10諦めてます? いいえ、諦めてません!
爽やかに、恋華は言った。
「気持ちのいー朝だね! 俊介君、奏ちゃん!」
奏と手を繋ぎながら歩いていたら、同じく別方向から登校していた恋華と鉢合わせになるとは。最も恐れていた事態になった。
「んー……? どしたの? 俊介君。ちゃんと朝の挨拶はしなきゃダメだよ?」
「ああ、すみません、恋華さん。お早うございます」
戸惑いつつも俊介が答えると、恋華は満面の笑みを浮かべた。
「はい、おはよーございます♪ それにしても、今朝はちょっと遅いんだね? いつもはもっと早めに登校してたのに。寝坊でもしちゃった?」
朗らかに恋華は尋ねた。
一方の俊介は狼狽しながら答える。
「違いますよ。ちょっと家を出る前に色々とあって。それで遅れたんです」
「あー。また妹さんたちが暴走しちゃったんでしょー」
恋華は悪戯っぽく微笑みかけた。ここのところ色々な事件が続いた為か、久しく見なかった笑顔だ。
「よく分かりましたね、恋華さん」
「分かるってばよ。緋雨ちゃんもいるしママさんもいるし。どうせ、誰が俊介君に『あーん』させるかで揉めたりしたんでしょ? 俊介君も大変だねっ」
そういう恋華とて、以前は俊介に『あーん』を強制してたのだが。
それにしても……と、俊介は思った。
恋華のこの、余裕に満ちた態度は何だろう、と。
仮にも元カノであれば、元カレが別の女と歩いてるのを見れば、少しは取り乱しそうなものだが。
『俊介君、今まで本当にありがとう。つかの間だし偽装だけど、あなたの恋人になれて、あなたのそばにいられて――。私、本当に楽しかった。幸せだった』
『またね……ううん、バイバイ……。俊くん』
別れ際の恋華の台詞を思い出す。今にも泣き出しそうな、それでいて無理に作ったような複雑な表情まで思い出せる。俊介も同じように心を痛めていたのだから。
しかし、恋華の方はもう吹っ切れたのだろうか?
俊介の考えなど露知らず、恋華は奏の方に向き直り、
「奏ちゃん! おっはよー!」
「……お早うございます、瀬戸内先輩」
「奏ちゃんも久しぶりだねー! 元気してた?」
「……はい、一応は」
奏がじとっとした目で恋華をにらむと、恋華はばつの悪そうな顔で、
「あ、あはは。何か私、お邪魔だった?」
俊介は慌てて首を振った。
「そ、そんなことありませんよ!」
「いやいや。別に隠すことはないじゃん。元カノだからって遠慮することもないし。付き合ってるなら付き合ってるって言っていいよ?」
「だから、何でそうなるんですか?」
「なんでって……」
恋華は視線を落とした。
そして、俊介の腕を指さして、
「手つなぎながら登校するとか、恋人でもなければ普通しないじゃん」
言われて俊介は、自分の腕を見つめた。
しっかりと、奏の手を握りしめている。
思わずぱっ! と奏の手を離すと、恋華に向かって言った。
「これは違うんですよ! そういう意味でやってることじゃないんです!」
言いながら、自分でも無理があると俊介は思っていた。
かといって、「偽装友人」の話は2人の秘密なので話せない。これでただの友達というのは流石におかしいだろう。しかし、話せる限り真実を話さねば。
「これは、その、だから、付き合ってるとかそういうのじゃなくて、最近は友達同士でも手を繋ぐことって多いらしいじゃないですか。単にコミュニケーションの一環ですし、車にはねられないための防衛対策の一種でもあります。よって、付き合ってるという事実はありません!」
ここまであからさまに否定しては逆に不自然だが、今の俊介にそこまで気に掛ける余裕はなかった。
「そんなこと言って~。ムキになって否定するところが、また怪しいぞ~?」
「む、ムキになんかなってません!」
俊介は必死になって、誤解を解こうとする。
奏との偽装友人を承諾したのは、他ならぬ自分だ。ならばこの状況を、責任もって対処しなければならない義務がある。
「いや~、いいからいいから。私のことなんてお気になさらずに。お2人でイチャついてくださいな」
なおも茶化してくる恋華に、さらに俊介が反論しようとした時だった。
「か、奏さん……?」
奏は、俊介の腕に抱きついていた。
そのまま自分の腕と、俊介の腕を絡ませる。
「先輩。行くですよ」
「え、えっ?」
「いいから。行くですよ!」
そのままぐいぐい歩き続ける。
歩くのが遅かった奏からは、考えられないほどのスピードで。
「…………」
腕を引っ張られながら、俊介はふと振り返り、恋華を見た。
その時の恋華の表情を何と表現すればいいのだろう?
元恋人が違う女性と親しくすることへの寂しさ?
自分をぞんざいに扱われたことへの怒り?
それとも何とも思っておらず、ただボーッと見つめているだけなのか?
俊介には――何も分からなかった。
「も、もういいでしょう。そろそろ離れてください、奏さん!」
「……んっ」
恋華の姿が見えなくなり、人通りの少ない路地に入ったところで、俊介は強引に奏の身体を離した。
「いったい、どういうことですか? 腕を組むなんて、本当に恋人同士でもなければしないことでしょう。それに、恋華さんの前であんなことする必要はなかった」
「私と俊介先輩は偽装友人。だから、恋人のような振る舞いは規約違反だってことですか?」
「そうです! それに――」
「でも」
俊介がさらに問い詰めようとした時だった。
奏は彼の言葉を遮り、鋭い口調で、
「瀬戸内先輩、まだ俊介先輩のこと諦めてないですよ」
「――えっ?」
俊介はか細い声を発した。
それぐらい奏の言葉は意外なものだった。
「な、なんでですか?」
俊介の頭は混乱しきっていた。
「恋華さんが僕のことを? どうしてですか? 恋華さんは僕を偽装恋人としてか見てなくて、異性としては愛してないって、ハッキリ言われたんですよ?」
「それが瀬戸内先輩の本心だって、どうして分かるんです? 嘘をついてるのかもしれないじゃないですか」
「……それは」
俊介が言葉に詰まると、奏はさらに続けた。
「私が先輩に告白した時、先輩言ったですよね? 『危険な目に合ってもいいから、恋華さんを助けたい』って。その言葉を聞いた時、私思ったです。俊介先輩にそこまで大切に思われてる恋華さんが、俊介先輩のことを嫌いなはずがないって。私の告白が断られたのも、それが理由なんじゃないかって」
そう言うと奏は、唇を噛みしめ、腕にぎゅっと力をこめた。
「でも、先輩。今は違うんです。あの人は、先輩を捨てました。今は友達同士でも、いずれ恋人になって、そして一緒になってください。そしたら瀬戸内先輩だってあきらめてくれるし、俊介先輩だって瀬戸内先輩のこと、忘れられるです。いいえ、私が忘れさせてあげるです」
「僕は――」
俊介は混乱した頭で、必死に考えた。
恋華は本当は、自分のことを愛しているのだろうか。
自分は、恋華のことを愛しているのだろうか。
……悩みに悩んだ末、俊介が出した結論とは。
「すみません、今は何も答えられません」
俊介がそう答えると、奏は力をこめていた手を緩め、くすりと笑った。
「俊介先輩って、本当に優柔不断ですね」
「……すみません」
「もう本当に行きましょうか。遅刻しちゃいますし」
奏に言われ、俊介は再び学校に向かって歩き出した。
すると奏は、俊介の隣にそっと寄り添う。
「手を繋ぐのはもういいです。その代わり、隣を歩くぐらいは、許してくださいね?」
「……はい」
許すも何も、これほどの美少女と並んで歩けるのは、光栄なことだ。
それなのに心に影が差しているのは、奏が偽装友人だからか。それとも、恋華に対する負い目があるからなのか。
俊介はそれ以上考えることを止め、ただひたすら歩くことに集中した。




