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一年前④

「これは、無礼を致しました。クローバーの9。──しかしながら、一つ……お願いを申し上げても宜しいですか。こちらの我が国の5を貴国へお連れになるにあたって一度、スペードのキングの元へとご同行願いたいのです」


 先ほど感じた冷たさは錯覚かと思うほど和かな笑みを浮かべた女は一つ、と言って人差し指を立てた。


「スペードのキングの元へ、だと? 一体どのような用向きで?」


「まことに恐縮ではありますが、私用によりこちらのスペードの5をお借り受けたいのです」


 女は恐縮の心を表すように、申し訳ないとばかりに眉を下げ困ったように微笑んでいる。


 馬鹿馬鹿しい。どうして部隊長の私事に国の5が付き合うのか、所変われば品変わるというが、それにしても妙な国だと呆れる思いだった。


 しかし、それと同時に思い出した。


 エルザ。そうだ。スペードのキングやクイーンの幼馴染の女性の名前が確かエルザであったはず。


 しかもその女性はただの幼馴染ではない。スペードのキングの妻候補の筆頭であるとまで言われている女性だ。


 それを思い出して、この女の真意を察する。


 恐らくは、オーウェンをスペードのキングの元へと連れて行き、匿うよう頼むつもりなのだ。


 すでにスペードのキングはクローバーとの間で不和の元となるこいつをさっさと手放してしまうつもりでいるとも知らずに。


 内心でこの女のささやかな抵抗を嘲り、また同時にクローバーとこの女の間で板挟みになるあの赤い男を困らせてやるのも面白いと思った。


「良いだろう。ならば私達も同行しよう」


 女がほんの一瞬困ったように眉を寄せたのを俺は見逃さなかった。


 外交用の笑みを浮かべながら、女の案内でキングの執務室へと向かう最中、ヘクターが「このように麗しい女性をあまりいじめてやるものではないぞ」と説教をしてきた。

 フェミニストであるヘクターらしい台詞ではあるが生憎、俺は人を困らせることは嫌いではない。


 そうして意気揚々と女の後に続いた俺は、愚かにも忘れていたのだ。


 先程この女に感じた激しい悪寒も、ヘクターを一瞬でねじ伏せた類稀な技量も。




 キングの執務室に着くと中にいたのはスペードのキングとクイーンで、御二方とも女の後に続いて入室した俺達を見て身を丸くしていた。


「これはまた随分と変わった組み合わせだな」


 問いかけるような目がオーウェンへと向き、女へと移る。


 笑いを堪えることはひどく難しく、さてこの女はこのあとどうやってオーウェンを守るつもりなのやらと内心で嘲笑っていた。


 だが、スペードのキングの眼前へと一歩進み出た女は丁寧に腰を折り、俺の予想外の言葉を口にしたのだ。


「キング。以前よりいただいていたお話しをお受け致したく参りました」




 キングの赤い瞳が大きく見開かれ、場に恐ろしい程の沈黙が降りる。キングの手から滑り落ちたペンが机から床へと弾んで落ちていき、カラカラと音を立てた。


 室内において最初に動いたのは、スペードのクイーンだった。


 唐突に大股でスペードのキングの机の元へと走り、引き出しから書類を数枚、大慌てで取り出したのだ。その表情には脂汗が滲んでいる。いくつかの紙の束が床へと散らばったが、それには目もくれないほどの慌て様だった。


 スペードのキングはクイーンからやや遅れて我に返ったらしい。机を叩く勢いで立ち上がり、ペンを拾い上げ、女の襟首を掴み、引き摺りながら女を──あろうことかキングの執務机に押し付ける様にして座らせたのだ。


「書類!!」


 スペードのキングの叫ぶ声と同時にスペードのクイーンが書類を女の眼前に叩きつけた。


「中身なんざ読まなくていいからとっとと名前書け! 名前!」


「ここですよ! この下線の箇所に……内容は後でちゃんと読み聞かせてあげますからさっさとサインしなさい! それさえ貰えればこちらのものです!!」


「…………一人でも読めます。ここにサインすればよろしいのですね?」

 

 書類に目を落とした女が呆れた声音で尋ねるが、御二方は左右から女に向けて怒鳴り続けている。


「名前、スペル間違えるなよ!?」


「予備を書かせておいたほうがいいですね……私が保管する用とルーファスが保管する用……ノエルにも持たせておくべきでしょうか!?」


「金庫に隠す用も含めて五、六枚は書かせておくぞ。……書き間違えはないな!?」


「っもう煩いわね! 自分の名前を書き間違えるほど馬鹿じゃないわよ!!」


 溜まりかねたらしい女がスペードの御二方へと怒鳴り返す。

 オーウェンを守るために連れて来られたのだとばかり考えていたが、当事者であるオーウェンすら置き去りにしてキングと女は怒鳴り合いの喧嘩を始め、クイーンは書類の上から下までを何度も往復しながら恐らくは誤りがないかの確認をしている。


 私用でとは言っていたが、俺達はまさか本当に部隊長の私用に付き合わされただけなのだろうか?


「……よし。これで問題ありません」


 一息ついてクイーンは書類の束から一枚抜き取って丁寧に折り畳み、懐の奥深くへとねじ込んだ上で、キングへと残りの書類を渡す。額の汗を拭いつつ。


 キングもまた汗を袖口で拭い、書類の一枚を懐へと仕舞い込んでいる。ため息と共に女を見下ろし睨みつけた。


「長い戦いだった……」

「しつこいわよ。書いたんだからいいじゃないの」


 睨まれた女は頰を膨らませつつ席を立ち、キングの前に真っ直ぐに立つ。


 そして腰に手を当て、ある意味では爆弾発言ともいえる言葉を口にしたのだ。


「それで──私に与えられる位はいくつになるのかしら?」


 位。キングから与えられる位。


 この言葉の意味は、どの国でも共通のものだ。


「何寝惚けたこと言ってやがる。俺の部下共で空きは10だけだろうが。お前は今日から──スペードの10だよ」


 スペードの国はエースだろうが10だろうが対等に話のできる国柄だ。


 ハートやダイヤもそうだ。


 だが、クローバーだけは違う。エースは2以上の位に丁寧に接することが公然の常識であり、それに倣って他国間では位の数を重視する。


 その事実が脳内に染み込んだ時、俺の目の前で女は満足気に頷いて、ゆっくりと歩みを進めた。


 スペードのキングの執務室は応接間も兼ねているのか立派な革張りのソファが二つ向かい合わせに並べられている。


 その一つ、上座へと腰を下ろし、女は長い脚を見せつけるかの様に悠然と組んだ。


 そして、笑いを滲ませる空色の瞳は真っ直ぐに俺を映したのだ。


「私の用は済みました。それでは先程のお話の続きをいたしましょうか。──そちらに掛けなさいな。クローバーの9、キーラン殿」


 勝ち誇った笑みが向けられ、『スペードのキングの執務室にある』ソファを手で示される。


 もはや口元が引きつるのを堪えることは出来なかった。


 結局、震える足を誤魔化すのを精一杯に、這々の体でこの伏魔殿から逃げ出したのだった。

ありがとうございました。

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