グレーテル耽美論
ピンポン。
「お菓子の家の魔女ってのはさ、ひょっとしてガキンチョきょうだいのことが好きだったんじゃないのかと思うの」
麻美はそれだけ言って、脱力したように膝から畳にすわり込んだ。
根拠をのべてみなよ。私はうながす。暗い色の影が、麻美のふくらはぎの下に静かにひろがり、蛍光灯のひもに合わせてゆれていた。
「太らせておいしくいただいて、骨だけあつめとくのが魔女なりのかわいがり方だったかもしれないじゃない。異文化交流ってわけ。怒鳴り声や乱暴な挙動だって、ことばが通じなかったらどこに行ってなにと関わったってそう感じ取れるよ」
「ふーん……」
その創作、駄作じゃないけど無理があるね、ということばは彼女の様子を見て引っこめた。熱中している目だ。持論にすっぽりくるまって自分の心臓をあたためるかのような、まっすぐ焦点をさだめた暗い目だった。
苛立ちを振り払いたくて、つづきを問う。鳩時計が鳴く。
「お菓子の家だったのも不幸ね。今、隣のくにで社会問題になってるじゃない? 食べたがるスナック菓子だけで肥え太らされた子どもが、ひどく乱暴的な性格を形成してるって。きっとお菓子ばかり食べてグレーテルはへんになっちゃったのよ。それでかまどに、恩人の魔女をぶち込んで……」
「………あのさ、ちょっと待とうか、麻美」
振り払うことはできなかった。麻美はこの量の憶測を、鳩時計が10度とび出すまでの間に吐きこぼした。ちかちか、電灯の色が濁る。
「ききゃわかる、熱意は伝わった。何が言いたいかも見りゃわかるよ。でもさすがに、ちょっとかえりみてくれないかな」
鳩がもう一度、わすれて引き返してきたように顔を出す。十一時。ばねのついた尾羽から順にとびらの内側に逃げかえる。
麻美の息がつかえた音がした。その息で、ハユ、ととつぜんに呼ばれた。
「……殺しちゃった」
「あんたはいつかやるとおもってたよ………」
彼女はべつにグリム童話おたくではない。弁解をしているのは見え透くどころか、ひとこと目から解釈のしっぽが丸出しでつかめてしまう状態もいいところだった。
愛するカレシとやらの。そして、カレシの胸を、比喩じゃなくずたずたにしてみたくてたまらないの、わたしのセーヘキっておかしいらしいの、と泣いていたあの日の麻美自身の。伏線回収だ。顔を覆うその華奢な手を、もう丸くさやにおさめた気でいる。恋人一人を殺した罪だけをとって、あたりまえのようにそのぶんだけのしあわせと不しあわせを持って去っていこうとかんがえている。
それがゆるせないのが恋でもいいだろう、と私もひとり伏線をはしり書く。胸を裂きたい恋があるなら、私だって正当だろ。
「ねえ麻美、今、くやしくてたまらないんじゃない? どうして現代じゃひとを殺してはいけないのかとかかんがえてない?」
くるくるの髪を血のりでくっつけた麻美がうなずく。わかってくれるの、ハユ。ありがと、そうなの、ハユみたいな女友達がいてよかった、ありがとう。耳にからまる、私のめったにきけない甘い声。
「お風呂沸いてるから入ってきなよ。これからのことは、あんたの親衛隊のハユ様がみちびいてあげる」
どうにか立ちあがった彼女の背中を数歩押して、脱衣所につづく廊下へ向かせる。風呂場の電気がつくかつかないかのタイミングを狙って、私は固定電話の「1」を二度だけプッシュし、静かに子機を払いおとした。
耳を澄ませば廊下から引き返す、ばねじかけのように軽い女の子のあしおとがきこえる。いてよかっただって、こうでもしなきゃ食べないくせに。くやし泣きをこらえ、わたしは最期までおどる子機を見つめていた。
ピンポン、ピンポン。