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26 補佐のプロローグ

よろしくお願いします。

 むっつりと黙り込んだ女性と手を取り、音楽に合わせて足を動かす。


「いつまで拗ねてるんですか」

「……拗ねてないわよ」


 確実に拗ねている。

 キングとララさんのことが気がかりな様子のエルザ殿を慰めるつもりで言った言葉は、どうやら彼女の勘に触ったらしい。


 どうしたものかと悩んだ俺は、何を思ったのか彼女にダンスを申し込んでいた。

 てっきり断られるだろうと思ったのにエルザ殿は更に口を尖らせて「いいけど……」とぼそりと呟いた。


 そして今、音楽に合わせて流れるように踊っている。

 なぜこんなことにと自問自答しながら、繋いだ手に、腰に添えた手に、汗が滲んでいないか心配になった。

 心臓はずっと呆れるほどに脈打ち続け、視線もどこに合わせればと戸惑い彷徨う。ダンスとはそういえば密着するものだったなと混乱する頭で考えていた。


「……エルザ殿とダンスする日が来るとは、思いもよりませんでした」


 混乱を悟られないようにいっそあっけらかんと言ってみれば、エルザ殿は拗ねた表情のまま視線だけ上に向ける。


「そうね」


 ああ、これは完全に拗ねている。どうしよう。

 言葉を探して焦る俺に、エルザ殿は小さく息を吐いた。


「……ミアとは、どうなの。今も会ったりしてる?」

「は?」


 誰だ?


「誰ですか、それ」


 心当たりのない名前に小さく首をかしげると、ぽかんと口を開けたエルザ殿が小声で怒鳴る。


「ミアよ! ジュノ様の孫の! 紹介されたでしょう?」

「ああ!」


 思い出したが、それと同時にジュノ様の言葉も思い出した。

 あの日、ジュノ様は帰る馬車の中で俺に言ったのだ。「孫を紹介する必要はなくなっちゃったねぇ」と。

 はっきりと意味がわかった俺はお断りを入れて、結局お孫様とは会うことがなかった。


「紹介されてませんので、一度も会っていませんよ」

「えっ、そうなの? どうして?」

「さ、さぁ、どうしてでしょうね」


 おじいちゃんがこんな優良物件を手放すとは……とブツブツ言う彼女の機嫌がわずかに浮上したことがわかった。


 ほっと安堵する俺の中に疑問が生まれる。


 ――どうして、そんなことを気にするのですか。


 心の中で問いかければ、湧き上がるのは欲だ。あの日、心の深いところにしまい込んだままの欲が。

 何か別の話題をと考える頭と堪える欲が、心の中でせめぎ合う。


「あなたこそ……リドと食事に行ったと、聞きましたが……」


 欲と理性の間で紡がれた言葉はどちらも満たすものだが、幾分か欲が勝ってしまった。


「え? ああ、あの人。とてもいい人ね。楽しかったわ」


 いつの間に拗ねた気持ちが落ち着いたのかエルザ殿が笑顔で答える。

 その答えには思わず苦笑した。あいつはよく好みの女性を食事に誘うのだが、決まって言われるそうだ。いい人だけど恋人には、と。俺は心の中でリドに合掌した。


 話題がまた途切れて、音楽だけが二人の間に流れる。

 頭の中を支配するのは先ほど湧いた疑問だけ。


「どうして……」


 流れ出た言葉に、口から出てしまったのかと焦ったが、これは俺の声ではなかった。


「……なにがですか」

「……なんでもない」


 本当になんでもなければ、出ない言葉だ。それは。


「エルザ殿。なんですか」


 教えてください。どうして、あなたは。

 エメラルドを着けて来られたのか。




 俺の懇願するような追及にエルザ殿は狼狽するも、絡む視線が熱を帯びた。

 一度溢れた欲は止まらず、自然と繋ぐ手に力がこもる。

 俺をそっと見上げたエルザ殿の瞳には天井の煌びやかなシャンデリアが映り、いつにも増して輝いていて。

 もっとよく見たくて顔を近付ければ、薔薇が咲いたように赤らんだ顔は逃げなかった。


 互いの吐息が混じり、更に理性よりも欲望が勝っていく。


「……あなたの瞳は、アクアマリンみたいに綺麗だな」


 綺麗な瞳が大きく丸く見開かれ、思わず頬が緩んだ。

 勢いよく逸らされてしまった瞳が潤んでいく。心配になるほど顔が赤くなり、熱がこちらにも移ってくる。

 この人のこんな顔を見るのは初めてだ。


「あなたの、瞳も……」


 か細く震える言葉は待ち望んだものだ。

 逸る気持ちを抑えられず、続きを急かす。


「なんですか」


 エルザ殿は唇を開いて閉じてを繰り返す。

 ひどく焦らされ、体に響く鼓動はもうどちらのものかわからない。


「い、言わない……」


 やっと溢れた言葉に一瞬息が止まり、しかし言った本人が拗ねた表情を返しているのが可笑しくて、堪えられず吹き出してしまった。


「笑わないで!」

「ははっ……無理だ、止まらないっ」


 再びむっつりと顔を背けたエルザ殿に心の中で囁く。


 言わないは、だめだろう。

 先ほどの煮えたぎるような劣情とは違う、穏やかな気持ちが心を満たしていく。


「もう! いい加減にしないとダンスやめるわよ」


 脅されて仕方なく笑いを堪えようとするも、うまくいかない。俺のその様子にとうとうエルザ殿まで吹き出した。


「いつまで笑ってるのよ。オーウェンったら楽しそうね」

「ええ、とても楽しいですよ。……エルザ殿は楽しくありませんか?」

「そうね。優秀な補佐様が敬語をやめてくれたら楽しくなるかもね」

「敬語にこだわりますね?」

「だって距離を感じるもの。今はお仕事じゃないんだから、いいでしょう?」


 この人の綺麗な瞳で懇願されては敵うわけもない。


「踊ってる間だけな」


 仕方なしという調子で言った言葉にもかかわらず、とても幸せそうな笑みを返してくるのだから困る。俺が口調を変えただけでこんなにもこの人を喜ばせられるなんて。


「この調子でどんどん敬語が取れていくと嬉しいわ。あ、でも敬語からのタメ口のギャップも捨てがたい……」

「なんの話ですか……」


 思わず敬語を使うとエルザ殿が唇を尖らせてしまう。


「……なんの話だよ…?」

「そうそう、その調子」


 くすくすと笑う彼女が可愛くて仕方ない。

 二人で笑い合うこの時間は間違いなくこれまでの人生で一番幸せな時間だ。

長らくお付き合いいただきましたオーウェン視点は、ここで一旦終了です。

この話はお気に入りなので、少しでも皆様に楽しんでいただけていたら幸いです。

今後、エルザ視点だけでなく、いろいろな人の視点でストーリーを進めていく予定なので、良ければ今後ともお付き合いください。

ブックマーク、評価、感想等いただけたら嬉しいです。

ありがとうございました。

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