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よろしくお願いします。

 穏やかな光を感じて、薄く目を開ける。

 体がだるく、ぼんやりとする頭を動かすと横から慌てた声がした。


「エルザ、起きましたか?」


 身じろぐと背中に感じる柔らかさに、ベッドにいるらしいことがわかった。

 ぼやけた視界に緑が映る。


「んん……どぉして、先に起きてるのよぉ……」

「は? 何を……うわっ!」


 かけられた布団に添えられた手をぐいぐいと引いてベッドに引き摺りこんだ。

 一緒に寝たのに先に起きられると、少し寂しい。


「起きてすぐにあなたの顔を見るのが楽しみなのに……さっさと起きて準備を済ませちゃうのは薄情だわ」

「な、何言って……っあ、あんた寝ぼけてるだろ!」

「寝ぼけもするわよぉ。起き抜けなんだから」


 組み敷いた太ももの下から聞こえる声に、くわーと欠伸を返した。口角が上がるのを感じる。

 このアングルから見る、慌てた恋人の姿も悪くないなぁ。


「もぉ少し寝ましょうよ。わたし、まだ眠……いっ!」


 緑の髪の横に手を突くと、ズキリと激しい痛みが走った。

 驚いて手のひらを見ると包帯が巻かれていて、じわじわと赤く染みが広がっていく。


「ああ……ったく、ふざけてるから傷が開いたじゃないですか!」


 慌てた様子で起き上がったオーウェンが手のひらの包帯を取り替えながら言う小言を聞き流して、寝ぼけた頭ですっかり状況を思い出した。よく見れば身体中が包帯だらけだ。


「大変……高飛びの準備しなきゃ」

「最初に言うことがそれなのか……するわけないでしょうが、高飛びなんて。皆さんに全て押し付けて逃げるなんて出来ると本当に思ったんですか。謹んでお断りします」

「えー、楽しみにしてたのに」

「あのなぁ……」


 呆れ半分諦め半分のため息を吐かれる。

 包帯が緩んでいないかを丹念に確認して、オーウェンは真剣な表情で私をまっすぐに見つめてきた。


「どうして、あんなことしたんですか」

「あんなことって?」

「白の女王陛下の手を払っただろ。あれはどう見てもあなたが悪い」

「ああ……」


 正確に理由を答えるなら、白の女王陛下がララの手を取ることが、バッドエンドを確定させる要素だと思ったから、だ。

 しかし正直に言ったところで、この人に意味がわかるわけもない。


「野生の、勘……?」

「……なるほど」


 納得してくれたらしい。


「手を取らせたら駄目だと思ったわけですね」

「そうなの。ララを帰す気がなかったみたいだから、止められて良かったわ」

「……良かった、ですか」


 オーウェンは『良かった』という言葉を噛みしめるように繰り返すと、逞しい腕が腰に回り抱き寄せられた。

 至近距離で、エメラルドグリーンの瞳が私を映す。いつもの穏やかな表情なのに胸が騒いだ。


「オーウェン?」

「いつ、その野生の勘が働いたんです?」

「えっ、と……白の女王陛下が名乗られる前……?」

「随分早いな……だとしたら、どうしてキングやクイーンにその話をしなかったんですか?」

「どうしてって……」


 まさかバッドエンドに進んでいるとは思っていなくて、私自身焦っていたからだ。言っても信じてもらえるとも思わなかったというのもあるし、悠長に話している暇がなかったとも言える。

 だけどどうして今そんなことを?

 バッドエンドのことは除いてそう伝えると、穏やかな表情に添えられた瞳が一瞬濁ったように見えた。


「それにしても、女王陛下の手を払うのは一番の悪手だと思いますが?」

「そうだけど……連れていかれたら終わりなのよ?」

「どうして終わりなんですか」


 そこで暗転し、バッドエンドが迎えるからだ。

 さすがにそうも言えずに口を結ぶと、また小さくため息をつかれた。


「そうなれば助けに行けばいいじゃないですか」

「助けに?」

「はい。退位さえしてしまえば俺とエルザでなら女性一人連れ出すくらいのことは出来るでしょう」

「…………それって、白の城に忍び込むって言ってる?」

「そうですが?」

 あまりにもあっけらかんと言われて、口が餌を待つ鯉のようにパクパクと動いて言葉を失くす。

 この人、私が心配かけすぎたせいでおかしくなっちゃったのかしら……。

「出来ませんか?」

「無理に決まってるでしょう! ここにはフェリクスがいるのよ!」


 フェリクスは白の国のジャックだ。当然、私よりもはるかに強い。


「二人でなら勝てます」

「ふ、二人ならって……」


 なんだかいつもと立場が逆になったような気がする。無理を通す私と宥め諭すオーウェン。これがいつもの私達の立場だ。

 もしかして、俺の気持ちも少しは分かれよと言う、仕返しなのでは。


「俺は出来ないことは言いません。白のジャックとあなたの一騎打ちなら確かにあなたの分が悪いでしょうが、少人数での潜入なら見つからずに進めるよう準備も整えられます。城の内部も、ここに来るまでの道なら覚えました。他も歩いていた侍従や侍女達の持ち物から予想できますよ」


 仕返しなんかじゃない。かなり本気だった。


 城の内部を覚えた、なんて言うけど簡単なことじゃないはずだ。

 スペードの城だってよく迷子になる新米侍従や侍女がいるくらいだし。それを案内するオーウェンを何度も見たことがある。


「ただ、白の女王陛下との試合で負けを選ぶのは、間違いではないと思いましたよ」

「え?」

「あの時は咄嗟に止めましたが。あなたが生き残るほうが、スペードの国としては負担が大きい」


 確かに、私が負けたら処刑すると言われて、スペードの国に迷惑をかけないためには……と、ほんの一瞬、負けることを考えた。

 私だってその選択が間違いとは思っていないけど、まさかそれを恋人に肯定されるなんて。


「だから、次は止めないからな」


 沈む私の心とは裏腹にオーウェンの声の調子はとても軽い。なのに恐ろしく低い声だった。


「首でもなんでも、斬られればいいんだ」


 そんな恐ろしいことを言うのに、薄い唇の口角は上がり、こちらを見る目はとても優しい。


「その時は、俺も隣で一緒に首を切ってもらえるように頼みますよ。あなたと一緒なら処刑されるのもきっと楽しい」


 続く言葉に肩がびくりと跳ね、優しい視線を見つめ返すことしかできない。

 腰に回された腕は、決して離さないという意思表示なのだと悟った。


「……怒ってるの?」

「いいえ。まったく」


 嘘だ、と思いたいのに本当に怒っていないように見えるから、怖い。


 おまけに首筋にそっと触れて「死体は同じところに打ち捨てられたらいいなぁ」と呟くのだ。

 これは、怒っているいないに関わらず謝ったほうがいいかもしれない。

 そして約束するのだ。私は死んだりなんかしない、と。


 脳裏をよぎるのは、前世での最期だ。

 焼けるような痛みに反して、体が先からどんどんと冷えていく感覚。見上げた先にいる男は、ナイフを放り出し、私のカバンを掴んで走り去っていった。

 あの平和な世界ですら、私は親しい人達にお別れが言えなかった。


 この世界で騎士という職を選んだ私の最期も、きっと同じ道を辿るだろう。なのにここで約束してしまったら、大好きなこの人は私が死んだら自分も死ぬという。


「その約束は、出来ないわね」

 

 オーウェンはぴくりと動きを止めて、私に視線を合わせた。

 その視線に密かに安堵する。

 ああ、なんだ。やっぱり怒ってるんじゃないの。おかしくなっちゃったのかと思った。


「口だけでもいいんですよ」

「ダメよ。あなたとの約束は絶対に守るって決めてるの」

「なら守ってください。次からは簡単に自分の身を犠牲にしないと」

「だから、出来ないわよ。私は前に立つことが多いのだから、怪我だってこれから先いくらでもするわ。それに、ルーファスやゼンが怪我をするなら、その盾になるって決めてるの。もちろんあなたもよ」


 私より強いノエルには、逆に守ってもらうことになるだろうけど。

 そう続けると、オーウェンは表情を消して私の肩に顔を埋め、腰に回された腕に力がこもった。


「だから、あなたも一緒に処刑されるなんて言わないで。私は一緒なんて嫌だわ。少しも楽しくない。人前で思いっきり泣くわよ。情けないくらいにね」


 肩からくぐもった声で「俺の前だけにしてください」と聞こえた。


「それに、子供がいたらどうするの? パパもママも一度に失わせるつもり?」


 広い背中を撫でながら、わざとおどけて言ってみる。子供が、なんて言ったら慌てさせてしまうだろう。パパとママ、だなんて。

 なのにオーウェンの反応は予想とは違った。

 顔を上げたオーウェンに目を合わせると、先ほどとはまったく違う、温かみのある笑顔があった。


「それは、いけませんね。ママもパパもいなくなるのは、可哀想だ」

「でしょう?」

「そうですね。……可哀想だなぁ」


 しみじみと言うオーウェンは、まだ私と一緒に死ぬつもりでいると思う。

 でも、もしそうなった時に子供がいたら、生きることを選んでくれたらいい。


「私よりも先に死なないでね」

「……そのお願いを俺にもさせてほしいよ」


 見慣れた苦笑に安心して、腰を浮かす。

 頰に唇を寄せ、音を立てた。

 唇にすればよかったかと思ったけど、苦さを残しつつも嬉しそうな笑顔が浮かんだから、これで良い。


 笑顔を浮かべる顔が私の首筋へと動いてきて、身構える。

 変な声が出るやつだ、これは。

 と、思ったのに。


「まっ……あははっちょ、ちょっとやめっくすぐったいったら!」


 耳に息を吹きかけられたかと思えば、服の下から脇腹を刺激され、身をよじった。


「約束もしてくれない意地悪な恋人への仕返しだ」


 息を吹きかけた唇はそのまま首に触れ、鎖骨、顎へと移る。手も脇腹から離れて背中や太ももへと伸ばされた。


「っもう、何されても約束はしな……っそれダメだってばっどこ触ってるの、ふふっ」

「さぁ、どこだろ、う、な…………申し訳ございません!!!」


 楽しげな笑いを滲ませた声からの唐突な衝撃に、悲鳴をあげる暇もなかった。

 目の前に広がるのは美しい女神と太陽が描かれた精緻な天井画だ。

 足元では青ざめた恋人が「俺は何ということを……」と頭を抱えている。

 私、恋人に突き飛ばされたわ。


「あーー……うん……思い出してくれて、良かったよ……」


 頭上から気まずげな響きを伴った聞き慣れた声がした。

 倒れたまま胸をそらして仰ぎ見ると、上下逆になったルーファスが頭痛でもするのか額を押さえている。

 くるりと反転し、うつ伏せになってルーファスと向き合った。


「いつからいたの?」

「……最初からですよ……あなたが倒れてから同じ部屋に詰めていたのでね……」


 ああ、ゼンもいたのか。

 よく見ればルーファスの後ろにあるソファに、こちらに背中を向けるゼンが首筋を真っ赤にして座っている。

 それに向かい合う形でララとノエルもいた。


「なんだ。最初からいたなら気を使って外に出てくれても良かったのに」


 せっかく久し振りにオーウェンといい雰囲気になったのに、と思って唇を尖らせたら、今までの人生で一番だと断言できるほど怒られた。


「迷惑かけといてどの口が言ってやがる!!」

「口が悪いわよ! そんな話し方をする子に育てた覚えはありません!」

「表に出なさい、エルザ。今日ばかりは私も本気で怒りました」

「嘘ばっかり! いつも怒ってるじゃないのよ! ネチネチネチネチと!」

「さっきエルザが戦ってるのを見たら僕も戦いたくなっちゃったんだよね~兄さん達は忙しいみたいだから、オーウェンさん相手してくれないかなぁ?」

「なっななぜジャックの怒りの矛先が俺なんですか!?」


 腰の左右に掛けた剣の柄に両手を掛けたノエルがオーウェンに「認めると許すは違うんだよ~」とにこやかに話しかけている。

 人の戦闘シーンを見ると血が沸き立つ感覚は、私にも良くわかる。

 騒ぐ私達の後ろで静かに佇んでいたララが、すっくと立ち上がるのが見えた。


ありがとうございました。

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