼女に関する研究資料には厄災と少女は密接な関係性にあり、厄災の元凶そのものである可能性が非常に高いという記述があった。
「この記述が真実なら、僕は世界を破滅させる存在と相対してると言うことか」
あまりにも現実味のない情報と状況を前にしている男は苦笑するしかなかった。
「……試してみるか」
おもむろに男は机の上にあったハサミを手に取り、眠っている無防備な少女に刃先をゆっくりと慎重に近づける。
艶やかな白い肌に刃先があと少しで触れようとした瞬間、男の手からハサミが弾き飛び天井に突き刺さった。
「なるほどな。確かにこれでは解剖することも処分することもできないし、血液採取して検査することすらできないという訳だ」
とりわけ驚く素振りもなく男は衝撃が残る手をぷらぷらと振りながら、何事もなかったかのように資料に視線を戻した。
―見た目から推察するに少女の年齢は十代前半と考えられる。しかし、少女が発見されてから四十年以上が経った今でも当時から姿に変化がないため、実年齢は不明である―
「成長はしないが衰弱もしない身体か。不死身だなんだと下らない研究をしている奴らにとって絶好の研究材料だろうな、君は」
もっとも少女にとっては、ここで行われようとしていた研究も同じくらい下らないものに違いない。ただ、あんな奴らに捕まらなかっただけ不幸中の幸いというやつだ。
「いや、捕まったところで君の魔法に似た力がある以上は研究も糞もないか……」
どこからどう見ても無垢で、どこにでもいそうな小さな女の子。
穏やかな表情をして眠る少女は呼びかければ目を覚まして起き上がり、あちこちを走り回りそうだと思うほどに生命力を感じる。
「もし君が本当に世界の敵なら、こんなに倒しにくい敵は他にはいないだろうな」
ふいに背後から扉を叩く音がした。すぐ後に生真面目そうな声が聞こえてくる。
「失礼します」
「………………」
男は返事を返さない。
ここにやって来る奴とその理由はいつも面倒ごとばかりだと知っているからだ。
だが、そんなこと知らんと言わんばかりに扉は無慈悲にも開かれた。
「失礼します。あ、やっぱりいた……マルク博士、陛下がお呼びですよ。一時間後に王座の間に来るようにとのことです」
呆れた表情で淡々と要件を伝えてくる女性の名はマリー。下の名前は覚えていない。
彼女について知っていることは二つ。
腰まで伸びる艶やかな黒髪を気に入っていること。そして、スフラン王直属の魔道研究員であり、僕の助手を担当していることだ。
「……分かった」
背を向けたまま面倒臭そうに答えるマルクに苛立ちを覚えたマリーは語気を強める。
「博士。陛下に会うときはその不機嫌そうな顔は辞めたほうがいいと思いますよ」
さすがは我が助手。見てもいないのに僕が今どんな顔をしているか言い当てるとは。
しかし、その提案は不正解だ。
「確かにな。だが、残念ながら無理だ。この顔は生まれつきだからな」
「……それから部屋でぶつぶつ言うのも辞めてください、不気味なので。あと検体をじろじろと見ないでください、変態眼鏡なので。それと検体に話しかけたりしないでください、三十代童貞独身野郎が。それに――」
どうやら余計なことを言って彼女を焚きつけてしまったようだ。
こうなると彼女は蒸気機関車のように燃料切れになるまで止まることはない。
僕にできる対処法は二つ。
一つは耳を塞ぐこと。もう一つは彼女に聞こえない細やかな声で不満がることだ。
「……それもこれも生まれつきだ」
黙っていれば美人で気が利いて、研究員としても知識豊富で頼りになる助手なんだが。
いかんせん言いたいことを言いたいように言ってしまう悲しき性格が残念過ぎる。
どうか早く収まってくれと願いながら目を瞑っていると、どさっと落ちる音がした。
聞き慣れない音に振り返ってみると、尻餅を突いて震えるマリーの姿があった。
「……大丈夫か?」
「あ……あ……」
明らかに怯えている彼女は目を見開いてこちらのほうを凝視している。
それが、僕に向けられたものではないと気づいた瞬間。ドクンッと心臓が飛び跳ねた。
全身を揺さぶる鼓動を感じながら、首だけを動かして視線を向かわせる。
「……確かに。呼びかければ起きそうだなんて、考えてはいたが……まさか、本当に、起きるとはな……まったく、想定外だ」
思考が定まらないまま、舌足らずに言葉を吐き出したのは精一杯の虚勢からだった。
研究者とは、理解できないものを理解する者であるとマルクは考えていた。
そして、言葉を失うということは理解できないものを前にして理解することを放棄するという、研究者にとって最も愚かな行為だと確信していた。
そうして僕は逃げる言葉を必死になって捕まえ、平然を装いながら少女に語りかけた。
「おはよう。気分はどうだ? アイリス」
ウィンウィンウィンウィンウィンウィン
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