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31番外編 水の魔女

よろしくお願いします。

残酷な表現、人の死を書いています。

ご注意ください。

飛ばしていただいても、本編に影響は一切ありません。

 翻り、鼻先をかすめた髪は、月明かりの元で氷のような冷たい色をしていた。

 背を向けた。と考え、しかしそれを隙と見て取るほど白面ではない。

 事実、残った最後の仲間が目の前の女に飛びかかったが、案の定剣の柄尻で手酷く腹を突かれた。

 地面に伏す間もなく女の左手が仲間の口元へと伸び、まずいと地を蹴った眼前で、仲間の命はどろりと散った。


「……水の魔女が」


 仲間とは言え、実際はこの仕事のために知り合ったばかりの他人だ。

 仇を取ってやる義理はなく、それよりもこの修羅のような女から逃げることを考えねばならなかった。


「その呼び名は少し気に入っているのよ。知ってくれているなんて、光栄だわ」


 まるで眠るように横たわった、仲間だったそれらには目もくれず、女が静かに微笑んだ。

 軽い調子の言葉と対比するような纏う空気の重厚さに、後ずさることすらできない。


 ヒュンと音がして、自らの頭のあった辺りを白銀の線が走った。

 逃げ道の確保など、この女を前にして出来るはずもなかったのだ。


 ものの数秒で、濃い土と青草に鉄の混じる匂いが鼻腔を覆い尽くし、見下ろす女の顔を睨むことだけが、残された唯一の抵抗となった。


 もはやここまで。


 自らを終えるべく、奥歯に仕込んだ丸薬を噛む。


「ぅ、ぐっ……がはっ!」


 途端、激しく咳き込み、喉の奥に突然出現したとしかいいようのないものを吐き出した。

 吐き出したものの色は赤ではない。


 透明。


 その中に見覚えのある黒い濁りを見て取り、全身から汗が吹き出した。


「駄目よ。私の前で、それじゃあ死ねないわ」


 触れられてなどいないというのに突然現れたこの水は、目の前の女によるものか。


 これが、スペードのキングの片腕、水の魔女。


「さて、質問に答えてもらうわ。教えてくれたら……楽になるわよ」


 婉然と微笑む魔女の左の手のひらが、こちらに向いた。




 喉の奥がヒュウと、か細く鳴った。

 顔面を覆う濡れた布を取り払われても、幾度となく繰り返されたそれに、もはや全身の力は抜け落ちている。


「ねぇ」


 恐ろしいほど優しく肩を撫でられ、視線だけをその手の主へと向けた。


「もう、いいでしょう? 話してちょうだい。そうしたら、キングにはあなたは始末したと伝えて逃してあげる。私はキングに信用されているから絶対にバレたりしないわ。あなただって、命令のために自分の命をかける義理なんてないはずでしょう?」


 眉尻の下がる表情に、先ほどまでの苛烈さは微塵もない。


「お願いだから、教えて。あなたを助けたいのよ」


 事実、仕事に対する忠誠心など、かけらもなかった。

 かけられた気遣いに、残された力を振り絞る。


「そのような甘言を、信じると思うか」


 最期に見たものが弧を描く美しい唇であったことは、自らの人生において、ただ唯一の幸せであるといえるだろう。



 ※



「こちらは終わりましたよ」


 横たわるものから目を離し、駆け寄ってきたゼンに笑顔を向けた。


「こっちも終わったわ。誰の手先かはわからなかったけど……」

「構いませんよ。おおかた見当はついていますから」

「あら。じゃあ闇討ちでもし返してやりましょうか」

「冗談に聞こえませんからやめなさい」


 もちろん冗談などではない。


 キングを継いでからのルーファスは、やはりと言ってなんだが命を狙われることが多い。

 前世では、その血筋の者しか為政者になれないことがほとんどだったが、それでも暗殺ということがあるくらいだ。


 血筋など関係のない完全実力主義のこの世界において、キングになるということは重い。

 誰にでもチャンスがあるわけだからね。


 この設定はゲームにもあった。

 そして、そんなルーファスを守るのは、ただ一人。


「後片付けの手配をしてきますから、見張りをお願いします」

「ええ。わかったわ」


 背を向けて駆け出した幼馴染に目を向ける。


 これと似たような状況のイベントは、個別ルートに入ってから起こる。

 レスタールートにショーンルート。そして、ゼンのルートだ。


 ゲームのゼンは、弟分であるノエルには気付かせず、気付いているルーファスに至っては手助けしてもらえずに、孤独に幼馴染を守り続けていた。

 時には酷い怪我もして。


 それがわかっている私には、当然見て見ぬ振りなど出来なかった。

 たとえそれが、人の命を奪うことでも。


 もっとも、この世界のゼンは私だけではなく、狙われているルーファス自身の力も借りることができているから、たった一人で苦しい想いをさせているわけではーー。


 ぽきりと音がして、それと同時に地を蹴っていた。


「良かった。最後の一人を殺しちゃったから困ってたのよ。あてはあると言っても確証が欲しかったから、生きてる人がいて助かっ……」


 浮かべた笑顔のままで、湧いた疑問に内心で首を傾げた。

 地面に押し倒し、後ろ手に捻った腕は、私よりも細い。

 目の前に広がるのは白いワンピース。それに柔らかな、桃色。


 慌てて腕を解き、飛び退る。

 どうしてだか分からないが、体がひどく震えた。


「どう、して……こんな時間に外にいるのよ!?」


 動揺のままに震える声で怒鳴りつけてしまう。

 ララはゆっくりと起き上がり、不安げな瞳をこちらに向けた。


「す、すみません……エルザさんの姿が見えたから、後を追いかけてきて」


『す、すみません……ゼンさんの姿が見えたから、後を追いかけてきて』


 か細く言われた言葉は、文章で見たことのあるものだった。


「いつからそこにいたの」


 返されたのは怯えたような表情で、思わず舌打ちしてしまった。

 いつにない苛立ちは、先ほどの戦闘の余韻がまだ抜けていないのかもしれない。


「そう……幻滅したのかもしれないけど、これが私の仕事なのよ。ルーファスを狙ってきているの。逃したりしたら、次は守れないかもしれないでしょう」


 びくりと肩を震わせるララに対して生まれたほんのわずかな悔恨も、沸き立つ苛立ちが勝った。


「私が死ねば! ゼンが! ルーファスが死ぬの! 殺さなきゃ……っ」

「エルザさん!!」


 張り上げた声に負けないほどの大声に、我に返る。

 取られた手は左手。

 その手は。


「は……離しなさい!」

「離しません!」


 左手は、ララの胸の前で強く握られた。


「エルザさん、私はあなたを嫌いになんて、なりませんよ」


 だから落ち着いてくださいと言われ、また頭の中で文章が浮かぶ。


『私はゼンさんを嫌いになったりしません!』


 ゼンにとってこの言葉は、どれほど救いになっただろう。

 それでも私は、ゲームのゼンとは違って一人ではない。


「……ごめんなさい。少し気が立っていたみたいだわ。もう大丈夫」


 笑顔を見せれば、安心したような笑みが返ってくる。


 その笑みを前にして。

 薄情な私は、このことが知られたら彼は果たしてこのように笑いかけてくれるだろうかと。

 そんなことばかりが頭に浮かぶのだ。



 ※



 剣戟の音が止み、窓からそっと離れた。

 戻った私室のベッドに深く座り込み、長く息を吐く。


 あの人の仕事について知ったのは、もう随分と前のことだ。

 微笑みを浮かべながら剣を振る姿に、もしや楽しんでいるのではと疑いもしたが、翌日のあくびを噛み殺した表情の目元の薄い影に、その愚かな考えを恥じた。


 補佐として何か手伝えるならばとも思ったが、あの中に入れるだけの力が俺にはなく、足手纏いになるだけだ。


 あの人に対して、俺に出来ることといえば。




「お、おはよう……」

「……いま、何時だと思ってるんですか。今日は大事な会議があると、伝えていたはずですが」

「どうしても起きられなかったのよ……で、会議は問題なく終わった?」

「終わるわけあるか! あんたが起きてくるの待ちだ!」

「えぇ! 会議は退屈だから始めてくれていても良かったのに!」

 悪びれない姿に、知る限りの罵詈雑言を叩きつける。

 眉尻を下げて、見た目だけは神妙にお説教を聞く彼女の瞳の奥に、わずかな安堵が見て取れた。

思いついて一気に書き上げたものですが、なかなか書けないシリアスなシーンは書いていて楽しかったです。

ありがとうございました。

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