鉄骨の死神
グローリアを廃屋に匿した後。
三名は《火鼠》としての任務に就いた。
闇妖精が違和感を見出だした内容は、同様のものをスケルトンとゴブリンにも与えた。普段から難易度云々は差し引いても、ここまで異質な物は受注した経験はなかった。
理由としてはひとつ。
今回の任務が、少数部隊で動く《火鼠》を更に分けて行動させ、事の解決に当たれとの旨だ。
スケルトンとゴブリンは迷宮内部を探索する者の牽制、闇妖精は色街に潜伏した地上に通じる裏切者の捜索、オクトニオンは闇妖精の援護。
二つに分断される任務に疑念を抱きながら、ゴブリンとスケルトンはそのまま迷宮第五層まで来ていた。
探索者の妨害とはいつもの事だが、内通者が都内にいる事と並行するほどの大事ではない。《火鼠》四名で内通者を確実に処分した方が安全である。
確かに、都市の内部だけでの収入では飽き足りない魔物が、地上に情報提供する代わりに金を受け取る例はままある。
露見すれば大罪だが、大抵は疑いの目を凌ぐか、それとも同じ者が黙認するなどで雑多にいる。
ゴブリンと暗渠の如き迷宮内を進む。
探索者の影はまだ見えない。
ただ、魔物がいない静けさが不安を掻き立てる。最近は勇者の死で何処も活気に湧いているのに、静寂こそ不審にしか感じない。
ゴブリンの索敵に、未だ生命反応が一つとして見当たらないのもまた不可思議。
「血の巷に敵影無いのもまた不審だけんども、同業者の活気絶えた有り様もまた不穏当だぃ」
「明らかに怪しいな」
ゴブリンは臭いや音などの物理的現象以外に、不穏な気配を察知していた。だが、その正体までも正確に捉めない!
異様な任務に激しく動揺した故の感覚か、はたまた……あの甦りつつある影か。
隣にスケルトンを伴う以上、大抵の出来事には対処可能。勇者殺しの実力が伊達ではないのは、仲間としてすでに承知済み。
それでも払拭しきれない不安が湧き上がる。
先方を覗くスケルトンは、ふと爪先に固い物の当たる感触を覚えた。
グローリアとの特訓で糸が引っ掛かったのを思い出して、笑いを堪えながら視線を下に移す。
そこには、魔物の頭蓋骨が転がっていた。
幾つも槍で穿たれたような形跡がある。
いや、そんな物はざらだ。
それよりも奇妙なのは、蹴っても音がしないことだった。試しに何度も小突くが全く鳴らず、踏み砕いても無音。
スケルトンは驚いてゴブリンに声をかけようとするが、自分の声すら音が消えていた。幾ら顎をかちかちと合わせても、それすら聞こえない。
ゴブリンの肩を叩く。
気付いた彼も、間もなく異変を悟った。
周囲一帯から音が奪われている。
敵の仕業とみてスケルトンが周囲を見回すと、右方の路の先にある暗闇から、一瞬だけ光が瞬いたのを見咎める。
何なのかはわからない。
それでも凶兆だと直ぐに断じて、横へとゴブリンを突き飛ばす。
次の瞬間、黒衣を次々と無色透明の弾丸が貫いた。幸運にも骨の無い部分のみに着弾したそれらは、襤褸外套をますます傷んだ風体にする。
スケルトンがゴブリンとは逆方向に飛んで角に隠れるや、過去位置の地面を次々と光る矢が抉る。砂塵を巻き上げ、およそ尋常な射撃では生み出せない風圧を発生させた。
ゴブリンが入れ違いのように、矢を同時に四本射出した。音の反響が無い現状、相手の位置など正確に捕捉できない、いわば勘任せの狙撃だった。
それでも、長年研ぎ澄まされたその技量たるや、路地の奥へと矢が真っ直ぐ吸い込まれていく。
スケルトンは彼を抱えながら、その場を一旦離脱する挙に出た。
ここでは分が悪すぎる、音を絶たれることがこれほどに辛いとは。
行く先々で光の弾丸による猛撃を受けながら、二人は第六層の広間まで辿り着く。その頃には、互いの足音が耳に届いていた。
「何なんだ、あれは?」
「《静寂》の魔法だろぃ。野郎ども、意図してだとしたら……」
「だとしたら?」
「……こっちの配役を把握してるっつう訳だぃ」
スケルトンは広間に二つしかない入口を交互に見た。
「それは、つまり……」
「内通者が、俺らン情報を垂れ流してやがらぁ。有名人ってぇのぁ一々苦労もんだぃ」
前方の入口奥から雑踏が聴こえる。
躙り寄る凶刃の網、退路は一つだがここで二人が逃げるほどに魔界への足掛かりを作ってしまう。内通者が背後にいるとなれば、ここでの奮闘も無為も同然。
――しかし……!
スケルトンはゴブリンを後方へと押し遣った。
内通者が情報を流した。
つまり、《火鼠》はここへ誘導されたのである。とどのつまり、あの依頼自体が虚偽の物。
それを《火鼠》に限定して伝える意図、それは彼ら、または彼らしか持たぬ何かの簒奪を目標としての策謀。
二体は狙われる理由に思い当たる節しかなく嘆息した。
「内通者が私達を知悉しているなら、グローリアも……」
「それは考え過ぎ……たぁ言い切れんのが悲しい現況、嘆く暇はあるが判断時間は無ぇときた」
「頼む、あの子を保護してやってくれ。この場は私で凌ぐ」
「任せぃ。生き残れやぃ」
ゴブリンが撤退する。
その背を肩越しに見送り、スケルトンは構えた。袖口から鎌のような刃を覗かせ、入口から現れる影たちに翳す。
騒々しい足音を立てて踏み入るのは、銀の甲冑を身にした騎士たち。先頭に立つのは、長い耳の妖精種の女性である。
しかし、美麗さなどに気を配らず、スケルトンは相手の得物や体格、員数を注視した。
先頭の妖精騎士が銀の刺剣を抜き放った。
剣尖を広間中央のスケルトンに突き付け、銀髪を揺らしながら一歩前に踏み出した。
「漸く相見えることができたな、ヴァニタス!」
「(……誰、それ?)」
スケルトンは、『ヴァニタス』なる呼称と思しきそれが、自分を指しているのだと理解するまで時間を要した。
他に『勇者殺し』などの異称ならば気付くのも早かったが、妖精騎士としては個体名を尊重するらしい。刺剣の切っ先で円を描きながら、少しずつ進み出る。
スケルトンは、面前に掲げた骨の刃の奥から鋭い眼光を飛ばしつつ、妖精騎士から後退りした。
退路が一つならば有難い。
死守する物が一つとなれば、注力の際に余計な意識が要らなくて済む。仁王立ちで構えていても問題がない地勢なのだ。
先頭の妖精騎士以外にも、手練れと思われる風格の戦士が数名背後に控えている。彼女の一撃のみに気を傾注していたら、裏を掻かれる可能性も否めない。
「勇者を討ち獲った実力があろうと、我々がここで貴様を始末する!」
妖精騎士から無数の刺突が放たれた。
切っ先は虚空を突く。
しかし、その延長線上にある空気を閃光が奔り、スケルトンの後方まで突き抜けた。広間の壁に到達し、幾つも孔を作る。
壁面も駆け上がり、縦横無尽に動く黒衣を閃光の刺突が追いすがる。
戦塵を撒き散らす広間で、猛撃を躱しながらスケルトンが無造作に腕をふるった。
妖精騎士が何事かと目を光らせると、その袂の中より数本の骨の杭が飛び出していた。高速で接近するそれらを剣でいなす。
その隙に壁面を蹴って跳躍したスケルトンが、妖精騎士の懐に潜り込んでいた。眼窩の奥で妖しく眼光が燦めく。
すでに刃を振りかぶった姿勢にあった。
「終わりだ」
「――貴様がな、虚栄の徒」
不敵な妖精騎士の顔面めがけて殺意が趨ったとき、銀の甲冑が発光した。
一条の光がスケルトンを照らす。
何事かと攻撃を止めて飛び退いた彼の刃を携えた右前腕の骨が砕けた。破裂に似た怪音を打ち鳴らした現状に喫驚する。
なんとも面妖な防具、何をされたか判らない。
動揺で着地に失敗し、よろめいたスケルトンへと妖精騎士の凶刃が迫る。
その刺剣の刀身がその鎧にも優る光量を発し、地下世界の太陽として降臨した。
「さらば、ヴァニタス!!」
終末の光が、骨身を貫いた。
スケルトンの右の肋骨が光の鋭い暴力によって破砕され、衝撃を吸収する背骨が凄烈な軋みを上げる。剣圧の突き抜けた先の壁に孔が空き、爆風は広間一帯を嬲った。
内懐で炸裂した絶技に、スケルトンは威力の余波で回転しながら宙を塵芥さながらに舞い、広間の壁面に叩きつけられる。
妖精騎士が振り抜いた剣を引き戻し、壁際に草臥れたスケルトンへと歩む。
痛覚の無いスケルトンは、自身の肋骨が破壊されたと自覚するまでに時間を要した。
刺突の威力は魔法を付与した物に違いない。それでも、勇者ですら見せた事がない芸当だ。
砕けた骨片が地面に落ちる音で、漸くその損害を理解する。
この妖精騎士――今までに相見えたことのない手練れだ。
眼前で銀の刺剣が空を切る。
次手で決着がつく。
スケルトンは悲鳴を上げる骨髄に鞭を打って立ち上がるも、体の平衡が取れずに損傷の激しい右半身を壁に凭れた。
見るからに深傷の化け物。
今やあと一突きで本当に塵に変えられる。
妖精騎士は自身の勝利を確信する眼が傲りではないと判断した。勇者を屠った時点で他の魔物と比較にならないとは思っていたが、呆気ない終着に些か興醒めしていた。
もっと緊迫した命の遣り取りができると期待している、妖精騎士の可憐な外観を裏切る内側の獰猛な部分が嘆いている。
だが、勝負に遊興も余興もない。
ただ排するべき敵を仕留めるだけ。
立つことすら苦しいスケルトンへ、妖精騎士は剣を振り上げた。
切っ先に光の球体が生成される。
「さらばだ、哀れな骸兵」
妖精騎士が剣を振り下ろす。
後方で構えていた部下たちの誰もが任務達成を確信した。
「驚いたよ、本当に」
神々しき光を尖端に据えた刺剣。
それが中程で叩き折られた。
一瞬の出来事。
光を纏う剣が相手を断罪すべく振り下ろされる、標的を切り裂くまでは一秒にも足らない。
その呼吸すらできぬ短い間に、それは起きた。
妖精騎士の目の前で。
スケルトンが鎌状の刃の剣にした右腕を振り抜いていた。なお、その刃は黒々とした光沢を帯びている。
そして……襤褸の外套の下で、砕かれた肋骨がみるみる回復していく。ぎちぎちと音を立てて、原形を取り戻していた。
「『整骨』・『変骨』・『鉄骨』」
スケルトンが跳躍し、妖精騎士の背後に降り立つ。
唖然とする妖精騎士の後ろで、スケルトンは歯をかちかち鳴らして嗤っていた。
「勇者より骨に堪えそうな敵だ。もう油断はしない」
妖精騎士も、兵士も。
皆が同じく戦慄に捕らわれる。
全員はそこに、本物の死神を見た。
読んで頂き、誠に有り難うございます。
次回も宜しくお願い致します。